2017年7月19日水曜日

『和解』 志賀直哉

志賀直哉の『和解』について。


和解 (新潮文庫)
和解 (新潮文庫)志賀 直哉

新潮社 1949-12-07
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志賀直哉の『和解』について、作者志賀直哉とその作品の主人公順吉について考察する。
始めに志賀についてであるが、志賀は宮城県生まれであるが育ちは東京である。父は経済界で成功した人物である。志賀は生まれてから祖母のもとで育てられる。学習院を経て東大へ進学、白樺派の主流となる。この『和解』という作品を書いていた当時父とは不和であったが、作品を書き上げる途中に「和解」を成し遂げている。
 

『和解』の主人公順吉であるが、その生い立ちについて語られることはほとんどないし不和となった原因について語られるこ
ともない。作品を読んで作者との類似点と見受けられるのは父と不和であることである。作中では妻との結婚に反対されたこと、長女の死のときの父の振る舞い、麻布の父宅に住む祖父母に会いにいく際に父を気にしなくてはならない出来事などが語られるがそれが事実であるかどうかは定かではない。


 ここで私が視点として取り上げたいのは、講義で取り上げられた、志賀の不和の描き方である。講義では不和であった父と子の和解を、その原因を描きそこからの結果としての和解を描く、つまり因果関係を描くのではなく、上記順吉について書いたように感情のもつれの出来事を繰り返し反復することによっていわば習慣的なものとして出来上がった不和というものについて描いている。そこに講義では論理より感情を優先して描く日本文学的志賀直哉像というものを求めていたように思う。それが志賀文学を好むかどうかの分水嶺となるのではないかと話されていた。


 私は上に書いた論理より感情を優先したという『和解』での志賀という作家の語りの独自性からこの作品の主人公順吉の関係性について考察してみたい。『和解』を読んでいて私が思ったのはその感情のもつれの描き方の論理性の高さである。一般に志賀の文章は名文と呼ばれているようだが、私は読んでいてその文章の装飾のなさに違和感を持った。センテンスも短く、その短いセンテンスが連なってできる文章の束が志賀文学の文体の特徴ではないかと思った。志賀のこの文章を名文と呼ぶのならば文章に装飾を凝らすような尾崎紅葉などとは違い、自然主義を徹底したゆえに出来上がった文体が志賀の文体なのではないかと感じた。その文体は私から見るとミニマリズムを徹底した非常に論理的な文章で理知的である。そのような文章が連なることによって『和解』の登場人物の感情の機微が描かれているのではないだろうか。


 『和解』に出てくる人物は非常に理知的である。父は財界で名を上げた人物であり論理展開が理知的で、順吉もその語り口は論理明快である。義母も父と子のあいだを取り持つだけの頭の回転の良さを持っている。祖母も感情を表に出すような人間としては描かれていない。皆が論理的である。つまり彼らは高等な明治のエリートなのであると私は思う。そのような人物たちについてエピソードを通して不和が語られる。父との和解に至ってはそれが顕著に現れている。引用すると父の語りはこうである。「よろしい。それで?お前の云う意味はお祖母さんが御丈夫な内だけの話か、それとも永久にの心算で云っているのか」。このような言い方は感情を重視したものの言い方ではない。その後に続く順吉の科白もそうである。


 結論を言うと、彼らは明治という時代のエリートなのである。教育をしっかりと受けた人物であるからその家族の会話も論理的で理知的になる。エリートの家族の感情のもつれにほかならない。そのようなエリートが織り成す人情劇が当時の人々に受け入れられ志賀が大人気作家となったのだということに私は奇妙を感じる。だが、それは明らかに志賀直哉という作家が『和解』の順吉を含めその家族のような環境で育ったということを語っているのに等しいことが裏付けられると思う。なぜなら『和解』のような家族を書いている志賀自身も作中人物のような論理的、理知的な文体で作品を書いているからである。



 ゆえに登場人物である順吉の語りから順吉には志賀の人間性が投影されているということは十分言うことができるのではないかと思う。以上のことは私小説ではなく本格小説にも当てはまることではあるかもしれないが、私は『和解』を読んでいて、その影に志賀直哉という人物を強く感じた。それは本格小説では可能とされるだろうロラン・バルトのテクスト論のような「作者の死」を拒否する作品の「私小説性」というものが現れているのだと考えたいと思った。

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