2015年3月7日土曜日

『日蝕』 平野啓一郎  その5

前回はトマス・アクィナスについてとその神学について軽く触れましたが、今回はその経済的側面について触れたいと思います。



経済学の祖というとアリストテレスになると思うのですが、アリストテレスの経済学というのは現代と非常に馴染まないものでその紀元前4世紀においてからトマスの時代に至るまでその実質成長率は0%からマイナス成長でした。よってパイが増えないわけです。ゆえにその限られたパイをとりあうゼロサムゲームが繰り返されるわけです。余談ですが『ガンダム00』というアニメーションでは確か世界はまだゼロサムゲームをやっており、それがエネルギー問題の解決の為に、いわゆる無限エネルギーを持つ国家群が生まれて持つものと持たないものとの格差が生まれてそれが新たな戦争へと発展するという話でした。サブカルの伏線として。


アリストテレスの経済学でこの『日蝕』を語る上で必要な部分を抜粋しますと、『二コマコス倫理学』のなかで配分的正義、是正的正義、応酬的正義という考え方があります。このなかで重要になるのが是正的正義です。



是正的正義というものがなんなのかというと、ざっくりいうと民間の交換行為は等価交換が正義である、ということです。等価交換などというと僕などは真っ先に思い浮かべるのが『鋼の錬金術師』なのですが。アリストテレスは経済は物々交換を基本としていました。彼の時代においてはコミュニティが非常に小さかったので物々交換においても客観性を必要としなかったわけです。だいたい何がどんな価値を持っているかをみんなが阿吽の呼吸でわかっていました。特にアリストテレスは貨幣の交換というものを最も嫌っていました。『二コマコス倫理学』というだけあり、倫理に非常にこだわったのです。利益を出すということが平等ではない、公平ではないというわけです。利益という発想が極めて希薄で、それ以降の時代もそのためにゼロ成長を続け、延々とゼロサムゲームを繰り返すわけです。



このアリストテレスの経済に対して一大変革をもたらしたのがトマス・アクィナスなわけです。彼は是正的正義に対して異議を唱えます。そしてその代わりに交換的正義という概念を持ってきます。この交換的正義においては不等価交換も許されます。その物に対するコスト、リスクヘッジという現代的な付加価値を認めるのです。つまり利益を得るということを肯定したわけです。ただし、それは公平価格によるべきだとやはり倫理的な言い方をしていますが。



これが後にアダム・スミスによって経済学の爆発的転換を迎えるわけです。倫理の代わりに利己心を導入するという現代の経済学の祖ともいうべき考え方です。しかし利己心といってもスミスは哲学者でもあったのでエゴイズムを礼賛したわけではありません、念のため。アダム・スミスの経済学によっていわゆる現代の経済学者がいうようなWinWinの発想というものが生まれてみんなが豊かになっていったのです。なので先ほどあげた『ガンダム00』は、現代においてもシェールガスのエネルギー獲得戦争が起こりつつありますが、エネルギー問題だけで政治的優位が保たれるというのは少々安易な発想で、根本的発想の部分で誤りをおかしているような気がします。おそらく外部から専門家の考証というのは行われている筈だと思いますし、作品としては面白いのですけどね。



というわけでかなり回り道をしましたが、『日蝕』とはなんだったのかについて次回は述べたいと思います。
続く。

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