2015年5月5日火曜日

『夜想曲集』 カズオ・イシグロ

カズオ・イシグロの『夜想曲集』を読んだ。


夜想曲集: 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語 (ハヤカワepi文庫)
夜想曲集: 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語 (ハヤカワepi文庫)カズオ イシグロ Kazuo Ishiguro

早川書房 2011-02-04
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カズオ・イシグロの作品は『日々の名残り』、『わたしを離さないで』の2作を読んでいる。だが未だにその核心が掴めない作家でいる。それはおそらくイギリス独特の風土から来る物語造形が僕のなかで馴染んでいないからではないかと思っている。上2作の長篇は個人的には優れた作品であったと思うが、それと並ぶ作品、それ以上の作品はあると思っているので取り立ててカズオ・イシグロではなくてはならない理由はない。


5月1日に『忘れられた巨人』が発売されたがまだ買っていない。買うのを躊躇していたのは、買うための積極的な理由が見当たらなかったからだ。そこで5月11日から東京の銀河劇場で舞台『夜想曲集』が公演されるのだが、これを機会に『夜想曲集』のほうを再読してみることに決めた。読み終わって書いたのがこの感想である。


まずこの作品だが、夜想曲という名前を冠している通り、小品=短篇作品が5つで構成されている。
「老歌手Crooner」
「降っても晴れてもCome Rain  or Come Shine」
「モールバンヒルズMalvern Hills」
「夜想曲Nocturne」
「チェリストCellists」
この5作品を1つの繋がりあるものとして作品は構成されている。


「老歌手」

おそらく米ソ冷戦終結後の時代であろう、共産圏出身の男ヤンが主人公になっている。ひとつ書いておくが、この5作品に共通すると言っていいかもしれないが、主人公である語り手は主要な位置を占めることはない。この小品ではタイトル通り、老歌手のトニー・ガードナーが主人公となっている。


トニーはまだ冷戦期に一世を風靡した歌手である。彼の名声は共産圏に住んでいたヤンの家族にまで聞こえていて、ヤンの母親はトニーの歌に心励まされ生きていた一人だった。ヤンの母親にとって共産圏の暮らしというのがどういうものであったかは推測するしかないのだが、トニーのような西の国の歌手の歌が心の支えとなる、それもトニーは大衆歌手だ、それが皮肉でもある。


そのトニーはベネチアに妻のリンディと旅行に来ていたところでヤンと出会う。ヤンはギタリストで、彼はトニーに妻のリンディに愛の歌を捧げるイベントの伴奏者を頼まれる。舟で水路を通り、彼らの泊まっているホテルの窓の下でトニーが愛の歌をリンディに捧げるのだ。ヤンにはロマンティックなイベントに思われるが、トニーとリンディには複雑な事情があることがわかる。


リンディはトニーとは再婚で、それ以前はディーノという流行歌手と結婚していた。しかしディーノの人気が陰り始めるとともに2人の仲も冷え込んでいった。そしてディーノと別れ、トニーと結婚した。彼女はミネソタ生まれでアメリカンドリームを追いかける典型的な女だった。ディーノが傾くとともにリンディは次のパートナーを探し始めた。そういう女だとトニーもわかっていた。そして人気が陰るときがトニーにもやってきた。だがリンディと同じくトニーもパートナーを探していたのだ。自分に陰りが見え始めたことに気づき、若いパートナーを探し始める。若い女と結婚し再起を賭けることに決めたのだ。このことが一体どこまでリアリティを持っているのかは僕にはわからないが、物語としては明解ではある。大衆芸術の世界で生きる2人には大衆の人気がなによりだ。必要なのは才能ではない。


トニーはリンディの心に届けとばかりに歌声を送るが、それはリンディには届かない。そして届かないことにリンディも気づき涙する。2人は交わす会話も噛み合わない。なにもかもがうまくいかない時期が来たのだ。ただそれだけだ。そしてそこにはヤンとその母親が抱いていたトニー・ガードナーはいなかった。そこにいるのは27年連れ添った妻に別れのメッセージを送る、年老いた老歌手トニー・ガードナーがいるだけだった。


と、こう書くといかにもシリアスな話のように思われるかもしれないが、この小品集には、僕が今まで読んだカズオ・イシグロ作品のなかでもずば抜けてユーモアが盛り込んである。この「老歌手」ではあからさまではないが、年を経た夫婦の年月を感じさせる独特のユーモアがある。この『夜想曲集』の5作品すべてに言えることだが、出てくる登場人物には人間としての深みはない。つまりは教養的な人物など出てこないと言っていい。吐き気がするほど薄っぺらい人間も出てくる。人生について一辺倒な答えしか出せない思考停止状態の人物などもいる。


しかし、それらの人々にも必ずといっていいほどあるのがその「味」だ。彼らがこの同じ世界で生きているかもしれないと「共感」させるなにかがある。それが作品にほどよい「味」を与えている。つまり大味な人間描写をカズオ・イシグロはまったくしていない。味にも深みがあるだろうと言われれば、そういう意味では深みはある。だがその味付けは一流の料理人の味付けだと言っていい。僕が読んだ前2作品よりも抜群に優れている点はそこにある。


冒頭でも書いたのだが、カズオ・イシグロの長篇に匹敵する作品はあるだろう。しかしこの作品のような優れた短篇集はなかなか読んだことがない。代替できない、まさにカズオ・イシグロならではの短篇集であると言えるだろう。


書いていたら長くなってきたので、他の4小品はさらりと。


「降っても晴れても」

舞台はスペイン。うだつの上がらない中年男レイモンド。大学時代の友人夫妻チャーリーとエミリの家を訪れる。2人の関係はギクシャクしており、チャーリーにエミリとの仲を取り持ってくれと頼まれる。その頼まれかたがまず巫山戯ている。


要は、お前ほどのうだつの上がらないやつを見れば、エミリは俺のことを見直すだろう、ということ。レイも”あること”がきっかけでその話に乗ることになる。その前に書いておきたいのはチャーリーが歯医者の女に恋をしているということだ。肉体関係はもちろん恋愛関係にもなっていない。ただ、チャーリーは歯医者の女に会うためにせっせと「デンタルフロスを使いすぎている」。チャーリーはそういうやつだ。レイは上に書いたような”あること”からチャーリーとエミリの家を近所の犬が現れて部屋をぐちゃぐちゃにしたと見せかけなくてはならなくなる。そして犬の真似をして部屋を荒らしているところをエミリに見られる。このあと、レイとエミリの噛み合わない会話が続く。


読み直して気づくことは物語から受ける印象が村上春樹に近いということだ。もちろんこのような言い方は作家に対する侮辱と取られかねないが、非常に読みやすく、「チェリスト」は少々違うように思うのだが、登場人物の行動の傾向、そのあとの展開というのが抜群に面白い。そしてタイトルの付け方のセンス、この小品ならば、くたびれかけつつある人間に「夕暮れ」が象徴されていると言っていいだろうか。いささかシンクロしすぎている気がしなくもないが、その善し悪しの評価は読者に委ねられるだろう。


「モールバンヒルズ」

モールバンヒルズが舞台。主人公のギタリスト志望の男が、姉のマギーとその夫ジェフの経営するカフェで働くという話。主にドイツ人夫婦ティーロとゾーニャとの交流が語られる。


とにかく5作品を通じてまともな人間関係などない(それが普通?)というほどみんながギクシャクしている。ジェフは主人公の音楽の才能を認めない。姉のマギーもそれに近い。ティーロとゾーニャはそんななかで主人公の弾くギターを評価してくれる主人公の「芸術」の理解者だ。だがこの夫婦の仲があまりうまくいっていない。結婚生活の中ですれ違いが起きてしまって歳月が過ぎてしまったようだ。ひとつ感じられるのは、ゾーニャはティーロを大部分で認めていないだろう。僕に言わせればティーロは何もかもに批判する能力がない。判断力が欠如している。ゆえに行動が常に受動的にならざるを得ない。そしてそれを本人がまったく自覚していない、そういうことになるだろう。いい意味で言えば楽天的と言えるかもしれないが。


この『夜想曲集』に通底して見られるのは、古い女は若い女に男を取られる。そして逆もまた然りということだ。そのことを肯定的に見るか否定的に見るかはまた読者に委ねられるが、それが作品全体にある種の倫理的ではない別の価値観を与えているように思う。そのことはカズオ・イシグロの他の作品でも感じられる。僕なりの言い方をさせてもらえば、紋切り型の人間は出てこない。ゆえに善人なんてものも出てこない。悪人もない。だからみんなが相対的なものの見方でしか評価できない。そこが一種独特のリアリティを作中に醸し出させているとは言えるだろう。


「夜想曲」

5作品のなかで最もページ数が割かれている作品。この作品には「老歌手」で出てきたリンディ・ガードナーが再び登場している。主人公はスティーブ。サックス奏者で39歳。自分がサックス奏者として成功しないのは顔が悪いからだという理由で整形手術をすることになる。それまでの経緯が巫山戯ているのだが、そこは読んでみて楽しんでもらいたい。


最高クラスの腕を持つ医師に整形手術をしてもらったスティーブ。顔は包帯でぐるぐる巻きで、ビバリーヒルズの高級ホテルで術後の経過を見ている。そのスティーブの隣の部屋が、たまたまテレビで有名なセレブ、リンディ・ガードナーだった。スティーブはリンディからの不意の電話を受けてリンディの部屋を訪れることになる。


その前にスティーブのことを少々書いておく。彼はクロゼットの中でサックスを弾くことを日課にしている。変人ではない。家が狭いので近所迷惑にならないようにクロゼットを擬似防音室のように作り変えその中でサックスの練習をしているのだ。そんな彼の姿を見てか、妻はほかの男に取られてしまう。だがスティーブには音楽で成功するという夢がある。そのためには日夜クロゼットのなかに籠るのだ。


さて、リンディに呼ばれたスティーブだが、スティーブにとってリンディは、「この世の浅はかさと胸糞の悪さを象徴する存在」である。彼女と会話を続けるうちにスティーブは、おれはこのくずと同じところまで成り下がった、と思う。結局自分も大衆受けを狙うこの女のようなクズ野郎なのかなと。


繰り返し言うが、この『夜想曲集』を流れるのはユーモアである。僕たちはこの清濁併せ持つ世界を受け入れることが必要になるのだ。決してスティーブのことを悪く思わないでほしい。それが通じないのならば、僕の文章の表現力不足であるので、是非本作品を直に読んでいただきたい。5つの小品はそれぞれ明確な結末などはないがそれぞれの完成度は非常に高い、と僕は思う。書くべきことは書ききっているという感触を受ける。


スティーブに関しては、芸術の大衆化を受け入れないという姿勢が感じられる。しかしはっきり言うと、スティーブ本人に才能があるかどうかもこの作品には書かれていない。文章ではその音楽を書ききることはできないからだ。上では書かなかったが、スティーブは妻を取られた男の金で、しかも妻の提案で顔を整形するという奇行に走る男だ。この男のどこまでを信用すればいいのかはなかなか難しい。


とにかく道徳的とか倫理的とかそういうものとは別な、神話的とも言える、ゆえに現代では滑稽に思われる、独特の世界観があるのだ。それがカズオ・イシグロの世界を窮屈でなくさせているとははっきりと言えるだろう。


では、この「夜想曲」で印象に残った台詞を抜粋してみる。


>「けつに釘刺して死ね!」
けつに釘が刺さったら死ぬのかは不明である。もしかしたら英語圏の慣用句かもしれないが僕は英語圏に行ったことさえないので検証不可能である。


>「ええ、とてもよかったです」おれはそう言いながら、これはサックスのことでいいんだろうな、と思った。
リンディがスティーブに元夫のトニーのCDを聴かせる場面。リンディは大衆音楽を聴きながら恍惚状態になっている。耐えられない程感傷的なリンディがスティーブに感想を聞いてそれに答えた場面。リンディがスティーブをサックス奏者と認識しているかは不明。


>「スティーブ、あなたチェスはやる? わたしは世界最低のプレーヤだけど、チェスセットはすごいのがあるの。先週メグ・ライアンからもらったのが」
世界最低のプレーヤもメグ・ライアンのチェスはお気に入りらしい。それ以上は敢えて突っ込まずに次へ。


>「おれに旦那のレコードを聞かせやがった。くそっ。いまも別のやつをかけてるだろう。おれも落ちぶれたもんだ。あれがいまのおれのレベルか」
スティーブの台詞。


>「メグ・ライアンのチェスセットって何だ。駒が全部メグなのか」
電話で友人のブラッドリーがスティーブに言った台詞。


と、リンディの俗物ぶりが延々と続くこの十数ページ。その後、リンディがスティーブの演奏したCDを聴く場面がある。それを聴いたリンディはゆっくりと踊りだすがそれは長続きせず、2人のあいだに気まずい空気が流れる。このあとの結末は是非読んで確かめて欲しい。スティーブは終いにはステージ上で七面鳥の丸焼きを右手に刺してぼ~っと突っ立っている男になる。


ただ、リンディは興味深い台詞を吐く。
人生は一人の人間を愛するより大きい、と。


「チェリスト」

舞台はイタリア。主人公はサックス奏者、いや、語り手がサックス奏者で主人公はチェリストのティボールだろう。この小品はティボールとチェロの大家エロイーズ・マコーニックの話だ。


ティボールは元共産圏のハンガリー出身の若者だ。彼はオレグ・ペトロビッチの指導を受けたことを誇りに思っている。だがある日ティボールの前にエロイーズが現れて彼のチェロを指導することになる。ティボールは彼女の指導のもと、チェロの腕を上げていくが、ひとつエロイーズには謎があった。それはエロイーズがチェロを弾かないことだ。


この小品ではティボールのエロイーズに対する内面の移り変わりを丁寧に描いている。疑念が信頼に変わり、また疑念へと。エロイーズはおもわせぶりに”わたしたちのようではない”などと抽象的なことを言ったりするが、それが意味するところはわからないまま日々が過ぎていく。


結局エロイーズが本物であったか、偽物であったかはわからない。ただ、エロイーズに触れたことでティボールは変わった。彼は友人から、ある室内楽グループの仕事を持ちかけられるが、それに対してそれが自分には相応しくないと感じ、断ろうとして友人を怒らせたりするようになる。周りはエロイーズのせいでティボールは変わってしまったと言うのだった。


ただ、この作品の結末を僕なりに解釈するのならば、エロイーズは本物であったかもしれない。しかし彼女は芸術とは縁遠い実業家の男と結婚する。一方エロイーズから本物を伝授されたティボールは芸術の本物への扉を開けてしまったのだろう。といっても彼は室内楽グループの職に就くことになるのだが。だが、「夜想曲」でのリンディの台詞に合わせるのならば、エロイーズは一人を愛する道を選び、ティボールは人生を選んだようにも見える。だが、何度も言うようだが、そこには答えはない。


と、5作品について、ちょっとした感想を書いてきたが、『夜想曲集』という作品の魅力を少しでも書くことができていたらなと思う。カズオ・イシグロの長篇とはまた別の、短篇のための作品を書いたのだろうということをかなりはっきりと僕はこの作品を読んで感じたのだ。「音楽」と「夕暮れ」の、まさに人生の断片を鮮やかな筆致で切り取った5つの小品、そしてそれが纏められた短篇集になっているのではないだろうか。


カズオ・イシグロに興味を持たれた方は、本作品、それは決してカズオ・イシグロの入門的なものではない、そして最新の時代の作品に触れたいのなら『忘れられた巨人』を手にとってみてほしい。


忘れられた巨人
忘れられた巨人カズオ イシグロ Kazuo Ishiguro 土屋 政雄

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3 件のコメント:

  1. 舞台のために久しぶりに再読しましたが、本当に深い味のある、全体でひとつの流れる音楽のような、よい短編集ですよね。

    「だからみんなが相対的なものの見方でしか評価できない」というのになるほどと思いました。そういえば二択ばかり提示されますね。そして、答えはない。

    リンディの、人生は誰か一人を愛するより大きい、という言葉は強いですよね。
    でもガードナーの音楽をずっと聴き続けているところが、せつないですけど。。。
    ガードナー夫妻が揃って口にする、人生に出て行くべき、という主張も、考えさせられました。
    エロイーズは出て行けなかったのか、ティボールは出て行けたのか、そもそも人生って…と考えだすと止まらなくなってしまうのですが(^_^;)

    私は「チェリスト」が一番掴みどころがなかったので(でも心に残っています)、舞台でどうなっているのかがとても楽しみです。
    「降っても晴れても」もとても気に入っているので、こちらは芝居で観られないのが少し残念です。確かに村上さんぽい雰囲気だけど、あのラストシーン、好きです。

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    1. コメントありがとうございます^^

      この記事はまとまりがないかもですね。特に前半部分がかなりいい加減に書いてますよね。でも意外に長く書けたのは作品に助けられたところが大きいです。

      チェーホフの影響がある?みたいな話も聞きますけど、そこは僕が感じたとおりに僕の言葉で書いたつもりなので難しい用語は使いませんしチェーホフとかそんなもの知りませんということで(汗)

      あれですよね、善悪はっきりした紋切り型のキャラはうかつに出しちゃいけませんよね、奈菜先生。そうするとキャラクター小説になってしまうおそれがありますからね。カズオ先生のそういうところは見習うべきでしょうね。

      答えがないところはチェーホ○の影響とかあるのかなと思いますけど、僕がチェーホ○を読んだのがだいぶ(10年以上)前なのでこれから再読してみます。

      「人生は誰か一人を愛するより大きい」、リンディが言ってるので信用おけるかわからないので慎重な判断が必要ですね。果たしてそうなのか、「誰か一人を愛することは人生より大きい」のか。リンディはその通りだと思っているでしょうけどw

      そういう考えさせる、想像を膨らませることができるところが、春樹と似ているといえば似ていますよね。何度も読み直すべき作品だと思います。

      「チェリスト」は舞台でどうなってますかね。想像を膨らませて待っていてください。その待つ時間も楽しいですよね。「夜想曲」ではリンディ役は安田成美さんでしょ。どんなふうに演じるのか。スティーブ役を東出昌大さんがやるのかな。

      「降っても晴れても」もいいですよね。この『夜想曲集』はかなり僕は気に入ってますよ。昨日、一気に読んでしまって、そのあと2時間でこの記事を書き上げました。ゆえにこの完成度の低さです・・・。でもかなり読んだな!と実感したのでこれも原作を読んでみたいなと思いました。

      本は読み込めば読み込むほど愛着が湧いてきますね。こういう本に出会えることは幸せですよね^^

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  2. 原文英語で読みました。
    あなたと同じ読後感を持ちました。
    パットしない登場人物に、さしてドキドキもしないストーリー。
    しかし、バッハの通奏低音のように、全体を貫く人間愛と言うか人生愛というか、そのようなものが絶えず聴こえてくるような、爽やかな読後感を得られました。

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