2017年1月18日水曜日

『こころ』 夏目漱石

二つの孤峰ーー近代的自我・他者・金銭ーー
夏目漱石『こころ』


1二つの孤峰
  ・漱石と鴎外 明治文学のなかで高い峰が二つそびえ立っている。
   いずれの流派、主義に属することがない。「自然主義の藤村、花袋」などと呼ぶことはできない。
  
  ・しかしながらその時々に隆盛を誇っていた文芸思潮の影響は受けている。二人は群れることなく独自の文学を作り上げていった。
  
  ・今まではほぼ時代順に見てきたが、漱石と鴎外は文学史にくくれないため、この二人だけは時代の流れから離れ個人について書いていく。

2夏目漱石の生涯
  ①生没年 慶応3(1867)~大正5(1916)
   ・紅露逍鴎 明治をほぼ全部生き切った明治文学の巨匠。
    彼らと漱石は同時代だが名前は入っていない。
   
   ・漱石の作品史 『猫』明治38~『明暗』大正5
    長い期間活動していたわけではない。そのため紅露逍鴎には入っていない。しかし今我々が読むと紅葉などよりずっと文学的貢献をしてきたと評価できる。
 
   ・鴎外は5年早く生まれ7年遅く死んだ。
    芥川は明治25~昭和2年。
  
  ②複雑な家庭環境
   ・江戸生まれ。夏目金之助が本名。
    夏目家に生まれ里子に出される。また実家に戻る。(塩原姓のまま実家に戻る。落ち着かない生活を送った。
   
   ・幼少期の影響かものごとを考え込んでしまうタイプで一種沈鬱なところがあった。それが作品にも影響しものごとの根底を問う文学になった。
  
  ③英国留学
   ・二松学舎で漢学を勉強。その後に英文学を学ぶ。
    明治33~36にイギリス留学。正岡子規が亡くなったという報を受けて帰国。
   
   ・漱石にとって英国留学は苦しいものだったが、鴎外にとってドイツ留学は楽しいものだった。この点は対比される。
  
   ・英国で漱石が頭がおかしくなったのではないかという噂が流れる。それだけ緊張しながら考えていたということ。英国では日本のやり方となにもかも違う。異国の状況に大変なショックを受ける。
  
   ・日本とは何か。ヨーロッパとは何か。個人主義とは何か。近代とはどういうものなのか。
  
   ・自分とは何かは自分以外のものに触れてみないとわからない。日本人は自分たちが背が低いと知らなかった。他者と比べて初めて自分がわかる。違うものに触れながら、我々とはいったい何なのかと問い始めていった。
  
  ④すぐれた先生
   ・漱石の周りには若い人が集まった。漱石は話し好き。父親としては癇癪持ちだったが青年にはいい先生だった。
  
   ・門弟 寺田寅彦、鈴木美重吉、小宮豊隆、森田草平、野上豊一郎、安部能成、芥川龍之介
  
  ⑤『こころ』の問うもの
   ・人間と人間というのは必ず衝突するものである。人間には他者が理解できない。お金は人間の悪を引き出すものである。近代に生きる我々は新しい時代の我々自身の生き方をまだ見つけ出せていないのではないか。漱石の作品には必ず深刻な問題が現れている。

 
 3時代背景
  ①大正3年
   ・『こころ』の発表された年。晩年の作といえる。明治39年の花袋の『蒲団』以降私小説が主流となっていた。白樺派も含め私小説が権威をふるっていた時代に漱石は『こころ』を書いた。
 
   ・『こころ』は私小説とは呼びがたい。漱石は私小説とはなれ合わなかった。それゆえの孤峰。
 
  ②自然主義との違い
   Ⅰ表現上の問題
   ・違いはいくらでもある。自然主義の作家は自分たちの表現の仕方を平面描写と自称した。あるがままを淡々と描いていくということである。
   
   ・花袋の『一兵卒』は平面描写。主人公は脚気で死ぬ。その死んでいく様子を淡々と描き出した。観察して描き出す自然主義の手法。
 
   ・藤村の『破戒』『新生』もあるがままを淡々と描く平面描写。
 
   ・漱石は平面描写とは少し違う。『こころ』は読んでみると探偵小説っぽい。先生の謎。死をほのめかす。読者は興味を持つ。これは新聞小説だったからということもある。表現上の様々な工夫を自然主義とは別の仕方でしている。
 
   Ⅱ内面の重視・理想という反省
   ・自然主義は「無理想・無解決」。生き方としての理想、人間はどのように生きていくべきかという問いかけはない。『一兵卒』も無解決。問いかけは出てこない。『新生』も姪が妊娠するがただ書いているだけ。反省はない。志賀直哉も生き方への反省はない。
 
   ・漱石の作品には問いかけがあった。理想がある。人間はどのように生きていくことが本当なのか。人間にとって自我はどういうものなのか。
  
   ・中の1 大学を卒業した(今の博士号を取るより偉い)私が田舎に帰る。喜んでいる父が私には馬鹿に見える。卒業証書をうまく飾ることができずコロンとひっくり返る。知識をありがたがることを少し見下す視線の描写。父の心を馬鹿にしたことを反省する気持ち。根本的に考えていこうとする鋭い批判性がある。
 
   Ⅲ社会・国家・時代という視点
   ・自然主義は個人の悲惨を描くことはできる。
    『一兵卒』 個人を描いているが戦争の是非の意識はない。
    『破戒』 苦しんでいく様。差別、社会構造の問題意識がない。天皇誕生日の日にも楽しむことができなかったという描写があるが、ヒエラルキーの頂点(天皇)に対する批判はない。
    社会性を欠いているのが日本的自然主義。
 
   ・漱石 近代とは何か。自分の生きている時代は前の時代とどう違うのか。
 
   ・上の14 明治は自由・独立・己とに満ちた時代である。
    封建時代とは明らかに違うという意識がある。
 
   ・大正3年 『私の個人主義』
    今の時代にも通用する問題意識を持っていた。恐ろしい驚くべき洞察。今の時代も解決しない問題意識を見抜いていた。

 
  4『こころ』論
   非常に面白い小説。細かく読んでいくとものすごく追究すべき問題が出てくる。またおかしなところも出てくる。
 
   ①構成について
   ・成立したときの事情。
    朝日新聞連載 1914(大正3) 4・20~8・11
    重要。構成上の工夫。表現上の工夫。
 
   ・当初の『こころ』は短編集『心』をつくろうと試みていた。しかし、第一編「先生の遺書」が長すぎて断念する。岩波で出版する際に、上・中・下にして出版された。
 
   ②構成上の破綻
   Ⅰ中途半端
    おかしいところ。私の父はどうなったか。中の最後で危篤。私は先生のところに戻る。親父がどうなったかわからない。また先生の遺書を読みながら私がどうなったかもわからない。空白。
 
   Ⅱ作中の矛盾
   ・先生から私、遺書を受け取る。
   「下」と同じ長さ。400字詰め原稿用紙200枚。「中」の16で懐に差し込んだとある。厚くて差し込めない。漱石には書を書くと長くなる癖があった。
 
   ・手紙の数 「上」の9 箱根からの絵葉書。日光から紅葉を封じ込めた封書。「上」の22 帰省中もらった手紙は2通。
   遺書を含めて3通のはず。矛盾がある。
 
   ・手紙の矛盾についてある研究者。帰省中にもらった手紙と遺書は先生から。紅葉の封書は先生の奥さんから。
 
   ・死にそうな父を置いて東京へ向かった。奥さんのところへ向かったのではないか。
 
   ・先生が奥さんを墓参りに連れて行ったか。
   「上」の6 連れて行ったことはない。
   「下」の51 連れて行った。
   長く書いているうちに漱石が忘れたという解釈。1回目は連れて行かれたという解釈も。
 
   ③先生はなぜ自裁したのか
   ・乃木の殉死。我々が生きているのはおかしいのではないかと考えた。←おかしい。先生は世捨て人。引っかかる。
 
   ・プリント1P 丸谷才一「徴兵忌避者としての夏目漱石」
    
   ・松本寛「『こころ論』ーー<自分の世界>と<他人の世界>のはざまでーー」非常にいい文章。ひとつひとつ丹念に書かれている。
   
   ・この講義ではなぜ自裁したのかは話さない。自分で考える。
   
   ④『浮雲』と
   プリント9P
   ・『こころ』と『浮雲』は非常に似た作品。
    『浮雲』は失敗作。善玉悪玉がはっきりしていて相対化されていない。『こころ』とは違う。先生は善悪の矛盾を抱えている。
     
   ・2作とも母子家庭のうちの娘。主人公が入り込んでくる。関係ができそうなところで闖入者が出てくる。本田昇とK。
   
   ・図から言えることは、父がいなくなっているのが近代の社会の問題だということ。近代以降、強い力を持つ中心がなくなった。それは若い人たち、女性たちにとって悪いことばかりではないが、そこに近代の苦しみ(父の不在)を見ることができる。
   
   ⑤深淵としての他者
   ・図2 『こころ』の仕組み。
    読み手
     先生、先生の奥さん、奥さんの若い頃、K、叔父さん、義母はすべて私という語り手を通じて見ることができるもの。私というフィルターを通さなくては見ることができない。
   
   ・先生はKのことを理解していないんじゃないか。私が語った範囲でだけ読者は理解する。私を通してしかアクセスできない。先生の証言を通じてしかKを理解できない。
   
   ・叔父さんは本当に悪人なのか。先生は許していない。果たしてどうなのか。実際はそんな人じゃなかったかもしれない。先生のフィルターを通した叔父さん像。
   
   ・奥さんは先生とKの関係を知らなかったのだろうか。奥さんは知っていた可能性がある。先生と奥さんのあいだにも深淵がある。
   
   ・先生の遺書 事実をそのまま語っているのか。先生の側から見たものが書かれている可能性。嘘が書いてある可能性もある。
   
   ・お互いに理解することができない。他者と他者の物語。理解することのできない他者同士の物語。
   
   ・理解しがたい他者同士の物語。近代を生きる我々の問題。理解も共感もできない他者と他者がつながっていかなくてはならないという現代的課題。テロの恐怖=他者と他者との関係。漱石は非常に優れた文学者であった。

2017年1月9日月曜日

『蒲団』 田山花袋

*ポメラで書いています。

『蒲団』 田山花袋

もう一方の自然主義。私小説。

島崎藤村と並ぶもう一方の牽引役として名前があがる田山花袋。
彼は私小説をどのように展開していったのか。

1.田山花袋について
 ①生涯と作品
  ・館林に生まれる。明治4~昭和5年(1871~1930)。
   一葉、藤村と同じ頃に生まれ、藤村より前に没した。
   外国文学をよく吸収している。この時代は文学、思想をそれなりに吸収できる時代だった。
  
  ・館林藩の侍の子として生まれた。当時の侍は警察官や軍人になるものが多かった。花袋の父は警視庁に勤め西南戦争で死んでいる。

  ・足利、東京で奉公。英語、ヨーロッパ文学を勉強する。将来は軍人か政治家になろうと思っていた。しかし段々文学に興味を持つようになり東京に出てくる。文学に生きていこうと決意。柳田国男と知り合う。

  ・明治22年に尾崎紅葉を訪ねる。直接の指導は受けなかったが作家としてデビューする。硯友会のメンバーに。文学界ともつながりを持つ。

  ・明治30年。国木田独歩、柳田国男(松岡国男)、宮崎湖処子と「抒情詩」作品集(詩集)を出版。このころ花袋は硯友社と関わりを持ちながらもロマン主義的傾向を持っていた。

  ・博文館に就職。雑誌の編集をしながらゾラ、フローベールら自然主義文学を紹介。これは花袋の功績である。

  ・明治35年『重右衛門の最後』
   明治37年『露骨なる描写』←日本の自然主義の始まりの表現。
         日露戦争に従軍。
   明治40年『蒲団』
   明治41年『一兵卒』
         他、『生』『妻』『線』3部作。
    *明治37~40年のあいだに挟まるのが藤村の『破戒』。

  ②花袋と藤村
  ・日本の文学史 ロマン主義 → 自然主義
               詩   →  小説
    花袋は自らの身をもって体現した。他に国木田、藤村。
    花袋は当時重要な位置を占めていた硯友社と文学界とつきあいがあった。重要な人物たちとつきあいを持っていた。

  ・明治37『露骨なる描写』→39『破戒』→40『蒲団』→41『春』

  ・二人の関係 先行する花袋、それを追いかける藤村。花袋が先行していたのは外国文学を知っていたから。

  ・尾崎紅葉が亡くなると、花袋はキラキラした(内容のない)文体ではなく露骨なる描写をしなくてはならないと主張する。自然主義をリードする。しかし自然主義の一番始めの作品は藤村の『破戒』。

  ・花袋は器用ではない。藤村は器用。花袋が自然主義の傾向を示すとそれをうまいことやるのが藤村。

  ・花袋、『破戒』が出て先を越されたという焦り。花袋、『蒲団』を出す。新しい自然主義の傾向を示す。大変な衝撃をもって迎えられた。藤村は『春』を出す。社会性は希薄+フィクション=私小説の時代へ。

  ・花袋のほうが文章が下手。スケール小さいが果たした役割は大きい。吉田精一からの評価が高い。



 2自然主義とは
  
 ①二つの自然主義
  
  Ⅰ『重右衛門の最後』『破戒』『一兵卒』『田舎教師』
  ・これらの作品は社会的問題を織り込んであるフィクション。ある環境のなかに置かれたときに人間と社会はどのような化学反応を示すのか。ヨーロッパの自然主義に近い。
 
  ・『一兵卒』花袋の従軍記者のときの体験が生きている。だが体験がそのまま書かれているわけではない。¬=私小説。私小説ではとどまらないもの。正統的な自然主義の形。

  Ⅱ『蒲団』『春』ほか
  ・たくさんある。大正時代ずっと続いていく。どのようにして生まれたのか。藤村が大きくリードした。花袋、友だちに負けた焦り、いらだち。

  ・藤村は文壇のスターに。そこで乾坤一擲『蒲団』を出す。
   主人公のところに女子大生くらいの女性。主人公横恋慕。女弟子を帰す。蒲団をかぶって泣く。今も気持ち悪いが明治の当時はもっと気持ち悪かった。大変な衝撃を与えた。

  ・『蒲団』の成功で花袋は勝ち。大正文学の主流に。ヨーロッパの自然主義とは違う。正統的ではない。

  ・あんパン、カレーパンは日本的なもの。私小説も日本的なものをつくりあげた。これがダメだということはない。

  ・そもそも自然主義が持っていた問題点が誤解されて輸入された。

  ・科学
   =本質の追求
   =客観的観察
   という2つの本質。
   日本のなかに広く昔からとらえられていたものではない。ヨーロッパから入ってきた。自然科学としてきちんと入ってきたのはこの時代から。

  ・『破戒』『一兵卒』はヨーロッパの自然主義に近い。『蒲団』『春』は客観的観察に偏る。本質の追求が弱くなっている。自分を中心にして半径10メートル以内のことしか書かない。自分の貧困がどんな社会的背景を持っているかには頭がいかない。

  ・『蒲団』芳子をどう思っていたかーー書いている。
       人間にとって性欲はどういうものかーー書かれていない。

  ・私小説が日本文学の主流に。

  ②日本的自然主義の問題ーー『露骨なる描写』

  Ⅰ私小説への偏り
  ・日本的な自然主義へ=私小説へ。
   この自然主義はロマン主義との関係でとらえられていない。前回の川副先生の文章を読む。ヨーロッパはロマン主義に対する反発から生まれた。しかし『露骨なる描写』を読むとロマン主義との対立でとらえられていない。硯友社の美文との関係でとらえられているという極めて日本的な事情がある。

  ・花袋、美文を書くのが上手くない。劣等感を持っている。自然主義を書くなら美文じゃないんだ。日本的事情見いだせる。

  ・「見たまま 聞いたまま 考えたまま」を書いてみたにすぎない。

  ・本質の追究より客観的観察に重点を置く。ずれちゃっている。

  ・硯友社の文章は「見たまま 聞いたまま 考えたまま」を美しい文章に構成しなくてはならなかった。

  ・『露骨なる描写』をもとに日本の自然主義全体が進んでいく。客観的観察へ進んでいく=私小説。そのまま書いちゃう。

  Ⅱ文体の問題
  ・この時代にわれわれの書き言葉が完成した。
   美文は否定。その後の日本語は知らなくても読めるようになる。日本文学の伝統であった様々な修辞法なくなった。見立て、本歌取りなど教養を必要とするものを振り捨てる。伝統と切れてしまった。

 ③その後の私小説
  ・藤村、花袋
   徳田秋声 ←硯友社の流れから
   岩野泡鳴

  ・1葛西善蔵 ←早稲田系貧乏くさい。私小説、大正時代の主流に

  ・それ以外の私小説の流れ
    白樺派 志賀直哉 ←貧乏くさくない。心境小説。

  ・2プロレタリア文学

  ・3モダニズム文学

  三派鼎立ーー三竦み 大正末~昭和始め

 ④なぜ私小説に偏るのか
  ・花袋、なるべくスキャンダラスな素材。乾坤一擲。
   なぜそうなってしまう?
    個々の作家の特性
     藤村、ロマン主義より自然主義。
     日本文学は伝統的に壮大な想像力を作り出すことが得意ではない。日本の美術は些細なものから美を取り出すことは得意。五七五七七という定型に些細な日常を芸術として作り上げていく。『指輪物語』のようなスケールの大きな作品は苦手。
     
     ストイックなものが好き。私小説はまじめに不健康な生活をする。一生懸命破滅する。自分を追いつめていく。この点も私小説と合致するのでは。

 ⑤主題の価値について
  ・私小説みたいなことばかり書いている。酒に溺れ妻に逃げられる。社会的問題を書いていない。それに対してプロレタリア文学がけちをつける。
  
  ・その小説がある主題を持っている。社会的主題が含まれているかどうかは作品の価値とは別。主題については等価である。日本の自然主義より西洋の自然主義が価値が上というわけではない(川鍋)。


 3『蒲団』論ーー事実か否か
  ・私小説の始まり。
  
  ①「女教師」
  ・橋本佳の非常に重要な指摘。『蒲団』に類似した事件がある。「見たまま 聞いたまま 考えたまま」ではないでしょう。

  ②芳子のモデルの証言
  ・美知代の手紙がある。恨みつらみが書かれている。花袋の反応は『蒲団』に出ていない。事実そのままを書いたとは言い難い。

  ③情景描写
  ・9月は10月になった。(プリントの傍線部分)ラストシーン。情景描写がそのまま主人公の心理描写になっている。←花袋は文章下手だったから。見たまま、聞いたままとは言い難い。

  ・傍線 言葉の選び方が新聞の記事のような文章とは違う。
   ラスト 薄暗い一室、戸外には風が吹暴れていた。←本当に風が吹暴れていたか?晴れていたかもしれない。このような場面がラストにふさわしいから花袋は書いたのでは。その通りの情景があったとは考えにくい。
 
  ・『蒲団』は私小説であるが事実をそのまま写したとは考えにくい。文章表現である以上、事実をそのまま書くことはできないのではないか。書き写して文章にすることはできないのではないか。事実そのままを書くことの不可能性。

2016年11月24日木曜日

『偉業』 ウラジミール・ナボコフ 光文社古典新訳文庫

ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・ナボコフロシア語:Владимир Владимирович Набоков 発音 [vlɐˈdʲimʲɪr nɐˈbokəf] ( 聞く)ヴラヂーミル・ヴラヂーミラヴィチュ・ナボーカフ英語:Vladimir Vladimirovich Nabokov [nəˈbɔːkəf, ˈnæbəˌkɔːf, -ˌkɒf], 1899年4月22日ユリウス暦4月10日) - 1977年7月2日)は、帝政ロシアで生まれ、ヨーロッパアメリカで活動した作家詩人。少女に対する性愛を描いた小説『ロリータ』で世界的に有名になる。昆虫 (鱗翅目) 学者チェス・プロブレム作家でもある。アメリカ文学史上では、亡命文学の代表格の一人である。ウラジミールまたはラジーミル・ナボコフと表記されることもある。


彼が1932年に書いた"Подвиг (Glory)" が1974年に渥美昭夫により『青春』というタイトルで翻訳された。2016年に新訳として光文社古典新訳文庫から『偉業』として出版された。ナボコフはロシア語版、英語版をともに書いており渥美訳の『青春』は”Glory"から、貝澤訳は"Подвиг "からの訳である。僕は貝澤訳を読んだ。以下は貝澤訳について書く。


偉業 (光文社古典新訳文庫)
偉業 (光文社古典新訳文庫)ウラジーミル ナボコフ 貝澤 哉

光文社 2016-10-12
売り上げランキング : 16584


Amazonで詳しく見る by G-Tools


”言葉の魔術師”として知られるナボコフであるが僕は高校時代に『ロリータ』を読んだだけであった。手元にある『ロリータ』の巻末を見てみると平成18年11月1日発行とある。つまり僕の高校時代には新潮文庫はいまだ若島正訳の『ロリータ』を出版していなかったようである。おそらく大久保康雄訳で読んだと思われる。最近この若島訳の『ロリータ』を読んでみたがこの作品に対して抱いていたイメージとかなり違った。この記事では『偉業』について書くためこれ以上『ロリータ』には触れないでおく。


ナボコフに言われることとして、要点だけを言って真ん中を抜いてくるという独特の文体の仕組み、彼独特の面白い比喩が挙げられるようだ。言葉遊びも非常に多く使用しその語彙が豊富で沼野允義氏は『賜物』を翻訳したときに辞書を引いても出てこないロシア語がたくさん使われていて自分のロシア語の能力に絶望したというようなことを書いている。対して英語版の作品もほとんどがナボコフ自身の手によるものだが英語版は英語圏に受け入れやすいよう、少々荒っぽい言い方をすれば商品化しやすいように書き換えられた部分が多いようだ。『カメラ・オブスクーラ』は大幅な改変が行われている。


ナボコフ作品の特徴としてジョイスやプルーストの影響が強いであろうことが『偉業』を読んでも推測できる。ナボコフが少なくともベルクソンを熱心に読んでいたという事実はあるようで彼の時間と空間に対する考えはベルクソン的であることも読んでいて感じられる点である。またイメージが様々な事象を移っていくことも指摘されており例えば『カメラ・オブスクーラ』では「赤」というイメージが木苺の赤からマグダの肌の色へと移り最後にはクレッチマーの血の色へと移っていく。イメージとして使われる素材として爬虫類が多いことも知られている。ナボコフは昆虫学者でもある。円城塔氏の『道化師の蝶』がナボコフからインスパイアされたものであることは沼野氏と円城氏の対談から知っていた。


『偉業』を読んだ感想を大雑把に始めに書くと、僕が今まで読んだ作品の中でも異常に細部にこだわりを持つ作品であったという印象である。もちろん『偉業』はナボコフ作品のなかではそのような傾向が特に顕著だと言えない部分があるらしい。しかし一見ナボコフの自伝的作品と名指され作品自体の評価はそれほど高くない『偉業』であるが僕はこの作品をナボコフの自伝的作品とは読んでいないし読み終わったときは優れた作品に出会ったときの感動を覚えた。この作品を読んで思ったのは言葉というものはコンテクストに組み込まれて初めてその本来の意味を確定できるということであった。ナボコフは作品において一見細部にこだわるあまり作品全体のテーマ性のようなもの(それがあるのだとしたら)とは関わりのない別の次元で様々な事象を独特の比喩表現を通して書いていると思われるのだが、言葉といういわば「言の葉っぱ」を喩えるならオセロゲームの優れた打ち手のように素人には一見無意味な一手を数々と繰り出す。その一手一手がゲームが終盤に近づくにつれてパチンパチンと自分の色へと裏返り最後は黒(もしくは白)のイメージで盤上が埋まるのである。それがナボコフの作品を読んでいて感じることだ。極めて具象的でかつ論理的に作品の細部は書かれている、そしてそのひとつひとつの事象が独特のイメージを喚起させるのだが、そのイメージ群が作品を読み終えたときに大きなイメージとして読み手を圧倒する、それが『偉業』を読み終わったときに僕が感じたものであった。


ナボコフは『偉業』の主人公のマルティンについて最初から「冒険のための冒険」しか目指しておらず、「だれにも必要のない頂上を取りに行こうとしている」だけであると1966年にインタビューを受けたときに述べている。そのような造形をしたマルティンをナボコフはアイロニカルに語っているのか、それとも読者は逆に肯定的にとらえていよいものか、そのことを念頭に置きながら『偉業』について考えてみたいと思う。


『偉業』は第50章で終わっているが第11章が欠けている。ナボコフという作家を考えるとなにか意図をもってしていることは推測できるのだがその意味するところはわからなかった。主人公マルティン・エーデルワイス、その苗字は「高貴な白」という意味を持つ。彼の本作品を通じてのイメージを表しているかもしれない。マルティンの祖父はスイス人で1860年代に妻インドリコフと結婚しセルゲイ・ロベルトヴィチをもうける。マルティンの父である。彼は医者で妻ソフィア・ドミトリエヴナとのあいだにマルティンをもうけるが後に妻と子と別居する。一家はロシアに住んでいたがソフィアとマルティンはヤルタへと移る。ソフィアはロシア的なものを嫌い英国的なものを好んだ。マルティンが母から受けた影響は強い。彼は子供時代から豊かな感受性を持ち合わせていて(幾分神経症的と思われるほどの)、幼少時代自分のベッドの上にかかっていた祖母が書いた水彩画に執着する。その水彩画は風景画で、森林が描かれておりその森の奥へと曲がりくねった小径が続いている。この水彩画の風景がこの作品にとって決定的な意味を持つ。母は幼かったマルティンに寝るときに英語の本を読んでくれるのだがその物語に水彩画と同じ森の小径が出てくるのだ。そのことに母が気づきませんようにとマルティンは今まで味わったことのない胸の高鳴りを感じることになる。この高鳴りの感情がマルティンの人生を以降縛りつけることになる。


ナボコフの文体の特徴として長いシンタックスが挙げられると思うが、それは僕も初めて読んでいった際は苦労されられた。しかし繰り返し読むことによって少なくとも日本語訳については訳者の努力の賜物であると思うのだがそれが心地よく感じられるのだ。僕が普段小説、特に凡庸と言っていいかもしれない小説を読むときに感じる焦りのようなものは僕の心の内に現れることはなく、ナボコフのおそらく知性を感じさせる文章を楽しむことができたようだ。この『偉業』に関してはどこのページを捲ってもそこに書かれている文章は非常に知的で情感に溢れた描写で書かれておりまさに1文字1文字が丁寧に練られて書かれていると実感することができる。話が逸れたので作品内容についての記述に戻る。


ナボコフは作品内のある出来事への布石を作品中の読者の記憶から薄れるほど前に置いていたりする。例えばマルティンが愈々架空の国ズーアランドへと旅立つことになる場面が終盤に描かれるがその前に何度もその動機となり得たであろう出来事を綴っている。『偉業』は約390頁に渡る作品だがその最初の記述は22頁の父とのエピソードから書かれている。この布石の打ち方は上に挙げたようにナボコフがオセロゲームの手を考えるように前もってほとんど関連がないかのように書かれている。同じく母のエピソードも書かれておりマルティンの子供時代がズーアランドへの旅を決意させるような若者に育てたことが暗に意味されているのだろう。他にもキーワードとして書いておきたいのは「Fragile」「グルジア人はアイスクリームを食べない」など。さらに付け加えることになるが、この作品中ではロシア、スイス、フランス、イギリスの様々な都市、そしてその経路(船中、列車内)が舞台となるがこのことはナボコフが旅する作家であったということも重要であるし、それら舞台となった国々の文化が色濃く反映されて作中人物が描かれているためにその人物たちの性格の特徴という点も注意深く読んでいかなければ読者は見誤る恐れがあるだろうということも書いておかねばなるまい。


マルティンは夢と現実を言ったり来たりして自分の記憶を改ざんする癖があるがこれは精神分析的に言えば反復強迫に近いものがあるように思う。病的とまではいかないがマルティンの他人と比べて極めて神経質な性格を物語る癖として作品を読む際には記憶に残しておいてよいだろう。


『偉業』という作品の前半部で特に印象深く本作品で重要な役割を果たしたと思われる出来事にギリシアへ向かう船中でアーラという25歳の婦人とマルティンが出会う場面である。マルティンにとってアーラは大人の女性で初めて恋に落ちる女性となる。彼女は既婚者であり詩人でもある。彼女とのファーストコンタクトは船中での「紫水晶の」という言葉であるが、彼女は次のような詞を書いている。

「紫のシルクの上、帝政風の天幕のもと、
あの人は私のすべてを慰めた、吸血鬼の口で吸いつきながら、
でも明日にはもう二人とも死ぬさだめ、身を焦がして灰になり、
麗しき二人のからだは、砂地へと散り混じる」

不倫の詩であろう。アーラは人気の詩人で貴婦人たちはこの詩を懸命に書き留めるのに夢中になるほどだ。そんなアーラとの出会いにマルティンは心踊らされる。母はアーラのことを悪魔主義と呼びながらもマルティンが恋をしたことには肯定的なようでアーラを受け入れようとする素振りも見せる。アーラについてのマルティンの印象は77頁から2頁ほどかけて詳細に描写されている。この描写は注目すべきであろう。後にこのアーラの印象が「黒い彫像」を見たときに鮮明に浮かんでくるのだ。マルティンにとってアーラは「赤」の存在。アーラのつけていたルビーの指輪は血の象徴であり、この象徴がイメージとして最終盤まで物語に付き纏ってくるのだ。「紫水晶の」をうまく感じ取れないマルティンを子ども扱いするアーラであったが彼女がマルティンの最初の女となる。


イギリスではジラーノフ家の人々と懇意になる。ジラーノフ氏(ミハイル・プラトーノヴィチ)、その妻のオリガ・パーヴロヴナ、その長女ネリー、次女ソーニャ、オリガの妹エレーナ、その娘イリーナである。この中でソーニャはまたこの物語で非常に重要な役割を果たす女性である。登場したこの章は第13章だが以降最終章までソーニャとマルティンとの共通の友人ダーウィンの三角関係に似たものが続く。イリーナは知的障害を持っているのだが彼女も物語で感情をつま弾く役割を果たしているように思う。イリーナについてはなぜこの物語にイリーナのような女性が必要であったのかはよく考えてみる必要がある。ここから第21章に至るまでマルティンのイギリスの特にケンブリッジ大学での出来事が書かれている。ここまで読んだ段階では作品のタイトルとなった「偉業」という言葉は出てこないのもあるし、旧訳の『青春』のほうが適切なタイトルであるかもしれないと考えてしまう人も多いと考える。


この作品で読み手が力を入れて読まねばならないのは第22章、第23章であろう。マルティンはスイスに戻っている。そこでマルティンが険しい岩棚を歩く場面がある。マルティンは後にもう1度岩棚を歩く。マルティンは岩棚の下の奈落の誘惑と闘うがその奈落の奥底には点のように小さな白いホテルが見える。マルティンの傍の岩壁を黒ずくめの蝶々が彼を挑発するかのように昇っていく。この岩棚の体験はマルティンにとって非常に大きなものだったことが暗示されるのだがその後イギリスに戻るとソーニャの姉ネリーとその夫の死去の報せを聞くことになる。ジラーノフ家は喪に服しており、マルティンの体験はジラーノフ家の喪に霞んでいく。それはジラーノフ氏へのマルティンのお悔やみの言葉が洗面所のドア越しに行われることにより強調される。ここで22章は終わるのだがナボコフはさらに次の23章でもジラーノフ家の喪を書くことによりマルティンの体験の意味を書き換えていく。ヨゴレヴィチという場違いな男が訪問しジラーノフ家は益々暗さを深めていく。その後マルティンがチェーホフの短篇集を持って部屋に戻り「犬をつれた奥さん」(示唆的である)を読んでいるとにわかに自分の理由のない不安の原因を悟る。いま自分のいる部屋が亡くなったネリーの部屋だったのだ。するとソーニャが部屋を訪れる。ソーニャはマルティンのいるベッドに乗ってマルティンに話しかけるのだがマルティンはソーニャの訪問の理由に気づかない。彼はスイスの岩棚で奈落の誘惑に勝った自分の話をしてしまう。ソーニャは自分の内面の不安の話をしながらマルティンの毛布にもぐり込もうとする。マルティンはソーニャを抱きしめ唇を頬に押し当てる。ソーニャは両の頬を濡らし部屋を出て行ってしまう。彼女はネリーとこの部屋で明け方まで話していたことを思い出しマルティンを訪問しただけだったのだ。マルティンはあくる日の朝ジラーノフ氏と浴室で対面してしまい彼のばかばかしさはさらに強調され、ソーニャからは「クレチン(低能)」と名指されることになる。この2章で書かれたことが決定的にマルティンのズーアランドへの旅と関わっていることは間違いないであろう。


『偉業』は約390頁の作品だがその中間、ほぼ半ばの第24章の最後198頁において(時間的には作品の結末が書かれた数年後に)マルティンの母ソフィアが「周囲に聞こえるほどのうめき声をあげた」という記述がある。このうめき声がこの作品でのひとつの象徴となっていることもまた疑い得ないだろう。最終盤393頁に次のような記述がある。

「ダーウィンは頬を拭って、ソーニャのほうは見ないようにしていたが、感じていたのは英国人が感じ得る最高に恐ろしい衝動――叫びたいという衝動だった。」

この「叫び」を象徴する人物が作中に存在する。それが上記で少し触れたソーニャの従妹イリーナだ。イリーナは知的障害を持った女性である。しかしここでもナボコフは彼女をただの象徴としては扱っていない。彼女の持つ叫びの原因となった複雑な事情は第36章で語られている。イリーナは14歳のとき暖房客車に母親と乗っていた際にチンピラに絡まれ、別の列車では父親がならず者の兵士たちに窓から捨てられてしまうという事件に遭遇した。その後イリーナはチフスを患い一命はとりとめたが言葉が喋れなくなり唸り声しかあげられなくなったのだった。この叫びや叫びの前の最高に恐ろしい衝動が『偉業』という作品においては感情が盛り上がる場面で何度も登場する。


最後に色のイメージについて少し書いておきたい。マルティンの苗字であるエーデルワイスはスイスの国花で「高貴な白」という意味だということは書いた。この作品で度々登場する色は多い。緑、黒、光や闇など注目すべき色はたくさんあるが白と対比されるものとして赤をあげておきたい。赤をイメージするものとして最初に明確なかたちで現れたのはアーラだ。アーラの指輪の真っ赤なルビー。それは罪、そして血=死をイメージさせるものなのだ。赤はその後煙草の火など至る所でこの作品のイメージをかたづくり、最後にダーウィンのパイプの火となり現れる。そのとき我々はマルティンの結末を物語の筋からでなくイメージから想像することになるのである。彼は自分の生来の「白」のイメージに背き「赤」のイメージに惹かれそれを追い求めた男だったと言えるだろう。


『偉業』はマルティンに焦点を当てて考えた場合、彼のズーアランドへの「冒険のための冒険」でありまさにナボコフ自身が言うように「だれにも必要のない頂上を取りに行こうとしている」作品であると言うことができる。この作品を読んでマルティンに対してどのような思いを抱くかは人それぞれであろうが僕はマルティンのなしたことは「偉業」であると思う。この作品をまとめることは困難であると感じるので何が原因でなにがこのような結果をもたらしたかを書くことは不毛であろう。ただナボコフの言葉を僕の言葉で言い換えさせてもらうならばマルティンは空の器を取りに行くという偉業に身を投じたのだと言えるのではないだろうか。まだまだ書くべきことはあるのだがこれ以上は冗長になると考えとりあえずここで終わりとしようと思う。また書くべき必要があると感じたならば追記として書きたいと考えている。


*メモとして。
樅の木の森を通る小径。何もかもがじめじめして霞んでいる。靄の奥にある建物。あの絵の中の景色のように謎めいている。黒い小径、濁った水、湿気を含んだ風のなかに灯る火。パイプの火がマルティンの行方を暗示している。

2016年8月31日水曜日

『破戒』 島崎藤村

『破戒』 島崎藤村


一方の自然主義ーー島崎藤村『破戒』


 ・『破戒』を通じて日本の自然主義の一方を考えていきます。差別用語が使われる場合もありますが部落差別を助長するような意図はありませんのでご容赦ください。


1島崎藤村の生涯

①生涯と作品

 ・島崎藤村。明治5年(1873)~昭和18年(1943)。本名島崎春樹。樋口一葉と同一年に生まれ、太平洋戦争の最中に没しました。木曽の庄屋の名家の生まれです。明治14年に兄と一緒に勉学のために上京します。父は厳しい人でしたが精神を病み、座敷牢で亡くなっています。明治学院普通部本科に入学しキリスト教の洗礼を受けます。その後明治女学校の英語の教師となります。そのとき女生徒に恋心を抱きますが打ち明けられないまま辞職し、関西へ行きます。島崎藤村は追い詰められると逃げてしまう(旅に出る)という傾向を持つ人だったようです。

 ・明治26年に『文学界』に参加。北村透谷と共に創刊し、藤村は旅先から寄稿しています。北村透谷は藤村の小説によく出てきます。『破戒』での猪子連太郎は透谷と重ね合わせているのではないかと言われています。

 ・明治29年に東北学院に勤めます。そのとき『若菜集』を発表。「はつ恋」の詩が有名です。その後小諸で教師をしそのとき結婚。『落葉集』を発表します。「椰子の実」で有名です。藤村は『落葉集』を書きながら自然主義的な小説を書こうと考えていたようです。

 ・明治38年に東京へと戻ってきます。明治39年に『破戒』を発表。この『破戒』以前/以降で藤村の作品は浪漫主義的/自然主義的と分けることができます。『破戒』は後者で非常に救いのない暗い小説となっています。この『破戒』が藤村の1度目の転身と言われています。


破戒 (新潮文庫)
破戒 (新潮文庫)島崎 藤村

新潮社 2005-07
売り上げランキング : 19875


Amazonで詳しく見る by G-Tools



 ・『破戒』は文字通り戒めを破るということです。明治の時代の酷い差別が書かれています。その救いようのない現実を暴き出したところに『破戒』の自然主義的特徴が現れています。

 ・明治41年に私小説『春』を発表。『春』は非常に重要な作品です。『春』以降、藤村は私小説の立場に立ちます。この作品には藤村自身や北村透谷が出てきます。『春』以降が2度目の転身と言われます。

 ・明治43年に糟糠の妻が四女を出産後死去。藤村は切り詰めた生活の中で3人の子を失っていました。その辛い思いもあってか手伝いに来ていた兄の娘と関係を持ち妊娠させてしまいます。藤村はフランスへ渡ります。

 ・大正5年に帰国。大正7年に姪との関係を書いた『新生』を発表。この作品は様々に議論されました。その後『夜明け前』を発表。『東方の門』を執筆途中で永眠します。


②そのポイント

 ・島崎藤村の評価は落ち着いてきているといいます。2点。
  1.放浪すること。この放浪が重要な点で、放浪先の経験を文学に昇華しているのです。明治14年~明治38年までは、関西、仙台、小諸と放浪しました。
  2.ロマン主義から自然主義へ。浪漫主義の代表作は『若菜集』『落梅集』で詩的形式で発表しています。自然主義の作品は『破戒』『春』など小説という形式で発表しています。
  島崎藤村は日本の文学史全体の転回を体現した文学者だと言っていいでしょう。


2文学史的観点から

①藤村の浪漫主義
 
 ・浪漫主義時代の作品は叙情性が非常に豊かです。国木田独歩とも違う感傷的なものです。そこには恋愛感情と旅愁が書かれています。感傷的と言ってもそれは、私とは何か、どうやって生きていけばよいのか、といった深刻な問いを投げかけ、それを自分の内面を持て余してしまうようなものなのです。

 ・ずっと封建的だった社会で恋愛感情の開放を書く事は、特に男性が書くことは「男のくせに」と言われ旧弊な社会との対立は必然でした。そのような社会的背景と照らして読む必要もあります。


②自然主義

 ⅰ自然主義とはなにか
  
  ・自然主義について川副国基は「藤村と自然主義」(『島崎藤村必携』 學燈社)で藤村の自然主義について書いていますが、その解釈は浪漫主義の戦う側面が過小評価されていると言います。国木田独歩の『武蔵野』のところで書いたように浪漫主義の延長が自然主義だと考えると浪漫主義の戦う側面はもっと重視されるべきであると思います。

  ・自然主義とはリアリズムの一つの形態です。現実にありそうなことを現実にありそうに書いてあるか、それによりリアリズムであるかどうかを分けることができます。

  ・明治39年に島崎藤村の『破戒』、明治40年に田山花袋の『蒲団』により日本の自然主義は確立されます。その後の大正文壇の主流は藤村と花袋となります。

 
  ・前にも書いたように自然主義の「自然」は自然科学の自然です。自然科学の方法を文学に応用し社会と人間の関係を冷徹に描き出すという主張、手法が自然主義です。もっとわかりやすく言うと、小説という形式を借りた一種の思考実験とも言えます。ある社会を想定してそこに人間を放り込むと人間はどうなるのか。自然科学のフラスコでの実験を思い浮かべてもらってもいいと思います。

  ・ヨーロッパの自然主義の特徴は、
   1.必ず社会性が織り込まれています。社会と人間の関係を読み解くことが重要だからです。
   2.フィクションであること。この点が日本の自然主義と違う点です。
   坪内逍遥は『小説神髄』でリアリズムとは現実の人物を雛形にして登場人物を造形すると書いています。そのことが別様に解釈されたのではないかと窺われます。
   日本的な自然主義については後に田山花袋の『蒲団』を書く際に触れようと思いますがおおまかに言うと、1.社会性が希薄であること。2.フィクションではない実在の人物が登場すること=私小説が非常に多いということ。この2点に特徴があります。


 ⅱ文体の問題

  ・明治40年に書き言葉の原型が出来上がったことは以前にも触れました。つまり今我々の使っている言葉が自然主義の書き言葉だということです。

  ・ちなみに『破戒』には旧版と新版があります。旧版が発表されたときにその差別的な内容から色々な人たちの心を傷つけることになったため新版が出されました。別名『身を起こすまで』です。

  ・『破戒』はまだルビの振り方に多少の違和感を残していました。「社会」が「よのなか」であったり「思想」が「かんがえ」であったりしています。しかし現在我々が読むことに支障をきたすものではありません。口語としてできあがっていたと言って良いでしょう。同時代の国木田独歩も口語体という点で進んでいましたが藤村は国木田よりさらにちょっとだけ進んでいたと言えると思います。


 ⅲ社会性をはらんだ自然主義

  ・『破戒』はヨーロッパに自然主義にほぼ近いと言えます。第一に部落差別を問題にした点で社会性をはらんでいます。このことは後にプロレタリア文学の側から評価されました。社会性という点では私小説の元祖とも言える田山花袋も『蒲団』以前の『重右衛門の最後』『一兵卒』『田舎教師』などは稚拙ではありますがヨーロッパの自然主義に近かったと言えるでしょう。ただ花袋の場合はどうみてもプロレタリア文学ではありません。花袋に社会主義の思想は見つけられません。


 ⅳ『破戒』後の展開

  ・田山花袋の『蒲団』が私小説の始まりであることは上に書きました。花袋に対抗すべく藤村もそれに続き『春』以降私小説を発表していきます。ただし、『夜明け前』などは私小説の枠組みでとらえるべきではなく、スケールの大きなリアリズムととらえるべきでしょう。私小説で言われることに、半径10メートルの中だけを扱っている、という言い方がありますが『夜明け前』は当てはまりません。

 ・私小説というものはヨーロッパに自然主義の発想にはなかったものなのです。


3作品論

 ・『破戒』の旧版と新版は読み比べるとその当時の問題点というものが浮かび上がりますのでどちらも読んでおくべきではあるのですが、現在書店に並んでいるものは旧版です。

①余計者

 ・日本の近代文学、現代文学は余計者の文学です。その特徴として、主人公が社会の中で中心的な位置にいないこと、人とうまくやれなくて社会に受け入れられていないことが挙げられます。また、作家自身も社会の中枢で活躍した人物ではないこともあります。あえて余計者の位置に自分を置きながら自分の人生の真実を見失うまいとして生きていた人たちです。

 ・余計者が決して正しいというわけではありません。大正の私小説作家で有名な人物は太宰治でしょう。『破戒』も同じく余計者の文学です。主人公の丑松は頭脳は優秀ですが善良で気弱な人物です。社会からいわれのない差別、抑圧を受けています。こういった人物を主人公にすることにより個の側から社会の理不尽を照らし出していくのが余計者の文学だと言えるでしょう。

 ・弱い側から見ると強い者の横暴やインチキが見えてくるのです。『破戒』においては主人公の丑松だけでなく、丑松の尊敬する猪子も社会の理不尽と真正面から闘い死んでいく余計者として書かれています。猪子のモデルは北村透谷であろうと思われますので透谷のイメージを重ね合わせて読んでいくと面白いでしょう。


②『破戒』の諸問題

 ⅰ書き換え

  ・上に書いたように旧版と新版の書き換えの問題があります。藤村自身はたいして書き換えていないと言っていますが実際読んでみると大幅な書き換えがあったようです。被差別部落を指す言葉は書き換えられるか削除されたようです。

  ・さらに藤村自身の被差別部落への差別意識が地の文に出ていたようです。つまり藤村自身が自分の差別意識を相対化するところまで至らなかったということのようです。例えば血筋の問題を書いてある箇所には人種起源説を思わせるものがあると言います。人種起源説は当然明らかな誤りであるのですが藤村はそれを無意識にか書いてしまっているのです。その箇所は新版では撤回されました。

  ・撤回したことは評価できるとともに別の問題も生み出しました。差別意識は差別意識として語られるべきだという問題です。被差別者も差別意識を持っているし、差別意識が自分のアイデンティティになっているということもできるのではないかと言うこともできるからです。それならば藤村は撤回すべきではなかったのではということにもなります。これは非常に難しい問題であると思います。

 ・また、丑松の友だちが丑松を守ろうとする場面があります。そこで友だちは、穢多が追い出されたってなんだ、当たり前じゃないか、きみは穢多じゃないだろう、と書かれています。これが新版では書き換えられています。この場面はもう少し別の書き換えの仕方があったのではないかと言われているようです。旧版、新版を読み比べるときに注目しておきたい点です。

 ・そして最大の問題はその書き換えがあまりに単純に書き換えられたと思われるため物語の重要な要素が失われてしまったのではないかという点にあります。作品中で丑松が追い詰められていく様がピントがずれているように感じてしまうのです。このように書き換えられたことにより非常に難しい問題を抱えてしまうことになりました。


 ⅱ結末

  ・作品の最後に丑松が告白し土下座をする有名な場面があります。それも書き換えにより新版ではなぜ土下座をしているのかがよくわからなくなってしまっています。戒めを破った=破戒をしたことで学校へ行くことができなくなるのですが、その後丑松がどのように生活していったかが書かれていないのです。丑松はテキサスへと旅立つのですがそれが予定調和、ご都合主義に思えてしまいます。本来ならば破戒をした後の丑松の状況のほうが大変なのではないかと思われます。丑松がその後どのように生きていったかを書けなかったのは藤村の限界であったのだと言って良いのかもしれません。


 ⅲ以上のことから

  ・『破戒』は自然主義の始まりの小説であり、また社会的問題を真っ向から取り上げた初めての小説だと言えます。しかし、書き換えの問題や結末の問題など自然主義としては本質的な制約を持っていた小説とも言えます。この両方の点から『破戒』という作品を捉えることが必要であると言えましょう。

2016年8月30日火曜日

『武蔵野』 国木田独歩

『武蔵野』 国木田独歩


浪漫主義から自然主義へ・文体の問題


1国木田独歩の生涯

①生涯と作品

 ・明治4(1871)年に生まれ明治41(1908)年に没。まさに明治生まれの人です。37年という短い生涯でした。東京専門学校を中退しています。明治24年にキリスト教の洗礼を受けていてキリスト教に対する理解の深かった人です。国木田の時代はヨーロッパの様々な考え方が日本人のものとなりつつあった時代でした。

 ・明治25年にイギリスの詩人ワーズワースに触れます。このことは国木田の文学に非常に大きな影響を与えることになります。明治27年に日清戦争に従軍します。帰国後明治30年に『抒情詩』を田山花袋、柳田国男と発表。明治34年に『武蔵野』という「武蔵野」を含む作品集を発表します。


武蔵野 (角川文庫)
武蔵野 (角川文庫)国木田 独歩 BONES

KADOKAWA/角川書店 2016-03-25
売り上げランキング : 66945


Amazonで詳しく見る
by G-Tools



 ・明治30年に発表した『抒情詩』は共著の詩集です。その作風は浪漫主義的でありました。「独歩吟」が非常に有名です。この当時柳田国男も詩を書いていました。

 ・明治34年の『武蔵野』には「武蔵野」「忘れえぬ人々」「源おじ」が収録されています。明治37年に『牛肉と馬鈴薯』を発表。明治40年に『窮死』を発表。

 ・国木田は浪漫主義から自然主義へと移り変わる時代を生きました。国木田は経営していた会社が傾き、胸の病気も悪くなっていき亡くなってしまいました。国木田は骨の髄まで浪漫主義的作家でした。自然主義的作品を書いたのは国木田の身体が弱っていったことと関係があると捉えるのが一般的のようです。


②その問題点

 ・短編「武蔵野」ですが、この随筆とも言えるものはワーズワース、ツルゲーネフの影響が色濃い作品です。国木田の時代の人々は外国の文学・思想を自分たちのものとして消化できた時代の人々でした。

 ・国木田は短編の名手で今読んでもその輝きを失っていません。短編の創始者としても国木田は高い評価を受けています。国木田は短い文章の中に詩的な思いを存分に残すことができる才能を持っていました。

 ・また社会に対する関心も非常に強く、尾崎紅葉のときに触れた民友社の設立にも関わっていました。平民主義を掲げ、反差別、平等思想を持っていました。社会を変えていこう、よくしていこうという強い思いは小民(=大衆、庶民)への共感として国木田の作品のどこからでも立ち上がってきます。代表的なものとして「忘れえぬ人々」「源おじ」「窮死」が挙げられます。

 ・民友社が国家主義へ向かうと国木田は文学へと重点を移していきます。社会的関心は持ちながら文学へと傾いて行ったのです。「政治から文学」へという移行は小田切秀雄など風潮としてあったようです。北村透谷が自由民権運動に挫折し文学へと移ったのもその一例です。これらの移行は魂に関わる問題だったのです。

 ・纏めると、国木田はローマン派の詩人として『抒情詩』『武蔵野』でスタートし、ローマン派の詩人として仕事を始めましたが『牛肉と馬鈴薯』以降リアリズム小説の作家へと移っていきます。それは島崎藤村、田山花袋なども同じでした。その当時の一般的傾向というものだったとも言えます。


2浪漫主義

①浪漫主義とはなにか

 ・浪漫主義とはなにかについても樋口一葉のときに書きました。再度書くと、浪漫主義の傾向は文字通りロマンチックな傾向で作品としては「独歩吟」「武蔵野」が挙げられ、現実よりも夢見るような世界への逃避という傾向があります。島崎藤村の詩を見ればわかるように非常に夢見がちな世界観を持っています。

 ・またそれのみならず恋愛感情をも含む自我の開放というのがもうひとつの大きな目的としてありました。自分らしい生きかたの追究です。当時は古くさい社会とのぶつかり合いは避けられませんでした。封建的社会との対立は必須でした。

 ・社会への批判という一面、戦う浪漫主義という一面は忘れることはできません。北村透谷や樋口一葉から国木田までそれは一貫しています。一葉は「女なりけるものを」と女だからといって制限されることはおかしいのではないか、女性だからといって何故苦しまなくてはならないのかということを「叙情性と批評性」を混じえて作品を書いています。「叙情性と批評性」は国木田にも当然見受けられます。


②独歩における浪漫主義

 ・国木田の浪漫主義の特徴として3点が挙げられます。1叙情性と2叙景を描きながらいかに生きるべきかという3社会の問題を描き出していることです。この3点がしっかりと結びついています。

 ・傷つきやすい自我を叙情的に表現するという手法です。傷つきやすい自我を肯定する傾向は「独歩吟」「武蔵野」に見られます。

 ・叙情性と叙景は強く結びついていて切り離すことはできません。それが社会に対する問いを非常に強く発生させることになります。「忘れえぬ人々」における登場人物の問いは国木田の問いといっていいでしょう。

 ・人間に対する信頼が非常に温かに流れているのが国木田の作風です。小民に対する温かなまなざしも同様です。国木田の作品には酷い人間は出てきません。

 ・そういった描き方が浪漫主義の特徴であったのです。それに代わる自然主義では悪を誇張して書くという手法も出てきます。


3自然主義へ

 ・その後文芸史の主流は自然主義へと向かいます。では自然主義とはどういったものなのでしょうか。


①自然主義とは

 ・19世紀後半にフランスの作家エミール・ゾラを中心にして起こりヨーロッパ各国へと広がった文芸思潮のことを言います。

 ・国木田の「武蔵野」は自然主義ではなく浪漫主義にくくられます。

 ・自然主義の「自然」とはイコール自然科学で、自然科学の方法を文学に応用したものです。つまり物理・化学・数学の方法が応用されたのです。

 ・それによりどんなものが描き出されたかというと、社会・人間の2点が挙げられます。社会と人間の関係を客観的かつ冷徹に描き出す主張、方法です。広く言えばリアリズムの手法のひとつと言えるでしょう。リアリズムの手法というのは現実にありそうなことを現実にありそうに書くという手法です。対立するものとしては泉鏡花の書くような神秘的作品が挙げられるでしょう。

 ・自然主義はヨーロッパで大流行し、日本でも明治40年前後から主流となります。それは大正時代まで続きました。保守本流です。昭和の始まりに三派鼎立の時代がありましたが、その一翼の私小説は自然主義の流れを汲んでいます。私小説は今でも芥川賞を受賞している作品もあるので今の時代にも続いているとも言えるでしょう。

 ・本家のヨーロッパではロマン主義の対極にあります。傷つきやすい自我を叙情的に書くのに対して厳しい現実を容赦なく客観的に書くという手法です。ロマン主義の反動ともいえるでしょう。


②文学史的展開ーー浪漫主義から自然主義へ

 a.浪漫主義から自然主義への展開における日欧の相違

 ・ロマン主義から自然主義への移行はヨーロッパの文学史においては一般的なことですが、ヨーロッパと日本では多少の違いがあります。先にも書きましたがヨーロッパの自然主義はロマン主義への反発として生まれた側面が大きいです。


 b.反発・内的必然・個人的理由

 ・日本でも浪漫主義に対する反発の側面はありましたがそれだけでは片付けられない点があります。まず内的必然が挙げられます。浪漫主義は自我の追究があり、自分らしく生きるにはどうすればよいのかということを強く訴えかけていました。それに加えて古くさい社会=封建社会との対立があったことは何度も書きました。

 ・その中で潰されていく人間たち、それを重点的に書いていく、それに重心を傾けていく傾向が日本ではありました。それを見る角度を変えてみると自然主義となっていったのです。つまり浪漫主義を徹底していった結果自然主義になっていったのです。

 ・日本ではこの見方というのは重要です。島崎藤村や与謝野晶子は社会と向き合い対立しました。そこから自然主義へと内的必然として移っていったのです。

 ・また、個人的理由として島崎藤村、田山花袋という人々がそもそもリアリズムで実力を発揮する素養を持っていたということも挙げられます。島崎藤村は浪漫主義的作品も上手いのですが圧倒的に自然主義的作品を多く残しています。田山花袋は浪漫主義的作品、特に詩ではその才能を発揮することができず自然主義の飾り立てしない文章でこそその才能を発揮することができたといえるでしょう。

 ・国木田は上の2人とは違い、骨の髄まで浪漫主義の詩人でした。しかし後年は自然主義的作品を書いていきます。


③独歩の自然主義的傾向

 ・明治40年に『窮死』を発表します。その筆致は非常に冷たく、冷徹な視点で希望の持てないリアリズムの文学を書き上げます。

 ・明治37年の『牛肉と馬鈴薯』以降リアリズムへと傾斜し、『窮死』までが国木田の自然主義的作品です。

 ・日本の自然主義はこの間、田山花袋が明治35年に『重右衛門の最後』、明治37年に『露骨なる描写』を書き、島崎藤村は明治39年に『破戒』を書いています。

 ・ゆえに国木田は日本の初期の自然主義の一翼を担っていたと言えましょう。リアリズムへ傾斜していったことは間違いありません。しかし国木田はそれにより身も心もぼろぼろとなります。骨の髄から浪漫主義的詩人であった国木田にとって無理がたたったのです。

 ・国木田は37歳という若さで命を落としますが、彼が長命であったならば日本独自の自然主義が出来上がっていたであろうと思われます。


4文体ーー日本の自然主義のもう一つの問題

 ・日本の自然主義は浪漫主義の追究した自我の問題、社会の問題の延長線上で生まれました。さらにそれに加えて文体の問題が挙げられます。この自然主義の文体がその後の日本の文章のスタンダードになっていくのです。

 
 a.口語へ

 ・田山花袋は『露骨なる描写』で硯友社的美文に対する反発を表明しました。それは花袋が美文を上手く書けなかったことに起因し、それゆえ美文を批判したのです。

 ・花袋の主張した自然主義の文章は読んでいても面白くありません。しかしそれが花袋により自然主義を推し進めるものとなったのです。この時期が日本の近代的な小説の言語が確立される時代と重なります。

 
 b.現代の文章表現の源流

 ・明治34年に発表された『武蔵野』の「武蔵野」「忘れえぬ人々」は我々が今読んでいる文章となんら変わりません。しかし、「源おじ」は文語で書かれています。『武蔵野』という作品は非常に不思議な作品集で文語と口語が混じっているのです。

 ・つまり『武蔵野』出版当時にはまだ小説の言語ははっきりとした方向を持っていなかったということです。しかし、国木田が口語に傾斜していることは窺えます。

 ・樋口一葉の『たけくらべ』のような文語が明治28~29年、尾崎紅葉の『金色夜叉』のような地の文が文語で会話文が口語というものが明治30年にありました。それが口語へと傾斜したのが明治34年ということも言えるのではないでしょうか。それは二葉亭四迷の言文一致をより洗練された形で示したとも言えると思います。

 ・そして明治40年頃、島崎藤村の『破戒』、田山花袋の『蒲団』の出現で、我々の使う言葉の原型が口語体の確立という形でほぼ完成するのです。

2016年7月22日金曜日

『人間失格』 太宰治

夏真っ盛りである。自分は訳あって太宰治を読むことになり5月からちくま文庫版の全集を読んでいる。太宰の作品で最も有名なものは『人間失格』らしい。自分は『走れメロス』ではないかと思っていたが『人間失格』が夏目漱石の『こころ』と並ぶベストセラーだということだ。


ということで自分は今年の始めに『人間失格』を読みたいと言った愛弟子青年Kに『人間失格』を含む本を贈呈した手前、ここで『人間失格』について自分の思うところを書いておくべきではないかと思い至った。この記事は漱石の『こころ』における「先生の遺書」と同じである。Kよ、心して読むように。



斜陽・人間失格・桜桃・走れメロス 外七篇 (文春文庫)
斜陽・人間失格・桜桃・走れメロス 外七篇 (文春文庫)太宰 治

文藝春秋 2000-10
売り上げランキング : 4089


Amazonで詳しく見る by G-Tools



太宰治。
本名津島修治1909~1948。青森県津軽郡出身。家は大地主で父は貴族院議員も勤めている。中学の頃より作家志望であった。弘前高校を卒業後、東京大学仏文科に入学。その後中退。東大入学の頃より井伏鱒二に師事していた。1935年には佐藤春夫に師事。田中英光と交流。戦後は無頼派と言われた。1930年、田部シメ子と入水自殺を図る。1937年、小山初代とカルモチン自殺を図る。1948年、山崎富栄と入水自殺を図り、死亡。


『人間失格』の作品の構造を見てみよう。まず「はしがき」があり、「第1の手記」「第2の手記」「第3の手記」があり最後に「あとがき」がある。「はしがき」と「あとがき」の主人公は作家であろう。対して「手記」の主人公は大庭葉蔵である。上に書いた太宰の経歴を見る限り大庭葉蔵=太宰治という見方ができると思われる。また「あとがき」に出てくるスタンド・バアのマダムは「手記」にも登場する。そのマダムから葉蔵と思われる3葉の写真と3通の手紙を渡されるので、葉蔵と作家は同じ舞台(日本)の違った時間軸にいるということがわかる。


太宰という作家について詳しく書かれた本が出版されている。奥野健男の書いたものである。


太宰治 (文春文庫)
太宰治 (文春文庫)奥野 健男

文藝春秋 1998-02
売り上げランキング : 112729


Amazonで詳しく見る by G-Tools


読むと奥野の太宰への思い入れを感じることができる。この記事での奥野についての記述は上の本から取っている。今は絶版状態で入手困難であるので図書館か古書で入手してもらいたい。


奥野健男は太宰という人間を分裂性性格であると断じている。その根拠は奥野の書に直接当ってほしいが、『人間失格』の「第1の手記」からも窺える。駅のブリッジの件や、食事というものへの無関心、父にお土産を聞かれたエピソードなど、葉蔵は生活の営みに対する実感というものをまったく感じることができないという性質を持っている。それはナルシシズム、他者への恐怖と繋がっていくのだが、奥野はその原因として先天的(遺伝的)にまたは環境的に培われた(封建制や下男、女中による性的虐待など)ものとして分裂性性格があると書いているのである。


太宰に対してシンパシーを抱く人たちは現代でも多くいると思うが、彼らはおそらく太宰の上記の気質を自己も内包していると感じているのではないか。太宰は少年期、芥川龍之介に心酔していたらしいが、芥川の自裁のあと、『如是我聞』で志賀直哉に次のようなことを書いている。


「君について、うんざりしていることは、もう一つある。それは芥川の苦悩がまるで解っていないことである。
日陰者の苦悩。
弱さ。
聖書。
生活の恐怖。
敗者の祈り。
君たちは何も解らず、それの解らぬ自分を、自慢にさえしているようだ。そんな芸術家があるだろうか。」(『如是我聞』 青空文庫)


如是我聞
如是我聞太宰 治

2012-09-27
売り上げランキング :


Amazonで詳しく見る by G-Tools



志賀直哉は小説の神様とまで言われた日本人の心性を直感的に鋭くとらえた作品を残している。高校教科書でも「城の崎にて」が載っていると思うが、「小僧の神様」などは読んだ人もいるかもしれない。志賀は文学史的には白樺派に属し調和型の私小説作家と区分されている。志賀の恐ろしいところは弱者に対する思いがあまりにも薄いことである。彼は太平洋戦争という国難においても戦前、戦中、戦後とそのアイデンティティは変わらなかった。白樺派の作家たちは特殊であると僕は思うので是非直接読んでみて欲しい。


『如是我聞』に戻るが、太宰が挙げているものを芥川が本当に苦悩していたかというと僕としては多少のズレはあるように感じる。それは別の人間がまったく同じ感情を抱くということはありえぬのだから当然であるのでここでは問題にしない。ただ、志賀に対する太宰の怒りというか訴えは真実であろう。芥川の晩年の作品を読むと感じられるあの鬼気迫る自己の精神のクライシスは太宰も共有していたように思う。それゆえ志賀のようなアイデンティティの振れぬ人物に太宰や芥川のような揺れ動く人間の苦悩は全くと言っていいほど理解できなかったであろう。太宰は初期の作品『葉』においてすでにヴェルレエヌから「撰ばれてあることの 恍惚と不安と 二つわれにあり」という文章を引いている。太宰のアイデンティティの著しいほどの不安定は晩年まで、『人間失格』まで続いていたのであろう。


では『人間失格』という作品について見てみる。上に書いたとおり3通の手記を「はしがき」と「あとがき」で挟んだ構成になっている。ここで真っ先に出るであろう疑問は、なぜ3通の手記だけではいけなかったのか、ということである。なぜ「はしがき」と「あとがき」が必要であったのかということだ。太宰は実はこの『人間失格』の前に『トカトントン』でメタ視点を置く手法を試みている。『トカトントン』を精読してみれば分かるが、終盤部に私と某作家を見ている人物が現れる。僕はこの人物が太宰であると思う(正確に言えば私も某作家も太宰であろう)。

「この奇異なる手紙を受け取った某作家は、むざんにも無学無思想の男であったが、次の如き返答を与えた。」(『ヴィヨンの妻』「トカトントン」p63 新潮文庫)


ヴィヨンの妻 (新潮文庫)
ヴィヨンの妻 (新潮文庫)太宰 治

新潮社 1950-12-22
売り上げランキング : 100080


Amazonで詳しく見る by G-Tools



この『トカトントン』という作品は非常に企まれている。優れた作品であると思うので読んでみて欲しい。太宰は企みの多い作家なのである。僕は『トカトントン』と同様に『人間失格』にもからくりがあると考える。太宰は葉蔵=太宰などと読み手に容易に読ませるような作品は書かない作家なのである。ゆえに「はしがき」と「あとがき」には当然意味が有る。


僕の考えを書こう。『人間失格』において葉蔵=太宰であるとは言える。しかし、葉蔵のすべてが太宰であるとは考えにくい。つまりは葉蔵は太宰の一部ではないかということだ。なぜそのように言えるかの根拠は先に書いたように、この『人間失格』は構造的にメタ視点を持たせており、葉蔵という人物をその葉蔵の主観と、作家の客観およびバアのマダムから見た葉蔵と多視点から相対的に見せることを意図しているように思えるからである。葉蔵という人物を一言でいうならば弱者である。意志薄弱であり他人の自分評におびえ道化を演じる弱さ、そしてその行動の幼稚さ、ナルシシズム。このような人間に対する深い同情を太宰は禁じ得なかっただろうが、それが自分であることには同様の嫌悪を持っていたであろう。他者を赦すことで自分を赦そうと企むがそれができぬアンチノミー。それが太宰である。


『人間失格』は太宰の遺作である。『グッド・バイ』があるが未完であるからそう考えても良いだろう。太宰はこの『人間失格』に己の集成を書き残したと考えることができる。そしてそれは「人間、失格」である葉蔵=太宰の「罪」の魂である。太宰は葉蔵という人物を書くことによってこの世界に自分の罪の告白をしたのだ。そしてそれにより自分の魂の救済を試みたのだと僕は考える。罪のアントは罰である。太宰は『如是我聞』に「聖書」という言葉を書いている。太宰は己が死んだときには神による審判を受けねばならない。そのための命懸けの闘いが『人間失格』という作品で行われたのではないか。そして葉蔵が罰せられることにより太宰は罪を償うことができこの世を去ることができたのではないか。そのように考えなければこの作品の構造の意味を理解することは難しいと考える。


太宰は作品に3つの手記を挟むことによって葉蔵=罪なる自己を相対的に描くことを可能とせしめた。太宰という人物の作品の全体を鳥瞰してみてほしい。彼は常に『人間失格』のような無頼の作品ばかりを書いてきたわけではない。僕の心動かされた『走れメロス』や『黄金風景』などといった作品には別の太宰もまた書かれている。吉本隆明は『人間失格』には、

「中期の健康な市民であろうと心がけた、そういう時代の作品と生きかた、つまりそういう時代を通過した太宰自身が含まれていないようにおもわれます」(松本和也『太宰治『人間失格』を読み直す』p17 水声社)

と書いており、精神の自伝としては足りないと書いている。僕もその通りではないかと考える。太宰という人間が、その魂が芸術家として持つ性ゆえにその自己の持つ罪を作品という形で罰したくなった、しなければならなくなったのではないかと僕は考えるのだ。よって僕は、葉蔵は太宰の「罪」なのだと結論づける。私小説の読み方のように登場人物を安易に作家とするような読み方は『人間失格』においてはできないと僕は考える。


太宰治『人間失格』を読み直す (水声文庫)
太宰治『人間失格』を読み直す (水声文庫)松本 和也

水声社 2009-06
売り上げランキング : 1150646


Amazonで詳しく見る by G-Tools



蛇足ではあるが、もう一つ考えてみたいことがある。以上のように読んでいったときに葉蔵という人物を太宰はフィクションとしてどう捉えていたのだろうかということだ。もちろん太宰は個人的には罪として捉えていたということは書いた。だが太宰は作家である。作家としての太宰は読み手に葉蔵をどのように読ませたかったのだろうかということだ。奥野健男の取るように太宰を分裂性性格と見たならば、太宰と同時代の読み手は太宰自身の精神のクライシスの問題を葉蔵に仮託したと読んだだろうと推測される。太宰の死を終着点とした個の実存の問題であると。それは奥野の著書を読むと窺われることだ。一方現代の読み手はどう読んでいるのか。先にも引用した松本和也の『太宰治『人間失格』を読み直す』に書かれていることで実際書に当たって欲しいが、太宰の問題は現代においてはコミュニケーションの問題へと帰結するのだと述べている。現代のようなモノにあふれた時代においては人でさえも物象化し自己に対する実感を持てなくなっている。社会のなかで極めて浅く表面的にしか生きることができない僕たちの存在の軽さの問題に太宰の問題が重なってくる。ちなみに松本の書には作家綿矢りさの太宰についての発言が引用されている。そこで綿矢は『人間失格』を読んだときに自分が漠然と考えていた内面の問題がすべて書かれていたと発言している。綿矢の高校の頃の発言のようだが作家としての言葉としては少々残念ではあると思う。綿矢をフォローするならば、綿矢の作品は彼女が太宰が書いた以外の現代に即した内面の問題を書いているのだろうと言えるということだ。


太宰が『人間失格』を通して書きたかったこと、それは人間が社会のなかで生きていく際に必ず向き合うことになる「倫理性」の問題ではないのか。志賀を批難したアイデンティティの問題も倫理性と表裏一体の問題であろう。『人間失格』は、この「倫理性」との対決、アイデンティティとの対決に敗北した太宰が最後に自分の罪を告白し罰を受けることを是とした物語ではなかったのではないだろうか。僕は世間で言われているようなナルシシズムに浸った「太宰神話」は太宰に対する壮大な読み違いだと思っている。もちろんそう読んでいる人がいても僕になにかを言う権利はないのだが。太宰治は一人の人間であった。しかしその創り出された作品は芸術の高みに至った。太宰は太宰自身が心酔した芥川のように同じく「人工の翼」を持って空へと舞い上がったのだ。読み手が「太宰神話」のような読み違いをするのならばそれは太宰を空から再び大地へと引きずり落とすことにならないだろうか。太宰は極めて偉大な作家である。太宰はナルシシズム的な読みをしている者たちを天上でうすら笑っているのではないだろうか。なぜなら葉蔵のような人間を最も嫌っていたのも太宰自身だからである。


最後に近代文学について。作家である辻原登は近代人、近代小説について次のように述べている。

「近代人とは、つまり、自己を意識した一人の人間のこと。そして、近代小説とは、物語が物語を意識したもの。つまり、物語が物語を疑う。これが近代小説の、構造的に最も特徴的なことだと思います。」(『東京大学で世界文学を学ぶ』p346 集英社文庫)

太宰こそが近代人、そして近代小説を見事に書き上げた作家ではないだろうか。


東京大学で世界文学を学ぶ (集英社文庫)
東京大学で世界文学を学ぶ (集英社文庫)辻原 登

集英社 2013-03-19
売り上げランキング : 160735


Amazonで詳しく見る by G-Tools




*芥川龍之介に対する「人工の翼」については吉本隆明の「芥川龍之介の死」を参考にした。晶文社の『吉本隆明全集5』に収録してある。


吉本隆明全集〈5〉 1957-1959
吉本隆明全集〈5〉 1957-1959吉本 隆明

晶文社 2014-12-17
売り上げランキング : 592966


Amazonで詳しく見る by G-Tools

2016年7月20日水曜日

『僕だけがいない街』 にゃんく先生の(あらすじ)と(見どころと感想)

アニメ化、映画化もされ一区切りついたかに見える『僕街』ですが、どうやらスピンオフ的なものが続くようです。
マンガ大賞は受賞できませんでしたが近年稀に見る密度で描かれた作品であろうと思います。
僕の感想を付け加えて記事としたかったのですが時間の都合とまだ旬のときに記事にしたいと思いアップします。
僕の感想は後日補足という形で付け加えたいと思います。


にゃんく先生のあらすじ。

『僕だけがいない街』三部けい
(あらすじ)
 主人公は、漫画家・藤沼悟です。
 彼は再上映(リバイバル)と呼ぶ特殊な能力を持っています。
 それは、自分以外の誰かが被害者となる事故や事件が起こる時に発生します。
 たとえば、トラックの運転手が運転中に死亡していて、交通上の大惨事が発生するシーンに悟が居合わせると、再上映(リバイバル)が発生し、事故直前まで時間が巻き戻ります。その間、悟の記憶だけが継続しているので、自分が未来から過去にさかのぼっていることを覚えています。そのため、周囲の違和感を探し出し、未然に交通事故を防ぐ措置をとることができます。
 再上映(リバイバル)は、主人公の意志とは無関係に発生します。
 そのため、悟は日常生活で頻繁に再上映(リバイバル)に遭遇し、結果的に自らを危険にさらしながら、他者の安全のために奔走することになります。
 あるとき悟は、再上映が発生したため、連続誘拐事件を未然に防ぐことになりますが、
その結果として、自分の母親を犯人に殺されるという悲劇に遭遇します。
 その母親殺しの犯人を追跡するうちに、巧妙な罠から、悟は、自分が母親殺しの犯人にされてしまいます。
 追い詰められ、警察に逮捕されたとき、再び再上映(リバイバル)が起こり、悟は1988年、自らが小学5年生の時点に時間が巻きもどります。
 それまで、それほどの規模の再上映(リバイバル)が発生したことがなかったために悟は驚きますが、後になって、これはその年発生した連続児童殺害事件の発生前まで時間がさかのぼっていることに気づきます。
 悟は、未来で殺されることになる同級生。雛月加代の被害阻止のため奔走します。
 一度は失敗し、犯人により雛月は殺されてしまいますが、再び再上映(リバイバル)が起こり、悟のたゆまぬ努力と同級生たちの協力を得た結果、雛月殺害事件を回避することができます。
 そして、未来で殺害されることになっていた、第二の被害者の事件回避にむけて行動していたところ、悟は犯人から盗難車の中に閉じ込められ、車ごと池の中に沈められてしまいます。
 悟は一命をとりとめますが、長いあいだ植物人間状態で入院をつづけます。医師からも回復は不可能だと宣言されてしまいます。
 彼が目覚めるのは15年後、奇跡の回復により意識を取り戻します。
 しかし記憶の一部が喪失状態に陥っており、自らを殺そうとした犯人が誰であるか覚えておらず、自分の身に備わった特殊な能力である、再上映(リバイバル)の能力のことも忘れてしまっており、小学5年生から止まったままの自分の知能に、不自然な知識が備わっていることに違和感を覚えますが、夢の一種ではないかと自分を納得させようとします。
 悟が長い眠りから目覚めた出来事は、マスメディアの報道により世間に知れ渡ることになり、1988年当時とは職を変えた犯人が、今度こそ悟を殺害するために、彼に接近を試みてきます。
 悟の記憶が蘇り、彼が試みようとした犯人捜しの結果が先に実を結ぶか、犯人側の藤沼悟殺しが先に成立してしまうのか、物語は予断を許さぬクライマックスへ向けて進行します。



そしてにゃんく先生の見どころと感想です。

(見どころと感想)
 2012年~2016年まで連載された三部けいの漫画です。
 アニメ化及び映画の実写化もされ、漫画は累計200万部以上をほこるヒット作です。
 2016年現在、マンガ大賞に3年連続ノミネートされています。

 連続誘拐殺人事件を阻止しようとする主人公・藤沼悟と犯人との攻防を描いた作品です。
 悟には、リバイバルという、タイムワープの特殊な能力がありますが、その能力は自発的に発動することができず、それが発生するのは常に誰か他人の危機に際してです。
 そういう制約があるため、必然的に悟は他人のために奔走するはめになり、結果、自分に得になることはなくて、良くて現状維持、悪くて数十年に及ぶ植物人間状態という最悪の結果をもたらします。
 他人のために汗をながしていた悟が、大変な喪失を経験するのを読んで、共感というか肩入れをしない読者はいないのではないでしょうか。
 読んでいる方としては、そんな悟がかわいそうだと思いますし、彼の身に危険が及べば、しぜん手にちからが入ります。
 文学も含め、今まで誰も挑もうとしなかった、大きな実験に挑戦しているように見えます。それは破綻ギリギリのところで成功していると思います。

 ダイナミックに時空間を前後することのできる能力(というか習性)を主人公に与えたことで、歴史の闇を白日の下にさらすという困難なストーリーを可能にしています。
 それがこの作品にそれまでにない新しさ、スケールの大きさを付与していることは確かです。
 これを読んだ小学生や子供たちは、いろんなことに疑問を抱くようになると思います。
 たとえば、子供には、学校の先生が言うことは絶対正しいという思い込みのようなものがすり込まれやすいですが(虐待を受けていた雛月が、暴力をふるわれている状況でも親のことを信頼していたのと同じように)、この漫画を読めばそういうことはない、学校の先生を含めた、自分の親に対してすら、正しいことを常に言っているわけではない、最終的に起こる結果は、誰が何と言おうと、自分が引き受けなくてはならないのだという現実に、気づかされることになるのではないでしょうか。
 いろんなことを疑ってかかるということは、大切なことです。作中登場する、「ユウキ」という青年のように、「あの人は犯人だ」と決めつけられて、悲惨な生涯をおくる人もいます。
 会話もまともに交わしたことがない人間を、噂だけで悪いと決めつける。
 世間はそういう残酷なところがあります。
 けれど、「ユウキ」青年は、一貫して無罪を主張していました。悟も「ユウキ」さんの人柄を知っているために、彼が殺人などを犯すはずがないと思い、真犯人を独自に捜そうとします。その結果、思いもよらなかった犯人があらわれ、悟と真犯人との、時空を超えた長い年月の戦いがはじまります。(この戦いは、悟が母親を殺されたときからはじまっています。)
 タイトルの意味がわかる時、「目から鱗」感があります。
 難しいことも考えさせてくれるし、とにかくおもしろく読める作品です。


にゃんく先生の本はこちらで読めます。
http://p.booklog.jp/users/nyanku


日本のマンガのレベルは高いです。『僕街』はよく考えられたプロットとエンタメ性で抜きん出いたと思いますが日本的風土を醸し出すような作品ではなかった気がします。そこが受賞を逃した要因のひとつだったのかなと思ったりします。
アニメと漫画では終わり方が違うので両方見てみることをオススメします。