- こんにちは。
- 今回は買おう買おうと思っていて、なかなか買えなかった『想像ラジオ』の感想を書きたいと思います。
- 初めて「文藝」で読んでからどれほどの月日が流れたのか・・・。
- アメブロに数行補足しています。
- それではいきます。
- 今回は買おう買おうと思っていて、なかなか買えなかった『想像ラジオ』の感想を書きたいと思います。
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- 想像ラジオ (河出文庫)/河出書房新社
- ¥486
- Amazon.co.jp
DJアークの軽妙な語りにより始まるこの『想像ラジオ』。
Amazonのレビューでは賛否両論、芥川賞候補作とあって、多くの人が感想を書いています。
僕も単行本が出たときに感想を書いたかな~文藝で読んだときに書いたのかもしれませんね。でもあの頃は震災の空気にまだ飲まれていたので正確な判断はできてませんでしたね、きっと。今もできてるかわかりませんが。
さて内容ですが、5章構成で、1、3、5章がDJアークの語りになっています。このDJアークの語りが軽いのではないかという意見が多くあるようです。僕が想像するに、と言っても当然みなさん気づかれると思うのですが、DJが話してるから話し言葉になっているわけですよね。だから普通の会話みたいな口調なのです。そしてそれは当然作家のいとうせいこうさんは意図的にやっているわけですよね。なにせDJに語らせるという設定にしているのですから。
このDJアーク、東日本大震災の津波に流されてどこかの木の枝に引っかかった死者です。その彼が生きてるか生きてないか気づいてるのかわからない状態でDJをやっているのです。「想ー像ーラジオー」みたいな。ラジオのDJの設定にしたというのはやはり聴取者、つまり受け手のことを考えてでしょうね。あの震災後の状況でみんなが1番耳を傾けたのはラジオじゃないですか。テレビという方ももちろんいると思いますけど、震災後の混乱のあと、東北は長いあいだ渋滞していましたよね。多くの人が車に乗っていてラジオを聴いていたというのはあるでしょう。
みんなに届け、想像ラジオ、ということです。実際DJアークのような亡くなり方をされた方というのはかなりの数おられるという話を聞きます。1万5千人以上の方が亡くなられているという事実は、1万5千人以上の方の死体があるということです。そんなことは想像できない、というかたは想像してみてください。そんなDJアークがこの物語の主人公です。
DJアークは若い頃は音楽を志したり、作家を志したりして、その後音楽業界に職を持っていたのですが、一念発起して田舎で土を売る仕事を兄とやることに決めて東北の太平洋側の小さな町に帰ってきたのです。妻と子どもがいます。子どもは東京に残してきたのかな。息子の名前は草助です。草のようにいろんな風が吹いても柔らかく受け流す瑞々しい子に育ってほしいみたいな、アメリカンスクールにアークは父のすねをかじって通わせているようです。
DJアークは想像ラジオを通していろいろな人と交流します。このラジオは耳を澄まして想像してみると聴こえるらしい。いろんなリスナーがアークに電話?をしてきます。でもDJアークはこの想像ラジオで密かにやろうとしていることは、妻と子どもと連絡をとることなのですね。どうして連絡してこないの?もしかして死んじゃったんじゃないの?などと不安に思ったりするのですけど、アークさんそれってもしかして奥さんと子どもさんは生きてるから連絡がとれないんじゃないですか、などと励まされもします。実際父と兄は連絡取れましたからね。この結末がどうなるかは読んでみてください。
僕も最初はこの作品を読んでちょっとした違和感を感じたのですが、それはAmazonレビューで多くの方が言及されていた口調の軽さなのかなと思ったのですが、それは上で書いたようにわざとDJに語らせているのは明白ですし、ラジオを媒体としたのもいとうせいこうさんが意図しているもので、さらに言えば、DJアークという平均よりちょっと下の人物を主人公に持ってくることによって、より悲劇を喜劇的なユーモアで包んでしまおうというか、そこまで言うと言いすぎですかね、作品のバランスを取ろうとしていると思うのですよね。
だから読んでみて、面白くなかったとか軽すぎるとか感じた人に僕がおすすめしたいのは、まず第1に、東日本大震災とはひとまず距離を置いて作品を読んでみること。そうするとこの作品の構造、文体がよくできているということがわかると思います。また第2には、東日本大震災の当時のことを思い出してみてください。テレビから流れるあの映像。土砂崩れで家族を生き埋めにされた女性が必死に救助隊に助けを求めている場面が今でも脳裏に焼きついています。もう何もなくなっちゃったよ、と号泣されておられました。そこまでの状況のなかでDJアークはみんなにラジオを発信しているのだと想像してみてください。こんな切ないことってありますか。
いとうせいこうさんは、おそらくこの作品が後世になっても読み伝えられるように、みんなが想像してくれるようにと願って書いたのだろう、ということをまさに僕らが「想像」できるのではないかと思います。この作品は文体としては独創的ではないように思います。そこが芥川賞を受賞できなかった理由のひとつではないかと思います。でもそれはきっと書き手であるいとうせいこうさんは、自分の名前が残るより、いっそ読み人知らずになってしまってもいいから、伝承としてこの震災が長く語り継がれることを祈って書いたのではないのかなと僕は思います。
この作品の2章でおもに語られていましたが、震災を体験しないものが震災を語る資格がない、などということがあるのだろうかという問題があります。このことはかなりデリケートな問題なので結論は出ないでしょうが、僕が思うに震災については自分が語らなくても誰かが語ります。ならば自分なりの意見を持って語ったほうがいいのではないでしょうかということです。太平洋戦争について僕の祖父はなにも語りませんでした。今思うと語らないのではなかったような気がしますね。それだけ深い傷だったのでしょう。僕が戦争について知っているのは学校で教えられたからでしょう。語り継がれないものは消えていくか誰かが語るものです。そして1番恐ろしいのが歴史が改ざんされることですよね。
震災について想像してみてください、そして語れるのかどうか考えてみてください、ということをいとうせいこうさんは伝えたかったのではないでしょうか。広島や長崎のように僕らが福島を語ること。阪神・淡路大震災や東日本大震災などの自然災害についても。成長神話のなかで原発推進がお決まりごとのようになっていますが本当にみんなはどこまで快適な生活を送りたいのでしょうか。いい加減にどこかで考え方を変えてみる必要は本当にないのか、ちょっと立ち止まってみる必要もあるのではないでしょうか。アメリカグローバリズムによって世界は緊張をいや増しているということはないでしょうか。世界を動かすトップエリートたちは国を動かすことがただ楽しいというだけのゲームとして世界を動かしている側面はないでしょうか・・・などと僕が言うまでもないことですが。
震災後に書かれた作品としては、この『想像ラジオ』と、川上弘美さんの『神様 2011』、高橋源一郎さんの『恋する原発』など。僕の読む本の傾向が偏っているのであくまで僕が読んだ作品ということで。川上さんの作品は『神様』の2011年度版。震災後に表現や想像力がどのように変わってしまったかを作家らしいアプローチで書いていましたね。といってもそんなに真剣に読んでなかったのですが。でもさすが作家さんということですよね。
そういう点でこの『想像ラジオ』はあまり文学作品と言えるものではなかったかもしれませんが、DJアークという語り手のおかげで、ふだん本などを読まない人たちにも受け入れられる作品になっていたのではないかと思います。まあもともと作品の文学的な出来不出来というものは僕のような人間が評価するものではないのでそれは人それぞれということで。
あ、あと補足ですが、この作品は死者であるアークが想像を働かせていろいろな人と「想像ラジオ」で交流を図るわけですが、それが生者の耳まで聞こえるのかという問題もありますよね。この問題を通して、いったい「死の世界」というものがどのようにして成り立っているのかということも考えさせられると思います。死の世界というのは生の世界が存在し、そこにいる人々が想像することを通してこそ存在する、と考えることもできるのではないでしょうか。だからDJアークの「想像ラジオ」というもの自体が僕らの死後の世界への憧憬となっていると言っても過言ではないでしょうね。この作品は僕らの想像力を試している。
最後に、僕はこの『想像ラジオ』について人に話して聞かせたのですよ。そうしたら泣かれる方もいらっしゃったのですね。だからこの作品の小説のフレームや語りの手法などに違和感を感じた方も、それはそれとして受け入れて読んでみてほしいです。きっと心に伝わってくるものがあると思います。この作品はふだん本を読んでいる人だけでなく、もっと大きな層、でかいことを言うなら日本語を読める人全員をターゲットとしている本だと思います。読んでいない方は1度読んでみることをおすすめします。
わたしはまだこの本を読めずにいます。
返信削除どこまで読んだんだっけ…でも、
>震災を体験しないものが震災を語る資格がない、などということがあるのだろうかという問題
このあたりは読んだはずです。そして、経験しない者に語る資格がないということはありえない、そう思っています。「当事者でない者に、なにがわかる」というのは二の句を封じる最大の文句なのですが、それをいっちゃあ、オシマイだよ。わからないけど、それでもコミットしようとする者に対しては、拒絶でなく、思い込みや間違いを修正する方向で対話するほうが、お互いのためになると思いますです、ハイ。
わたしは、どうやら問題となっているらしい、「語りの軽さ」は「問題に向き合う態度の軽さ」ではないと考えています。死者の語り口が軽いことが、その死の理不尽さを貶めることにはならず、かえってそれを強く思わざるをえないように仕向けることもあるのですから。
この作品は、たぶん、大傑作であろうという感じだけは持っています。
コメントありがとうございます。
削除コミットするということが非常に難しいと思いますが、僕も師匠の意見に同意いたします。もうどうしようもなく日本という共同体の一員となってしまっているわけですから。僕たちの共同体の中でなんとか解決していかなくてはならない問題だと思います。そこにどうやって想像力を働かせそれを実践に移していくか。文学という形でいとうせいこうさんはひとつの方向性を示したということだと思っています。
そう、大切なのは「問題に向き合う態度」なのですよね。それをDJを通しての語りにしたということで、おそらくみなさんが文学に対して抱いている語り口と違ったのでAmazonでは「軽い」とかいう違和感を感じてレビューされた方もいたのでしょう。
>死者の語り口が軽いことが、その死の理不尽さを貶めることにはならず、かえってそれを強く思わざるをえないように仕向けることもあるのですから。
まったくそのとおりだと思います。見当はずれかもしれませんが、どのような人でもひとつの命だと思います。その語り口が軽かろうが重かろうがは命の重さとは関係ないだろうと。師匠の言うとおり、なおこの作品でDJアークの語りにより震災について想いを強くした人も多いだろうと思います。
いつか師匠に読んでレビューを書いていただきたいです。
僕はこの本を読んでみてそれを肯定できるように読めてよかったと思いました。
少なくとも東北の大震災に対して向き合うことができる、そんな気にさせてくれました。
書店で手に取り、その場で最後まで読んでしまい、でも買うことはできませんでした。手元に置くには強すぎて、苦しかった。私が東北に行ったのは震災の3年後ですが、何もなくなった土地に家の基礎だけが残り、そこにあった生活がさらけ出されているように見え、吹きすさぶ風に町の声が聞こえる気がしました。それはまさにラジオだったと、私が受信していたものだったと思います。でも、この本のことは誰とも話題にできませんでした。今もできません。そのくらいの衝撃を受けた作品です。
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