『トーテンアウベルク』 エルフリーデ・イェリネク 読みました。
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ちょっと新しいものを読んでみるかな、と手を取りました。刺激を受ける作品で読んでみてよかったと思わせる作品でした。しかし…といったところです^^
イェリネクは、ノーベル文学賞を受賞しているので知っている方もいらっしゃると思います。イェリネクはオーストリアのドイツ語作家です。父親が労働者階級出身のユダヤ人化学者で、母親がウィーンの富裕層出身でカトリックでした。父親と母親は違う価値観を持っていて、イェリネクは苦しんだ子供時代を過ごしたそうです。
それでこの『トーテンアウベルク』なのですが、帯に「アーレントが拳をふりあげ、ハイデガーが呟く。」と書いてあります。僕もそれに期待して買ったのですが、読んでみたところ正直よく分かりませんでした。イェリネクはウィーン市立音楽院でパイプオルガン、ピアノ、リコーダー、作曲を学んでいて、ウィーン大学で美術史と演劇学を専攻し、そしてオルガン奏者国家試験にも合格しています。こういった経歴を見ると、なんとなくああ、こんな文章書きそうだなと納得します。
読んでいてまず、話の筋がないです。ないのは別に珍しいことでもないですが翻訳者の熊田泰章によると「あるひとつのセンテンスで用いられた、あるひとつの名詞が、次のセンテンスで、小説の内容、ストーリーと無関係に、もてあそばれてしまう」というわけです。どんな感じかというと、
「今はここに座っている。まるで鏡の中に捕らわれたようにして。でも、あなたは、もう今では、あなたのお母さんの小さな子供ではない。それに、あなたのお父さんは、森の中の木を切った空き地を濡れそぼって歩いている。日の光が木の枝の間の穴を通って射し込んでいるが、しかし、あなたの情熱は……それは、もう何の力もない。」
という感じです。翻訳者の苦労が垣間見える文章ですね。かろうじてセンテンスで使われた言葉が次のセンテンスと結びついていることがわかります。この文章はドイツ語で音読されると非常に美しく響くらしいのですが、ドイツ語の素養がない僕にはちょっと無理です。しかしドイツ語原文を読んでみたいと思わせる魅力というものは持っています。演劇化もされていますし、イェリネクは映画化されるときのことも考えて本書の冒頭で指示も出しています。
それで中身は?と言われると言葉に窮するのですが、少し調べてみたことを紹介してお茶を濁そうと思います。
題名の「トーテンアウベルク」ですが、ドイツ語で調べてみてもありません。「Totenauberg」です。そこでネットサーフィンを暫く続けていると、「Todtnauberg」を発見できます。「トートナウベルク」は山の名前です。ここでパウル・ツェランとマルティン・ハイデガーと繋がります。「トートナウベルク」はツェランがハイデガーを訪れた後に、ハイデガーのナチズム加担をめぐって書かれた詩の名前です。ツェランはハイデガーからホロコーストについての言葉を求めたのですがハイデガーは沈黙するだけだったようです。イェリネクがオーストリアというナチズムに最も近い国にいることと、父親がユダヤ人だということを考えるにこの作品に込められたイェリネクの強い思いというのは十分窺い知れるでしょう。
ツェランの「トートナウベルク」は『パウル・ツェラン 全詩集 Ⅱ』に入っているようですね。
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題名の「Totenauberg」を「toten」と「auberg」とに分けて、「死の」「アウベルク(berg=山)」と考えてみて、「Todtnauberg」をもじったのだろうと思いますし、副題の「屍(かばね) かさなる 山野」もナチスのホロコーストを想わせます。
中身に関しては本当に、言葉の断片が音符のようで、それが重なりメロディを奏でる、という感じなので意味をとりだすのは難しいです。3回ほど読みましたが、ハイデガーとアーレント、それにナチスと殺害された人々の対比、もちろん登場人物は様々でイェリネクはそこに多くのイメージを想起させるように書いていることはわかります。それは読んでみて感じていただきたいと思います。
イェリネクというと他に、『ピアニスト』、それと『光りのない。』等があります。『光りのない。』はポスト3.11の世界について書かれていて、僕も持っています。ちょっと日本語で読むのはキツイ作家かもしれませんが興味を持たれた方は読んでみてください。
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