2015年2月21日土曜日

舞台『わたしを離さないで』 カズオ・イシグロ原作 蜷川幸雄演出

2014年5月8日(多分)、蜷川幸雄演出、『わたしを離さないで』を観劇に行ってきました。



 


まず、最初に忘れずに書いておきたいのは、今回のキャスティングは文句のつけようがないくらいよいものであったのではないかと。もしも再演されキャスティングが変更されるとなると僕は今回と比べざるを得ない…それほどよかったと思いました。多部未華子さん、三浦涼介さん、木村文乃さんはもとよりすべての方が原作のイメージを損なわずに舞台独自の色も出していたのではないかと思います。


そしてこれも書いておきましょう、上演時間は1部1時間半、2部60分、3部50分です。僕は舞台や映画にされるといつもなにか省かれた部分がある、と視聴者の傲慢といえるかもしれませんが感じるのですが今回の舞台は本当に原作の持っているものをすべて拾っていったな!そして尚且つ!多様な解釈を観客に与える素晴らしい演出だったと思います。これは2度3度どころでなく、東京に住んでいたら5回くらい行ったかもしれませんね、もちろん時間があればですが。


ということで、ここから超ネタバレで行きますのでこれから観る予定のある方は絶対見ないでください。そして万が一この記事を読んでいて、観たいと思った方は迷わずページ移動をお願いします。あともうひとつ。僕はこれを書く時点で小説を1回、映画を2回しか観ていません。だから決定的な間違いを書いているかもしれませんがそこは感想だということで御容赦願います。それでは書いていきたいと思います。あ、あとセリフですが僕の貧弱な記憶力に頼っているので正確なセリフではないことは断っておきます。そのへんも御容赦ください。










ネタバレライン
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[第1部]
まず、原作との設定の違い。舞台が日本になっています。そして登場人物の名前も日本人(おそらく)の名前。多部未華子さん=キャシー・H=「八尋(やひろ)」、三浦涼介さん=トミー=「もとむ」、木村文乃さん=ルース=「鈴(すず)」、です。ヘールシャムはヘールシャムのままです。


舞台が開演すると同時に舞台上奥からヘリコプターが飛んできます。介護人となった八尋が病院のベッドのようなものに乗せられた「けん」という提供者を運んで画面奥からやってきます。けんは車の音がする、あれはソアラだ、保護官のなかに乗っている人がいたんだ、などと言います。提供の直前なのか直後なのか、かなり情緒が不安定になっていてそれを八尋が「介護」するといった感じです。けんは八尋にヘールシャムでのことを話してくれと頼みます。八尋はヘールシャムには図工の授業があって「ときお先生」という人がいた、手に入れたチケットで販売会でカセットテープを買ったわ、などとけんに話します。けんは一生懸命聞き入っています。ヘールシャムでの八尋の記憶を自分の記憶とするためになのかなと思いながら観ていました。八尋はここは少しヘールシャムに似ているわと言います。それがけんを慰めるためだったのか本当にそう思ったのかは分かりませんがどちらでもあったのではないかと思います。


舞台は子供時代、八尋が14歳だった頃のヘールシャム時代へ。男の子たちがサッカーをしています。スローモーションのようにゆっくりとした演技です。ここでは単純にノスタルジーを感じさせるだけのような演出に見えるのですが後半にここが意味をもってくるのではないかと…そこはまた触れるとして次に行きます。舞台前方に八尋、後方にもとむがいます。原作にもある描写でもとむはサッカーの仲間に入れてもらえるのを今か今かと待っていますが入れてもらえない場面です。「ときお先生」という男の先生の話で女子が盛り上がっています。一番脈があったのは「鈴」だよ、と恋話に盛り上がる姿はまさに14歳の少女たちそのもの。鈴は箱(原作では筆箱)みたいなものを持っているのですがそれは絶対に「なか」のものではない。ときお先生が鈴にプレゼントしたのだと冷やかします。鈴もまんざらではない様子で受け答えています。中身は色鉛筆みたいでしたね、遠くてそこまではっきり見えなかったのですが。色鉛筆が14歳の少女にとってどういう意味をもっているか、ヘールシャムでは、と思いながら観ていました。ここらへんで前後関係があやふやになってしまいましたがもとむのシャツのくだりが入ります。からかわれて汚れてしまったシャツに八尋が大事なシャツなんでしょ、というところです。もとむが八尋のほほを叩いてしまうところですね。


冬子先生(=エミリ先生)の登場です。晴海先生(ルーシー先生)も登場します。騒いでいる子どもたちにむかって冬子先生が話します。ヘールシャムの生徒たちは特別な生徒なのです、わたしは失望していますこれではあなたたちは足らない存在だったということになる、と。小説を読んでおられる方は感じるところもあると思いますが次へ。ちなみにヘールシャムは世界各地に何個もあるという設定のようです。小説がどうだったかはおぼろげなのですが僕は冬子先生の息のかかったところはヘールシャムなのだと前提して観て行きました。


次の体育の授業のためにみんなが教室を出ていきますが鈴ともとむが残ります。医務室から帰ってきた八尋もあわせて3人。鈴は、もとむのシャツが大切なことをなぜ八尋が知っていたのかともとむに詰め寄ります。さらにシャツは販売会で買ったのですがもとむはご存じのように作品をつくっていないのでチケットはもらえないはずなのです。でも小さな子供たちは特別に1枚だけチケットが配られるらしくそれでシャツを買ったのだともとむは言います。鈴はそれが情けない、あんたはもう小さな子供じゃないんだから、なまけてるのよ、みんなに仲間外れにされるのもすべての原因はあなたにあると思う、と強烈に批判するのです。鈴はこの時点でおそらくもとむのことを好きですよね。八尋が知っていたことを自分が知らなかったという嫉妬のようなものなのでしょうか。もしかしたら本気でもとむを責めている可能性もあるかもしれませんがw 僕は八尋に対する鈴の微妙な対抗意識が言わせたのだろうな~と思いながら観てました。八尋と鈴は仲がいいですものね。もとむが絡んで微妙にこじれるという。


八尋は医務室のクロス看護師=カラス仮面に手当を受けた後に販売会の購入リストを見つけたと鈴に話します。そのリストには誰がなにを購入したのかがすべて書いてあります。つまり鈴がときお先生からもらったとほのめかしていた箱が鈴自身が販売会で買ったということを八尋は知ってしまっていたわけですね。鈴はそれを知って泣きだしちゃうのです。ここも思うところはありましたが次に進みます。


マダムが生徒たちの作品を選びに来ます。冬子先生とマダムが八尋と鈴たちの部屋、5人部屋くらいですかね5つベッドがありました、で話しているときにベッドの下に八尋、布団のなかにもとむが隠れて盗み聞きをしています。八尋ともとむには冬子先生とマダムの話している内容はよく分かりません。審議会がどうのこうのという話しでした。14歳の子どもにとってそんなことはたいして興味はない、それが自分たちにとってどれほど重要なことであっても。冬子先生とマダムが去るとあれはなんだったのだろうと2人は話しますがすぐに話題が変わります。もとむは作品が選ばれなかったとしたら自分のすべてを否定されたように感じるのだろうな、と話します。あんた作品つくったことないじゃない、と八尋が突っ込みますが^^ でももとむは変わったよねと聞くともとむは実は晴海先生が言ってくれたんだ、と。小説と同じです、つくりたくないなら無理してつくることはないと。そういわれてこころが軽くなったんだ、それで癇癪をおこすことなくみんなに仲間外れにされることもなくなったんだと。八尋は晴海先生がそんなこと言うわけがないと信じません。


展示会で手に入れたカセットテープをカセットデッキでを流します。NEVER LET ME GO。晴海先生は言ったんだ、あなたたちは教わっているようで教わっていない。提供のことでしょう、教わったじゃない、と八尋は言います。ここも言葉にできない微妙な描写なので先へ進みます。鈴たちが小説にある例のマダムを驚かせる作戦を終えて帰ってきます。鈴「マダムはヘールシャムの子を怖がっている」、他の子はマダムの表情を見て自分がゴキブリになったような気がした、いえ、それ以下よ!とショックを受けます。そもそもなんでマダムはあたしたちの作品を外に持っていくの?と子どもたちのあいだで動揺が走ります。鈴は、もとむと同じよ、もとむはゴキブリだからいじめられたわけじゃない、もとむに誰もかなわないと思ったからもとむをいじめたのよ、と。みんな鈴の意見になぐさめられながら部屋を出て行きます。残った八尋、もとむ、鈴。鈴は八尋の前でもとむにキスをします。八尋はどんな気持ちだったでしょうか。そして鈴ともとむが部屋を去ったあと八尋はカセットデッキでNEVER LET ME GOを流します。クッションを抱いて、まるで赤ちゃんを抱いているかのように。それを後ろからマダムが目撃し…という場面です。


舞台は第2視聴覚室に移ります。ここのセットが僕は気に入っていておそらく小説ではこんなイメージではなかったと思うのです。日本の地図があってですね、これはここで書いてしまいますがノーフォークですね、あの場所が東北の日本海側に設定されています。「宝岬」という名前になっています。日本の他の場所にも結構ヘールシャムはあるのですかね。場面としては、晴海先生に八尋と鈴が呼び出されています。販売会でどちらかが買った靴の底に湿気を防ぐためにかチラシが入っていたのですね。それで「外」の世界の情報に触れてしまったのです。それは男性2人女性1人がオフィスで働いている写真の広告なのですが鈴は、こんなオフィスで働いてみたな、と夢を語ります。晴海先生はそれに対し、あなたたちは将来を考えているのですか?可能性を考えているのですか?提供以外の可能性について話した保護官はいましたか?と質問します。八尋と鈴はほんとうに無邪気なんですね。子どもの想像力では未来を現実的に想像するのは難しいです。それはヘールシャムの子どもであるなら猶更です。晴海先生は非常に迷っていましたがしかし言います。あなたたちの存在は生まれたときから決まっているのです、でもあなたたちの取り巻く状況は今も刻一刻と変わっている、もしかしたら別の可能性が開けるかもしれない、そのための準備はしておいていてほしい、そのときになって後悔してほしくないから、と。しかし、あなたたちは自分が望んでいるようにはいかないでしょう、この状況がすぐには変わらなかった場合、あなたたちがオフィスで働くことはありません、あなたたちの人生はすでに決められているからです、臓器提供が始まります、3~10年以内に最初の提供が行われるでしょう。それを聞いて八尋と鈴がなんと答えたかというと、「はい、そうです」、「理解しているってこと?」、「理解しています」、晴海先生は八尋と鈴をきつく抱きしめて教室を出て行きました。晴海先生が八尋と鈴をどう感じたかは小説をお読みになった方は想像するに難くないと思います。


そしてNEVER LET ME GOのテープが盗まれる?事件が起きます。事件と言っても失くしちゃった、程度のものですけど物語上非常に重要になってきますから一応書いておきます。失くなった理由は僕にはよくわからないです。そして八尋と鈴が性についての話をしています。というよりもとむの話なのですが、鈴はもとむが好きなのですよね。それに対して八尋は自分も好きだと言えない、それとも自分でも本当にもとむが好きなのかわかっていない、乙女心はよくわからないですがそんな感じじゃないかと。それで八尋ははじめてのセックスの相手を先輩のいくおという人にしようかと思っている、と鈴に話します。鈴は八尋に、わたしはもとむともう一度やり直したいと相談します。ちょっとこじれていたんですね、書き忘れていましたが晴海先生に作品をつくりたくなければつくらなくていい、と言われたのを自分より八尋に最初に話した、ということでいざこざがありました。で、やり直したいと。そのあと八尋ともとむが2人になります。もとむは、参っている、と八尋に打ち明けます。ここでも八尋に打ち明けるわけです。「鈴のこと?」、「いや、違う、晴海先生、見事にひっくり返してくれた。私が間違っていました。作品は重要です、作品をつくっていればいいことがあるかもしれませんって。」そして話し終わるともとむを晴海先生は強く抱きしめたそうです。ここで1部が終わります。


ちょっと込み入ってきまして小説でも複数の解釈可能性を含む描写が舞台でも再現されていました。役者さんの演技も非常によくて、14歳の少年少女を見事に演じられていましたし、なにより3人しか出てこない大人、冬子先生、マダム、晴海先生の3人の存在感も凄かったです。小説自体が難解じゃないですか。読み口は軽いのですが。それを舞台ではコントラストがうまくついて鮮やかに色分けされているという印象でした。



[第2部]

そして第2部です。場所がよくわからないのですが、小説でいうところのコテージ。ヘールシャムから出て生活する場所ですね。ヘールシャム出身者以外の先輩も何人かいます。りょうたとありさというカップル、小説で出てくる2人です、がいますがプログラムに役名が書いてなかったので漢字がわからないためひらがなで書いていきます。


八尋は論文を書いているのですね。論文を書くことによって介護人への道が開けるのですかね。エリートコースと周りに揶揄されています。鈴に、まだヘールシャムを引きずっているつもり? 品が合って教養があって、ヘールシャム出身そのままじゃない、と。僕もここらへんは小説をよく読み込んでいないのでコテージでの生活が外の世界に慣れさせるための第1段階という認識しかないのですがもう少し違った意味を含んでいるような気がしますね。八尋は鈴に聞きます。「あなた、無性にしたくなることない?」、「ないなー、もとむとすればいいし、それを治したいなら彼氏をつくるべきよ」。まだ八尋にはパートナーがいないのです。この欠落というものもやはり後々意味をもってくると思います。そこにりょうたがやってきて、「鈴、お前のオリジナルを見つけたかもしれない」と言ってきます。宝岬でガラス張りのオフィスで働いていた、お前にそっくりだった、と。鈴は興味のない振りをしてみせます。りょうたは、宝岬に車で連れて行ってやるからかわりにあれを聞かせてくれ、といいます。「ヘールシャムのやつだけがもらえる特典、3年間の執行猶予」。小説を読んでらっしゃる方はご存じでしょうが、この執行猶予というのはカップルの愛が本物だと証明できたら、3年間訓練を受けなくてもよし、家も与えられて2人だけで過ごせるというものです。彼らにとっての3年間というものがどういうものなのかは想像してみてください。八尋、もとむ、鈴、りょうた、ありさの5人で宝岬に行くことに決まりました。みんなが部屋に戻った後、八尋はポルノ雑誌を夢中で読み始めます。なにかを探しているわけですね。


宝岬に着いて、オフィスの鈴のオリジナルを見た後の海岸が舞台となります。結論としては、八尋「あの人は鈴のオリジナルじゃない。」 鈴は言います。「私たちのオリジナルがあんな風な人のわけがないじゃない、ヤク中、アル中、売春婦、…屑に決まってる」。りょうたはでも連れてきたんだ、猶予の話を聞かせてくれといいます。しかし鈴は、猶予の話は知らない、といいます。これは本当のことでヘールシャムではそのような噂はあるにはあったのですが噂の域を出るものではまったくなかったのです。しかしあるのではないかという可能性はみなが薄らと持っていましたが。5人は食事をすることになりましたが八尋は行かないと言います。するともとむも残ると言います。2人は残って海辺で話をします。もとむは、自分たちのオリジナルがどんな人かなんて保護官は何も言ってなかった、自分たちはたとえヤクがあってもやらないし、おれたちはおれたちの人生を歩んでいる!と言います。八尋は、ヘールシャムでは海の音が聴こえたけど行けなかったね、いつかまたヘールシャムに行けるといいね、と言います。もとむは買い物がしたいと言います。やひろ、「つきあってあげるわよ」。もとむ、それは八尋へのプレゼントなんだ、と。なんで突然?と八尋。もとむは話します、むかし八尋が失くしたテープ、あれ、鈴が内緒でみんなに探させたんだ、だから思った、宝岬には失くしてしまった宝物が辿りつく、必ずあのテープを見つけてやる!やひろは涙ぐみます。もとむ、「最高だろ!」


コテージに戻ります。八尋と鈴ともとむ。もとむは必死に絵を描いています。鈴はもとむが一生懸命絵を描くことによって周りから同情の目で見られるのが辛いとなかば非難めいて言います。もとむは、「マダムのもとには鈴の絵はあるけどおれの作品はないから」。鈴は、これ以上時間を無駄に使いたくないと言います。自分たちに残された時間をもとむとのために使いたいと鈴は思ったのでしょう。それに八尋に対する嫉妬心もあるでしょう。鈴は、なんのために描いているのよ、と聞きます。もとむは、「楽しいから…本当にすごく楽しいから」。りょうたが戻ってきてカセットデッキを起動させると、NEVER LET ME GOが流れます。鈴、「失くしたんじゃなかったの?」。見つかったのよ、と八尋。鈴はもとむを部屋から追出すと八尋にいま自分ともとむの仲は最悪だと打ち明けます。でも私じゃなきゃだめなの、なぜならもとむはあなたのことを恋愛対象としては見ていないから、もとむはね、複数の男性と寝る女性が理解できないんだって、と。八尋、「それは…知っておくにこしたことはないわね…」。その後すぐに八尋は介護人になるべく申請を行ないます。




[第3部]

第3部です。湿地に座礁した船、それを見つめる人々。そのなかに提供者となった車椅子に乗った鈴とその介護人八尋の姿があります。第2部から8年の歳月が流れています。鈴は明らかに弱気になっています。そこにもとむが現われます。3人は再会しますが鈴は浮かない顔をしています。この時点でもとむは1回の提供、鈴は2回の提供をしています。3人は船を見つめて、あの船はどこからやってきたのかと思いを馳せます。船がなにかを意味しているのだと思いますがちょっと言葉にはできないです。先に進みます。ヘールシャムはこのときすでに閉鎖されています。鈴、「ヘールシャムの第2視聴覚室を思いだすわ…夕陽がオレンジ色に染まったあの水面…」。ありさが2回目の提供で「使命を終えた」こと、きっと3回の提供を終えるまでに「使命を終える」人は公表以上に多いに違いないと。「りょうたさんは柏崎のセンターで会ったときは元気そうだった」と八尋。悲しかったけどしっかりしてたよと。鈴はますます悲観的になりますが八尋は励まします。「ここがヘールシャムだったとしたらここは砂漠ね。1番仲のいい友だちとこんなふうにおしゃべりするのよ」。海辺に流されてきた大きな看板を周りの人に手伝ってもらい立ててみると、それはあの日第2視聴覚室に呼び出されたときに見たのと同じくオフィスの広告でした。もとむ、「鈴の夢はマスコミになることだったよな」 鈴の告白が始まります。「提供を猶予してもらって。あなたたちなら確実に通る。お願い、八尋、やってみて!」。八尋は遅すぎると言います。鈴はマダムの住所の書いた紙を八尋に渡します。


舞台はマダムの家へ。部屋のなかにはイギリスの「ヘールシャム1号館」の絵が飾ってあります。マダムが現われます。あなたたちのことは覚えていますよ11年振りですね、とマダム。八尋はお願いにあがったと言います。もとむは3回の提供をしています、4回目の提供の猶予を、そしてわたしの提供の猶予をお願いに参りました、と。もとむはマダムの名前を知っていました。「こうさかさん」と呼びかけます。そしてマダムに自分の描いてきた絵を見せます。あの頃のおれはほんとうにバカでした。これだけで足りるかわかりませんがとりあえず持ってきました、と。マダムは、「これを使って2人の愛を証明すると?」 もとむは土下座をします。八尋も深く頭を下げます。マダムはしばらく黙っていましたが、「あなたはこの光景を見て、まだ傍観者でいるのですか?」


奥から冬子先生が現われます。彼女は車椅子を押されながら現れました。ここらへんから僕の独自の解釈をちょっと入れさせてもらいます。冬子先生はおそらくこれから臓器移植を受けるでしょう。そしていまキャビネットと共に去ろうとしています。キャビネットはヘールシャムに置いてあったものです。それは冬子先生にとっては誇りなのだろうと思います。彼女は実践的な主義者でした。冬子先生は八尋ともとむに聞きます。「なぜ2人の愛を証明するのに絵を選んだのですか?」 八尋ともとむはマダムのもとにある作品は真実の愛を見極めるためのものだったと信じています。冬子先生は、「あなた方の魂、心があるのだと、それを否定する人たちに全国各地でヘールシャムの子どもたちの作品を展示し、魂があるのだということを証明してきたのです。そして多額の寄付を得ることができました。」 冬子先生は続けます。医学は進歩しすぎました、逆戻りはできないのです、クローン人間の臓器移植以外の用途も考えられるようになったとき変わりました、と。「わたしはあなたたちのことを考えないことに決めました。あなたたちは不完全な存在だと。」 冬子先生はこれまでクローン人間のために闘ってきました、そしてヘールシャムというクローンにある種の人間性を育む場をつくることに成功しました。なかには晴海先生のようにクローンは所詮クローンなのだという真実を教えたほうがいい、それがこの子たちのためなのだ、という別の意味の主義者も現れましたが彼女はヘールシャムを去ることになりました。しかしそれ以上に、クローンに対するわれわれ人間の拒否反応は強かった。冬子先生を支援してくれる人々や企業の数は確実に減っていったのだと思います。それに冬子先生は屈し、ヘールシャムは閉鎖に追い込まれたのでしょう。


八尋「先生、これは審査だったんですか?」、もとむ「始めからなかったのですか?」、冬子先生「ありません。あなた方の人生は決められたとおりに終わることになります。ただ魂の証明にだけあったのです」、「あなたたちはまるでチェスの駒のようですね。でもね、たとえ駒でも幸福な駒だったはずです。」 八尋「先生にとっては追い風か逆風、それだけかもしれません。でもわたしたちにとっては人生のすべてです」冬子先生は、子供たちを見て嫌悪感や恐ろしさを抱いていました。クローンに対する不気味さ。本当にこのような子どもたちにヘールシャムのようなものをつくって少しでも人間らしさを育ませることに意味があるのか。その心の葛藤を常に抱えていたのだろうと思います。しかし、冬子先生は言います、「私は闘い、(その心に)勝ったのです」と。そう言うと、冬子先生はキャビネットの運搬業者とともに去って行きました。


マダムが八尋に話しかけます。「八尋さん、覚えていますよ、あなたのことを」 八尋がNEVER LE ME GOの曲にあわせて踊っていたのを。マダム「あなたはあの曲を母と子の歌だと解釈していましたね。」「でも違うのです、あの時私が見ていたのは…新しい世界がやってくるなか、古い世界を必死に抱えている少女の姿です。」マダムは八尋ともとむを見ます。「可哀想な子どもたち…」 ここで舞台端でヘールシャム時代の回想が行われています。鈴が八尋に失くしたテープの代わりに別のテープをプレゼントします。八尋「ありがとう!気に入りそうよ!」、鈴「よかった!」 マダムが去り、八尋ともとむの2人きりに。もとむはあのヘールシャムの頃のように大声で泣き叫びます。


時代はみんなで宝岬に行ったときに戻ります。宝岬で八尋ともとむはお店を周って、NEVER LET ME GOのテープを探し歩きます。そして八尋が先に見つけました。もとむ「おれが先に見つけたかったな」、「渡したとき、八尋がどんな顔をするかな、とか見てみたかった」


舞台はヘールシャムの時代に戻ります。あのスローモーションでサッカーをしている場面です。今度は女生徒もサッカーに加わっています。そしてその上にはヘリコプターが。ヘリコプターがなんであったのかは想像してみてください。そして舞台は終了しました。






4時間という長丁場でしたがあっという間に終わってしまいました。1度しか観れないことを残念に思いました。そして1度しか観ていないゆえに、僕の解釈は最小限にとどめさせてもらいました。たしか5月15日までやっていると思います。この記事を読んで興味を持たれた方は是非観てみることをお薦めします。まさに日本版「わたしを離さないで」と言っていいでしょう。カズオ・イシグロの小説も素晴らしいですが、それをここまで舞台として仕上げてきたスタッフと役者さんにはありがとうと言いたいです。


多部未華子さんはほぼ完ぺきな演技。僕が最初に多部さんを舞台で観たのは3年前?の「サロメ」ですが、確実に成長していますね。きっと大女優になるのでしょう。三浦涼介さんは1部、2部、3部で髪型を変えてましたね、たぶんw まあどうでもいいかもしれませんが原作のトミー以上にトミーな感じでした。僕は三浦さんはテレビでも見たことがないのですよ。でも素晴らしいお芝居をする方だと思いました。木村文乃さんは、僕は映画版のキーラ・ナイトレイが好きだったので比べてしまいますが、それでもやはり木村さんのほうが感情移入しやすかったです。そもそもこの舞台のセリフ回しが非常に自然で日常隣でこんなふうに話されていてもまったく違和感がないような感じなのですよ。だから木村さんの演じる14歳は本当に中学生ってあんな感じだよな、と思って観ていました。あとは冬子先生の銀粉蝶さん。一番のインパクトは入り口にあった銀粉蝶さんへの堀北真希さんのお祝いの大きな花なのですけどw 冬子先生はこの人しかいない!というほどはまり役でしたね。複雑な心情を持った役だったと思うのですが貫禄を持って演じられていました。冬子先生のような主義者の心理というのは本当に難しいだろうと思います。あとは床嶋佳子さん。昼ドラでお見かけしたことはありますが、まさにマダムでした!マダムも本当に難しい役どころですよね。冬子先生とはまた違った考えを持っている役どころ。どこまで子どもたちの側に足を踏み込むのか繊細な演技を求められたのではないでしょうか。なにしろマダムは普段は外部の人間ですから冬子先生とはスタンスが微妙にずれてきますよね。そして晴海先生役の山本道子さん。僕は勝手に冬子先生を「冬」、晴海先生を「春」、と思い込んで観ていたのです。声だと漢字が分かりませんから^^ だから対照的な役なのだろうと。しかし、そうシンプルでもないのがこの「わたしを離さないで」ですよね。迷い苦しむ大人の1人を演じられていましたね。晴海先生なしではもちろんこの物語は大変な空白を生むことになったでしょう。山本さんの演技力も素晴らしかったです。


と、まあこんな感じでした。蜷川幸雄さんの舞台はWOWOWでは観ていたのですけど実際に観るのは初めてでしたが、本当に「世界の蜷川」と言われるのは言われるだけのものを、本当にこちらを圧倒させ、感動させるものを持っておられるのだなと思いました。「海辺のカフカ」も観に行く予定ですがもしかしたらスケジュールが合わないかも。「わたしを離さないで」でこれだけのものを観せられると本当に期待してしまいます。あ、音楽にまったく触れなかったのですが、なんだろう、格調高い教会のミサ曲みたいな感じで世界を包んでいる荘厳さというものを感じました。


ということで、「わたしを離さないで」、観劇の感想でした。また観る機会があればな、と思います。そしてカズオ・イシグロも大好きになりました。カズオ・イシグロの小説をまだ読んでいない方、読んでみてください。なかなか一筋縄ではいかない小説で読み応え抜群だと思います^^

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