2018年1月29日月曜日

「わたし」について考察したあと。

こんにちは。

最近は夏目漱石の『こころ』を読んでいました。『こころ』は僕が最初にまともに読んだ小説です。僕は『こころ』を読んだとき、僕という存在を根本から考えさせられる、そういう体験をしました。それはいったいなんだったのでしょう。そのなかの大きな要因のひとつに、「下 先生と遺書」があると僕は考えます。




「下 先生と遺書」は先生がもうひとりの主人公「私」に向けた手紙=遺書です。この遺書は先生の実体験をもとに書かれています。漱石の『こころ』という小説のなかに存在する先生が私に過去を告白する。そういう形式を取っています。先生は遺書を書いたわけですが、それが僕には先生の私小説のように読めました。僕はきっとその私小説のもつ吸引力に惹かれていったのだと思います。僕は先生の遺書から先生の「わたし」を感じ驚愕し震え戦いたのです。

これは私小説の元祖といってもいいかもしれないジャン・ジャック・ルソーの『告白』に近いかもしれません。僕はこの小説を無視することはできないです。自分の過去を赤裸々に告白する。

「最後の審判のラッパはいつでも鳴るがいい。わたしはこの書物を手にして最高の審判者の前に出ていこう。高らかにこう言うつもりだーーーこれがわたしのしたこと、わたしの考えたこと、わたしのありのままの姿です。よいこともわるいことも、おなじように率直にいいました。何一つわるいことをかくさず、よいことも加えもしなかった。(略)永遠の存在よ、わたしのまわりに、数かぎりないわたしと同じ人間を集めてください。わたしの告白を彼らが聞くがいいのです。わたしの下劣さに腹を立て、わたしのみじめさに顔を赤くするなら、それもいい。彼らのひとりひとりが、またあなたの足下にきて、おのれの心を、わたしとおなじ率直さをもって開いてみせるがよろしい。そして、「わたしはこの男よりいい人間だった」といえるものなら、一人でもいってもらいたいのです。」(『告白』 J・J・ルソー)

先生の遺書とルソーの『告白』の恐ろしいまでの切迫感。これが僕のいう「わたし」の謎です。その謎を僕は追いかけてきました。しかし最近になりますが、芥川龍之介の「藪の中」を読んだのです。


藪の中 藪の中
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「藪の中」は説明する必要のないほど有名な作品ですので説明はしませんが、多襄丸、妻、死んだ夫の3つの視点からひとつのある出来事が描かれています。ここで使われているのはWikipediaにありますように内的多元焦点化という手法です。僕もよく理解していませんが、「藪の中」は3人がそれぞれ事件の起こったことについて証言しています。そしてそれぞれ3人の言っていることがかみ合わない。これはどういうことだろうという話です。

僕は「藪の中」を読んで気づきました。ひとりの人間=「わたし」が真実だと思うことをどれだけ切実に訴えても、三人称視点で書いてしまうと「わたし」が本当の真実だと思ったことが実は真実ではなくなるのだと。多襄丸にとって、妻にとって、夫にとっては真実であることが三人称という視点で見ると本当に自分の思い込みのようなものになってしまう。さらに技術的には三人称の特性として語り手が隠蔽されてしまうために真実は現れてきません。

僕はそれを考えたとき、『こころ』の先生の遺書は先生にとっての真実でしかなく、実際起きた出来事はもしかしたらそうではなかったのだろう部分を多く占めているのではないかと思いました。しかし先生は書いた。そうせざるを得なかったからです。僕たちも相手に自分の思いを伝えるために何かを書いたことがあるでしょう。その方法は告白になるように思います。そして日本近代文学の王道であった私小説も自己暴露という性質を多分に抱えているためにそのような要素が大きいのではないかと思います。飛躍しますが、つまり日本の近代小説で僕がもっとも考え重要だと思っていた「わたし」は一人称に現れるわたしであり(三人称の私小説もありますが)、それは三人称で描かれるとそのフィクション性が暴露されてしまうのではないか、と僕は感じるに至りました。もしかしたら私小説作家たちはそのことに自覚的に作品を書いていたのではないかと思ったりしました。それはあまりにも悲しい。ですがそれゆえに尊い気がします。

最近読んだ本に、佐々木敦の『新しい小説のために』があります。この本では新しい私小説の方法が検討されています。わたしというのは本来ひとつの決まった形はもっていない。接する相手やその場所、時間によって様々なわたしを使い分ける。そういう時代に強固なわたしなど必要があるのか。そのときそのときで自分を変化させていく、平野啓一郎のいう「分人」という概念もそれに近いかもしれません。そしてこの本ではさらに踏み込んで、わたしという身体的制限さえ超えていこうとしています。SNSというコミュニケーションツールが日常化したとき、わたしはそのSNSの一部となります。そこでは自分の意見と他人の意見の境界が不分明になっていく。あるグループの一員として、わたしの代わりはいくらでもいそうな、そんなコミュニティのなかで自分を保っていく方法論として「わたし」ではなく「わたしたち」というものが私小説における「わたし」へと現代はアップデートされているのではないか。僕は読んでいてそう思いました。



僕のように「わたし」は「わたし」でしかない。その「わたし」で人とぶつかっていきたい。そう考える時代は過ぎたのではないか。僕はそのように感じました。ただただ虚構の「わたし」を夢見る僕。そんなことを考えたとき、もう終わったのではないかと僕は感じました。それゆえここで『こころ』を巡る旅はひとまず終了。そう思ったわけです。

しかし、そう思っているときに僕に救世主が現れました。僕に哲学のしかたを教えてくれたY師匠です。名前はいちおう伏せさせてもらいます。Yさんのデカルト解釈を読んだとき、僕は自分が本当に井の中の蛙でしかないことに気づかされました。そうなのだ僕が求めていたものはそんな簡単な「わたし」だけではないんだ、僕にはもっともっと考えることがある。Yさんはデカルトの言っているのは「Cogito, ergo sum」ではない、それはスピノザのいうように「Ego sum cogitans」なのだと言います。それがデカルトの真髄であり、後期ハイデガーが目指したテーマなのだと。

新しい「わたし」を自分で考えたい。僕が自分で考え、身体の隅ずみまで浸透し納得する「わたし」というものを。そのためにはまだまだやることがあるだろう。まずはもう1度デカルトを読んでみよう。自分が納得いくまで。頭の悪い自分でもなにか見つけることができるはずだ。そういう希望がYさんのおかげで湧いてきました。

Y師匠から芭蕉のうたをいただきました。
「雲雀より上に安らふ峠かな」
雲雀よりも高いところにある安らぎの場所に到達できるのだろうか。いつかYさんとそんなところで一緒におにぎりを食べてみたい。
僕はきっと一生このうたを忘れないでしょう。Yさん、ありがとう!!

まだやれる!そう思ったのでした。

2018年1月11日木曜日

『忘れられた巨人』 カズオ・イシグロ その2

カズオ・イシグロの『忘れられた巨人』の感想その2。


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第二部

第六章

アクセルとベアトリス、ウィスタンそしてエドウィンは修道院に到着します。修道院に来ましたがなかなかジョナス神父とは会えません。ブライアン神父が応対してくれます。この修道院は薄気味悪くなにかを隠しているような雰囲気がします。アクセルとベアトリスが休んでいるときもウィスタンは薪を割り続けています。彼は薪を割りながらこの修道院の様子を窺っているのですがそれ以外にもまだ理由があるようです。

アクセルはまた昔を思い出します。ハービーという男と一緒でした。彼は獰猛な人物でありましたが彼とともにアクセルは重大な任務を果たしているところでした。またアクセルはベアトリスが灰色の髪の兵士から優しい言葉をかけられたときのことを思い出します。見知らぬ人間から親切な言葉をかけられたというだけでベアトリスはすぐに世界への信頼を取り戻してしまった。そのことがアクセルを不安にさせます。思えばアクセルと最初に出会ったときからベアトリスはそうでした。彼女の無防備さ。初対面の男に対する優しさ。

この修道院が元は砦であったことにウィスタンは気づいていました。かつてここはサクソン人の砦だったのです。この砦にいた人々はこれから起こるであろう残虐行為の事前の復讐をしていたのだとウィスタンは言います。アクセルとウィスタン、エドウィンは小屋のなかで山の鳥に捧げる生贄の道具を見つけます。この修道院はなにかを隠している。

ついにジョナス神父と会えることになりました。4人はジョナス神父と対面します。沈黙の僧ニニアンがジョナス神父の世話をしています。ジョナス神父はなぜかひどい怪我をしていたのです。ジョナス神父はエドウィンの傷を見ようとしますがそれをウィスタンは拒否します。彼は強い憎しみとも取れる感情を表に出します。ウィスタンはジョナス神父が生贄となったこと、この修道院の僧が順番に鳥の生贄になる風習があるのではないか。それがキリスト教として最悪の行為なのではないかと尋ねます。

ジョナス神父はエドウィンの傷を診ることになります。それを見たとき彼とニニアンの顔に勝利の表情が浮かびますが、すぐにそれは諦めと悲しみの表情へと変わります。ジョナス神父はクエリグの息が霧となって記憶を奪っているのだと話します。そしてそのクエリグを修道院の僧が守っているのだということも語られます。霧はすべての記憶を覆い隠す。よい記憶も、悪い記憶も。ベアトリスは霧の原因がわかり喜びます。彼女は悪い記憶も恐れていないようです。


第七章

寝ているとブライアン神父がアクセルたちを起こします。修道院で何かがあったようです。どうやらウィスタンとエドウィンに対する追手がやってきたようでウィスタンは彼らと戦っています。アクセルとベアトリスとエドウィンはブライアン神父に連れられ修道院の隠されたトンネルへと案内されます。そこから逃げることになるのですが3人が入るとブライアン神父は入口を閉めてしまいます。

トンネルを先へ進むとガウェインがいました。彼から僧がアクセルたちを騙したのだということが語られます。ガウェインは彼らを助けるためにニニアンにトンネルに入れてもらったようです。そしてブレヌス卿にガウェインがウィスタンの正体を明かしたためにそうなったのだと話します。このトンネルには獣がいます。地面には骸骨があるように感じられます。多くの人間がここで命を落としたような。

先を行くと霊廟のようなものがあり、そこはまるで埋葬地のようです。ガウェインはこの国自体が埋葬地のようだと言います。この土地の下には殺戮の歴史があると。獣の気配があり落とし格子があります。エドウィンが歌い始めます。どうやら彼につけられた傷に原因があるようです。ガウェインはあの傷は竜につけられた傷だと言います。どうやらその傷がクエリグとの出会いを欲望しているようです。アクセルたちはなんとか獣を倒しますが、エドウィンはウィスタンのいる修道院に戻ったようです。アクセルとベアトリスは息子のいる村を目指します。


第八章

エドウィンによって語られる章です。前の日にエドウィンは兵隊が来ることをウィスタンに教えられていました。エドウィンは母の声を聞いています。母はもう近くにいるのでしょうか。エドウィンは回想し、ある15,6歳の少女と出会ったことを思い出します。ウィスタンはエドウィンに修道院の砦としての構造がどうなっているのかを教えます。まるでウィスタンはエドウィンを鍛えているかのようです。そしてエドウィンはウィスタンを助けなければならないのにアクセルたちとともに逃げたことを悔いているようです。しかしウィスタンは兵隊たちをなんとか倒し逃げ出すことにも成功したようでした。



第二部はここで終わりです。文庫本で302ページまでです。第三部以降はまた次回。

2018年1月10日水曜日

『忘れられた巨人』 カズオ・イシグロ その1

ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロの『忘れられた巨人』の感想です。


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英語版Wikipediaにかなり詳しいあらすじの紹介が書かれており、イギリスでの評価も紹介されています。
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Buried_Giant

海外ではファンタジー小説と捉えられているようです。イシグロは普遍的な話だと言っているようですが。そこは読者の読み方によって変わるでしょう。



あらすじがどのようなものかを書いていきます。

第一部
この作品は三人称で書かれていますがこの世界を語る語り手が存在しています。それが中世の物語っぽさを出しているかなと思います。

第一章

舞台はイングランド。ブリテン島。この世界はいまと地続きのようですが鬼や妖精などがいた時代。まだ人間には理不尽なことが起こる科学がなくまだ人間の理性ではものごとを測ることができなかった時代のお話。

そんな世界のブリトン人のある村にアクセルとベアトリスという老夫婦が住んでいました。その村は60人ほどの村で2人はその村の外縁に住んでいます。2人はなぜか火を持つことを許されていません。村の外縁は火が届きにくく寒いです。ですが2人は村の1員として村のなかで役割を背負っています。

この村では過去を語り合いません。それがなぜなのかはわかりません。昔、赤い髪の女がこの村を訪れましたがそのこともみなが忘れてしまっています。マルタという少女が行方不明になったときも、戻ってくるとヌエワシの話になってしまいみながマルタが行方不明になったことを忘れてしまっていました。

去年の11月に黒いぼろを着た女が現れました。彼女とベアトリスは刺の木(山査子の古木)のある場所で話をしていました。ここではその話の内容は語られません。しかしこの女と話したことからベアトリアスはいまはいなくなった息子に会いに行こうと決心したようでもあります。「目が見開かれて」いたり「悲しみと願い」をベアトリスが感じているような描写があります。彼女のなかでもしくは身体になにかが起こっていたのでしょう。

またここでブリトン人の信仰するの宗教がキリスト教だということが語られ、またアクセルとベアトリスの会話がうまくかみ合っていないことが感じられます。そこにはあまり違和感は感じないかもしれませんが読み終えたときになるほどと思えるようになっていると思われます。

旅立つ3週間前にベアトリスは村で揉め事を起こします。ノラがベアトリスのために蝋燭を作ってくれたのですが、それが見つかってしまったのです。なぜアクセルとベアトリスが火を持つことができないのかは僕にはわからないのですが、もしかしたら昔なにかをおこしているのかもしれません。そのことについて鍛冶屋の女房と言い争いになります。そのことを旅立つ春の時点ではアクセルは忘れています。このお話は忘却がキーワードになっていてこれからいたるところで「忘れること」と「忘れないこと」がキーワードとして出てきます。

ベアトリスは自分たち夫婦が駄目な夫婦だと思われていることが辛かったようです。そしてノラが自分たちのために蝋燭を作ってくれたことが嬉しかった。しかし「村会の決定」で2人には火は持たせないと決まってしまっている。蝋燭は取り上げられてしまいます。

ベアトリスはこの時点で、というか黒いぼろを着た女とあった時点で記憶を取り戻そうと決意しているように思えます。また他の人たちよりなにかを思い出しているようにも思えます。そして春になり暖かくなった頃、いなくなった息子の村を訪ねようと老夫婦は決意をします。息子がどの村に住んでいるかをアクセルは知らないようですしベアトリスも距離と方角を知っているくらいであるにも関わらずです。


第二部

アクセルとベアトリスはサクソン人の村を目指します。2人の住む村からサクソン人の村までは一日かかります。あいだに大平野がありそこには暗い力が潜んでいると語られています。2人は暗い力が弱まる昼間にそこを通り抜けようとします。大平野に縁で2人は息子のことを思い出します。ここでベアトリスとアクセルはすべすべの小石を2個づつ持ちます。キリスト教のおまじないのようなものなのでしょうか。以降この石は出てなかったように記憶しています。その後2人は「巨人の埋葬塚」を通り抜け森に入ります。

森を歩いていると大雨が降ってきて2人は大雨をしのぐために近くにあった廃墟へと避難します。この廃墟はローマ時代には豪華な建物であったらしいことが伺われます。そこには鳥を思わせる小さな老婆と異様に背の高い痩せた男=船頭がいました。老婆は兎を手に持っており、ナイフで兎を殺そうとします。よく見るとこの廃墟は兎の血で汚されているようで老婆がこれまで何度も兎を殺してきたことが伺い知れます。なぜそのようなことをしているのかというと老婆は昔、この場所に夫と一緒に来ており船頭に川を越えた島まで夫と2人で渡してもらうつもりであったのです。しかし船頭は先に夫を渡してしまいました。老婆は舟には1度に1人しか乗せられないんだと自分に言い聞かせて待っていましたが、そのあと船頭は老婆を舟に乗せなかったのです。2人は離れ離れになってしまいました。その恨みを込めてなのかこの廃墟で兎を殺しているようです。

ここで島についての情報が少し語られています。島では自分以外の人に出会うことがなくひとりきりで生活しなくてはならない。なにか言い方がまだるっこしいと感じますが、しかし稀に2人一緒に渡れることがあり、それは2人の愛が深かったときのようです。島はまるでこの世の土地ではないように語られ、まるで天国のようにも僕は思えましたがそこまでは書かれていません。一体この島はなんなのでしょう。そしてこの廃屋にはどのような意味があったのか。

この廃屋は昔は立派な家だったのですが戦争で廃墟となったようです。この廃墟をみたときにアクセルの記憶になにかが蘇ってきます。この作品ではアクセルやベアトリスの過去は謎に包まれており、特にアクセルは物語のことあるところで記憶の断片を思い出すことになります。アクセルとはいったい何者なのでしょう。ここではまた愛についても語られ、愛というものはその背後に恨み、怒り、憎しみ、そして大いなる不毛も隠しているかもしれないことが語られます。

廃墟を去ったあとで黒いぼろを着た女と先ほどの老婆に共通点があったとベアトリスが話します。2人とも取り残された経験をもっており、彼女たちのような目にあい泣きながら歩いている女たちがいるようです。そしてこの世界は健忘の霧に包まれ、分かち合ってきた過去=愛が思い出せないでいるということ、そしてその代わりに憎しみも忘れることができていることが語られています。


第三章

アクセルとベアトリスはサクソン人の村に着きます。村はなにか騒がしい。村に進むと男たちが集まっています。ベアトリスは病気を診てもらうために薬師のところに行きます。女の話なのということでアクセルは薬師の家の外で待っているのですが、そこに30歳くらいの他の男たちとは雰囲気の違う男が現れます。彼がこの物語の主要人物の1人ウィスタンです。彼はサクソン人で東の沼沢地から来ました。

村では村人3人が鬼に襲われていました。それも普通の鬼ではなく悪鬼だということです。襲われた3人のうち12歳の少年エドウィンが悪鬼に攫われてしまっていました。どうやらウィスタンはエドウィンを助けにいくらしい。村人はパニック状態になっていますがウィスタンだけは冷静です。その彼をみてアクセルはまた記憶の片鱗を思い出します。そこへアイバーという長老が現れアクセルとベアトリスを自分の家に招待してくれます。どうやら村人は何かが起きるとその前のことを忘れてまうようです。おそらく健忘の霧のせいでしょう。しかしアイバーは忘れないようでそのことは不思議に思います。アイバーは霧はサクソン人の迷信だと言いますがどうでしょうか。ここでもアクセルとベアトリスは小さな諍いのようなことを起こします。アクセルとベアトリスがなぜこのようなことを起こすのかは謎で、夫婦というものはそういうものだと読むこともできる気もします。

アクセルとベアトリスは山道の向こう、修道院にベアトリスの病を見てくれるジョナスという高名な神父を訪ねることになります。修道院への東の山道は雌竜クエリグの国です。クエリグは強大な力を持っているようですが、それ自体には驚異はなく(もう老いているようです)、その驚異は存在自体にあるそうです。このクエリグという雌竜はなにかのメタファーとなっているように感じられます。どうもクエリグの吐く息で霧が生じ忘却が訪れるようです。また、この霧は神がお忘れになったから起きたとも言われます。

ウィスタンが村に戻ってきていて悪鬼を退治したようです。エドウィンは救出され悪鬼もウィスタンが討ち取りました。その亡骸をウィスタンは掲げますがそれがなんとも言いようのない形をしています。これは本当に悪鬼なのか…ここにも謎が現れます。もしかしたらこの悪鬼はクエリグの子ではないのか、そう考えることもできるでしょう。

ここまで読んで思うのは、もしかしたら僕ら現代人も健忘の病にかかっているのではないか、そういうことです。

このあたりの描写でアクセルがベアトリスを見て、喜びと同時に悲しみを感じるというのがあります。アクセルの記憶は戻りつつあるのでしょうか。

アクセルとベアトリスはウィスタンと会います。ウィスタンは子供時代を西の国で過ごしたようです。アクセルと西の国であったことをほのめかせますがその真相はわかりません。エドウィンの体に小さな傷ができていて、それが村をパニックに陥れます。鬼に傷を受けた者は鬼になるという迷信がサクソン人にはあるのです。ここでアクセルとベアトリスは昔会った若い男を思い出します。このエピソードがなにを意味しているのかいまいちわかりませんが、過去にベアトリスがこの男と関係を持ったのかもしれません。

アイバーの家でウィスタンはアクセルとベアトリスに、彼らの息子のいるブリトン人のキリスト教の村にエドウィンを連れて行ってくれないかと相談します。2人は引き受け、その代わり修道院までの道をウィスタンが護衛のような形でついていくことになります。ここでひとつの疑問が浮上します。エドウィンはサクソン人ですが、やはりブリトン人の村に連れて行くことがベストなのか。ウィスタンはブリトン人を嫌っています。それでもエドウィンをブリトン人に預けたいのか。


第四章

この章はエドウィンが語り手となります。エドウィンは悪鬼に傷をつけられたあとから母の声を聞くようになります。母は早く助けに来ておくれと言っています。「ぐるぐる、ぐるぐる」あなたは大きな輪につながれた騾馬よ。だからぐるぐる回りなさい。お前が止まれば、あの騒ぎも止まってしまう。だから、恐れてはだめ。強くなって助けに来て。

ウィスタンとエドウィンは傷について約束をします。ウィスタンの退治した生き物はなんだったのか。頭が蛇の鶏のようなもの。果たしてそれはクエリグの子なのでしょうか。


第五章

4人は修道院を目指します。ウィスタンはブレヌス卿というブリトンの領主に追われているらしい。修道院までは唖者のふりをしています。道中でブレヌス卿の配下の3人の兵士に会います。兵士たちは4人を怪しがります。特に灰色の髪をした兵士が特徴的でした。なんとか兵士たちの尋問を切り抜けた4人は森の中を上る細道を行きます。

ここでベアトリスの痛みの話が挿まれます。ベアトリスはこの自分の病の痛みは蝋燭がなかったせいではないかと言います。闇を好む妖精の仕業ではないかと。どうも火になにかのメタファーがあるように感じられますが僕にはわかりませんでした。

道中で老いた騎士と出会います。彼はアーサー王の甥のガウェイン卿でした。ホレスという馬に乗っています。ガウェインは当然ながらブリトン人です。彼はアーサー王からクエリグ退治の命を受けたと言います。この物語ではサクソン人のウィスタンとブリトン人のガウェインが対比されているように感じます。サクソン人のウィスタンはこの土地ではサクソン人がブリトン人に迫害されていると言います。

そこへ先ほどの灰色の髪の兵士がやってきます。やはりウィスタンを疑っていたようです。ウィスタンはここで自分の使命はクエリグを殺すことだと告白します。ガウェインは驚きます。それはわたしの仕事だと。しかしガウェインは灰色の髪の兵士の味方はしません。ウィスタンは灰色の髪の兵士を倒します。

このあたりで第一部は終了します。ブリテン人対サクソン人という図式が見えてくるようになります。ブレヌス卿は雌竜クエリグの力を利用してサクソン人を制圧し、この国を手に入れようとしていることが明らかになります。

果たしてこの先どうなるのか。長くなったので第二部以降は次回に。


2017年9月3日日曜日

ラカン フロイトの鑑別診断について。

ラカンを松本卓也氏の『人はみな妄想する』をガイドとしてラカンを読んでみたい。

人はみな妄想する -ジャック・ラカンと鑑別診断の思想-
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といっても思いついてことのメモ程度のものなので正確さはまったく保証できない。本ブログを読む方々は自分の思考の流れを読むことを楽しんでいただけたらと思う。


とりあえず「表象」から。
フロイトのいう表象についてメモしておく。P79にある。


フロイトが神経症と精神病の鑑別診断をするとき、「防衛」のメカニズムの種類の違いで診断しようとしている。


ここで出てくる「表象」という概念は、

『ドイツ哲学で通常もちいられる「心に思い描かれた対象」という意味での表象ではなく、むしろ「対象の側から{心的装置に}到来し、「記憶系」に記載されるもの」である。この記憶系は到来した表象の単なる集積所ではなく、表象を種々の連想の系列において相互に結びつける場所である』

とある。


素人のブログであるのでフロイトとラカンの用語を混合させて使うが、シニフィアンが外からやってくる。それが記憶系に記載される。記憶系が下の欲望のグラフのどこにあたるかはわからないが、記憶系ではシニフィアンが結びつく(A)。それはs(A)の場で読点が打たれる。


下の欲望のグラフは
http://overkast.jp/2011/07/%E3%83%A9%E3%82%AB%E3%83%B3%E7%90%86%E8%AB%96%E3%81%AE%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%AB%E6%89%8B%E9%A0%86-3/

のサイトのものである。掲載の許可を得ていないので後に削除することはある。





防衛機制。防衛は抑圧と理解していいだろう。ただWikipediaの「防衛機制」の、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%B2%E8%A1%9B%E6%A9%9F%E5%88%B6
レベル3に「抑圧」がある。その位置づけには注意する必要があるだろう。


P79
1 防衛の種類による鑑別診断(1894ー1896)


人は表象を受け取り、それを処理している。しかし自分にとって受け入れ難い表象=「自我にとって相容れない表象」が自我に到来するときがある。その相容れない表象は非常に苦しい情動を呼び起こす。それを解決しようとする心の動きが「抑圧」である。


神経症の下位分類にヒステリーと強迫神経症がある。それぞれの防衛が書かれている。ヒステリーでは転換、強迫神経症では配転。精神病では排除。神経症と精神病の鑑別診断には「相容れない表象」をどのように取り扱うかで診断に違いが出る。「相容れない表象」を心的加工することが認められるならば神経症、心的加工を認めないならば精神病と鑑別できる。


表象が非常に重要である。ラカンでは表象は「原初的シニフィアン」とある。表象という概念を曖昧にしたままではラカンを理解することはできない。フロイトに還ることがなによりも重要であろう。


精神病では「相容れない表象」を心的加工をすることはおろか「排除」してなかったことにすることに特徴がある。シニフィアンが結びつき生み出した表象の存在を認めない。抑圧という意味でさえも何も知ろうとしない態度が取られる。


ゆえに神経症は防衛によって身体症状として症状が現れるが、精神病は身体症状としては現れず表象と関連する表象がそのままのかたちで幻覚として姿を現す。

2017年7月19日水曜日

『和解』 志賀直哉

志賀直哉の『和解』について。


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志賀直哉の『和解』について、作者志賀直哉とその作品の主人公順吉について考察する。
始めに志賀についてであるが、志賀は宮城県生まれであるが育ちは東京である。父は経済界で成功した人物である。志賀は生まれてから祖母のもとで育てられる。学習院を経て東大へ進学、白樺派の主流となる。この『和解』という作品を書いていた当時父とは不和であったが、作品を書き上げる途中に「和解」を成し遂げている。
 

『和解』の主人公順吉であるが、その生い立ちについて語られることはほとんどないし不和となった原因について語られるこ
ともない。作品を読んで作者との類似点と見受けられるのは父と不和であることである。作中では妻との結婚に反対されたこと、長女の死のときの父の振る舞い、麻布の父宅に住む祖父母に会いにいく際に父を気にしなくてはならない出来事などが語られるがそれが事実であるかどうかは定かではない。


 ここで私が視点として取り上げたいのは、講義で取り上げられた、志賀の不和の描き方である。講義では不和であった父と子の和解を、その原因を描きそこからの結果としての和解を描く、つまり因果関係を描くのではなく、上記順吉について書いたように感情のもつれの出来事を繰り返し反復することによっていわば習慣的なものとして出来上がった不和というものについて描いている。そこに講義では論理より感情を優先して描く日本文学的志賀直哉像というものを求めていたように思う。それが志賀文学を好むかどうかの分水嶺となるのではないかと話されていた。


 私は上に書いた論理より感情を優先したという『和解』での志賀という作家の語りの独自性からこの作品の主人公順吉の関係性について考察してみたい。『和解』を読んでいて私が思ったのはその感情のもつれの描き方の論理性の高さである。一般に志賀の文章は名文と呼ばれているようだが、私は読んでいてその文章の装飾のなさに違和感を持った。センテンスも短く、その短いセンテンスが連なってできる文章の束が志賀文学の文体の特徴ではないかと思った。志賀のこの文章を名文と呼ぶのならば文章に装飾を凝らすような尾崎紅葉などとは違い、自然主義を徹底したゆえに出来上がった文体が志賀の文体なのではないかと感じた。その文体は私から見るとミニマリズムを徹底した非常に論理的な文章で理知的である。そのような文章が連なることによって『和解』の登場人物の感情の機微が描かれているのではないだろうか。


 『和解』に出てくる人物は非常に理知的である。父は財界で名を上げた人物であり論理展開が理知的で、順吉もその語り口は論理明快である。義母も父と子のあいだを取り持つだけの頭の回転の良さを持っている。祖母も感情を表に出すような人間としては描かれていない。皆が論理的である。つまり彼らは高等な明治のエリートなのであると私は思う。そのような人物たちについてエピソードを通して不和が語られる。父との和解に至ってはそれが顕著に現れている。引用すると父の語りはこうである。「よろしい。それで?お前の云う意味はお祖母さんが御丈夫な内だけの話か、それとも永久にの心算で云っているのか」。このような言い方は感情を重視したものの言い方ではない。その後に続く順吉の科白もそうである。


 結論を言うと、彼らは明治という時代のエリートなのである。教育をしっかりと受けた人物であるからその家族の会話も論理的で理知的になる。エリートの家族の感情のもつれにほかならない。そのようなエリートが織り成す人情劇が当時の人々に受け入れられ志賀が大人気作家となったのだということに私は奇妙を感じる。だが、それは明らかに志賀直哉という作家が『和解』の順吉を含めその家族のような環境で育ったということを語っているのに等しいことが裏付けられると思う。なぜなら『和解』のような家族を書いている志賀自身も作中人物のような論理的、理知的な文体で作品を書いているからである。



 ゆえに登場人物である順吉の語りから順吉には志賀の人間性が投影されているということは十分言うことができるのではないかと思う。以上のことは私小説ではなく本格小説にも当てはまることではあるかもしれないが、私は『和解』を読んでいて、その影に志賀直哉という人物を強く感じた。それは本格小説では可能とされるだろうロラン・バルトのテクスト論のような「作者の死」を拒否する作品の「私小説性」というものが現れているのだと考えたいと思った。

2017年6月7日水曜日

ポストモダン

ポストモダンとはなんのことなのかもうわからない世代がいるという。


僕個人の解釈としては、モダン(近代)の次の価値観を探し求めた時代がポストモダンの時代だった。それは日本にとってニューアカの時代だったろうが、僕にとっては1990年代に触れたドゥルーズ、フーコーの思想だった。


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僕が高校生当時、紀伊國屋書店でたまたま見かけたのが中沢新一氏の『カイエ・ソバージュ』シリーズ。中学生のときに吉本隆明を読んでいたがまったくわけがわからない馬鹿な学生だった僕にも中沢氏の本は読みやすく中身も目から鱗だった。


まあそれはいいとして、ニューアカの名残と大学時代に触れたドゥルーズとフーコー。これが決定的に僕の思想傾向を決めたといっていい。ポストモダンに触れる前に戦後の文学状況について少し触れたい。


戦後日本の文学は大江健三郎や石原慎太郎、三島由紀夫などがセンセーショナルな作品を発表した。内向の世代と言われる人たちも批判にさらされながらも独自の視線で作品を発表した。安部公房の『箱男』は思想的に読んでも面白い。その後時代は進んで1970年代を迎える。そこに断絶がある。1970年代のある時期から日本の文学には決して無視できない断絶がある。1980年代になるとそれはもう揺り戻しが効かない事態になっていたと僕は思っている。1970年代以降の文化しか知らない日本人が現れたことにより日本はある意味変わった=終わったと言っても良いだろう。


僕はそのことに直感でなんとなく気づいていたのだが、日本文学の歴史を勉強することでそれが間違いでないことに気づいた。本物の作品が消えた。文学だけでなく、映画、絵画、彫刻、建築、あらゆるものから消えた。日本は1970年代から新しい国として生まれ変わったかのように自分たちの歴史を忘れた。それは日本人の習性が消えたわけではない。歴史が消えたのだ。


ドゥルーズが『アンチ・オイディプス』で目指したものは既存の哲学体系、ヘーゲル的哲学体系へのアンチであった、それはもちろんフロイトのエディプスの三角形へのアンチでもある、がそれが日本人にとってはもはや跡形も残らず10年代を迎えている。千葉雅也氏や國分功一郎氏、東浩紀氏などポストモダン思想の後継者的な方々の本が売れていることに光を見たいが実際自分が生活していてポストモダンを感じることなどもはや皆無だ。


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ドゥルーズが描いたもののひとつにエディプスの三角形の批判、スキゾへの逃走がある。今の若い人たち、それに限らず馬鹿な政治家も平気で発言するが、でさえも自分たちの既存の社会的役割を演じることに違和感を感じていない、いやむしろ進んで演じようとしているようにさえ見える。父であること、母であること、子であることに満足しようとしている。学校で良い成績を取ること、いい大学に入ること、いい会社に入ること、いい社員であること。男らしくあること、女らしくあること、先生であること、生徒であること。


ドゥルーズはこのような傾向を神経症的と言ったが、まさに神経症に進んでなろうとしている。人びとが感じる不安をその社会的役割を演じる=権威と同化することにより安心を与えてくれるのだ。そこにポストモダンが目指した現状を改革しようという意志はもはやない。みなが○○らしさを求め、他者に○○らしくあれ、と強制する。まさにモダンへと還っていく退行現象が起きていると僕には見える。


ゆとり世代に対する批判もあったが僕はゆとり世代を否定的には見ていない。彼らは確かに僕の世代より学習にかける時間は少なく知識量も少ないだろう。しかし、ゆとり世代はオルタナティブとして手にいれたものがあるはずなのだ。それを有効に使う、彼らの能力を引き出すことができない上の世代に問題があるのだ。そして一度舵を切ったものをまた戻そうとする。今の学生はまた詰め込みに戻る傾向があるようだが彼らに少なくとも僕の世代と同じだけの知識を吸収する力はない。戻るにはおそらく20年ほどはかかるだろう。


勘違いしないでほしいのは詰め込み教育がよいと言っているのではないということだ。別に勉強などする人はするししない人はしないのだ。むしろ一方的に上から過度に詰め込まれた人間はその後まったく伸びない。それゆえにゆとり教育という発想があったと僕は思っている。僕はポリシーとして自分をその社会的に求められた役割とは別のイメージを与えようとしている。それが奇異に映っているかもしれないが、それが社会の硬直性を打破する、改革することにつながるのだと思っている。


2017年現在、ポストモダンは消えた。あの時代の思想が一過性のものだったのかと考える向きもあるだろうが、僕はそう思わない。あの時代、僕が影響を受けたドゥルーズやフーコーは確かに真実を語っていた。暗黒の中世の時代からルネッサンスの時代を迎えたとき、例えばマキアベリの政治哲学は受け入れがたいものに映っただろう。しかしそれが人間性の政治哲学であったことは間違いない。その人間の時代がドゥルーズのスキゾ概念によって終りを迎えようとしていた。フーコーのいう人間の終焉。


あのときの熱狂。少なくとも知を大衆が手に入れたというあの感覚は偽物ではあるまい。あの時代を生きたものとしてポストモダンが空白の時代だったと言われるわけにはいかない、強くそう思うのだ。

2017年6月3日土曜日

症候と読むことの差

『現代思想』に掲載された、樫村さんの論文「ドゥルーズのどこが間違っているか?」を読むとドゥルーズの問題点がクリアに示されていて自分のドゥルーズ理解の視野を広めてくれる。96年に発表されたもののようだが、東浩紀さんの『存在論的、郵便的』、千葉雅也さんの『動きすぎてはいけない』でも扱われている。


しかし、僕はこの論文を読んでドゥルーズが間違っているとは思わないのである。ニーチェの永遠回帰を病的症候として読むか、それとも隠喩として読むかということは重要であるとは感じない。ラカンの『盗まれた手紙』からドゥルーズとラカンに共通する詐術を見出す点もなるほどと思うのだが、それにより僕のなかでドゥルーズの評価が変わることはない。ただ、本当にこの樫村さんの論文は読んでいて刺激されるし、96年当時を考えるとあの状況でここまで批判的に書けているというのは驚異的だと思う。このあと宇野邦一さんの本が出たりするわけだけど宇野さんの本は読んでいてそれほど論理的に詰められたものとは感じなかった。哲学的というよりむしろ文学的といったほうがいいように思う。ただ、宇野さんの本には文学的アプローチでなければ捉えられないドゥルーズの核心に触れていたように思う。習慣、記憶、そしておそらく言葉の問題。この点を深化させていくと樫村さんの論文とは違う地平が現れてくるように思う。


で、この「ドゥルーズのどこが間違っているのか?」のなかで僕がちょっとブログ記事として取り上げてみたいのは、この論文の是非ではなく、ニーチェの永遠回帰の解釈部分だ。ニーチェについて書かれているものを読むとまずそもそもニーチェはいったいどこまで病んでいたのかということで評価がわかれるように思う。この樫村さんの論文もニーチェの症状は実体的なものであって決して隠喩ではない(それゆえドゥルーズがハイデガーと結合させたのは間違っている)と書いていると思う。他にルー・ザロメとの恋愛により精神を病んだということに重点を置いているものや母と妹のヒステリーの影響をあげている人もいる。そして梅毒の影響の問題などもある。しかしどうだろう。僕はニーチェにそのような身体性を感じていないのだ。直感でしかないのだがニーチェの著作を読んでいて僕はそれを感じない。僕自身が重度の精神的危機に陥った経験があるからなのだが、それゆえ僕の身体性に関わることなので猶の事説得力はないだろうが、どう考えても精神に異常をきたした状態であの文章を書くことは不可能ではないだろうかという疑問を感じざるを得ない。ニーチェの文章の特異さについて書いておられる方もいるが、精神の異常をきたしているのならあの程度の文体で終わるものではない。言いすぎかもしれないが精神に異常をきたしてあの程度の文体でしか書けなかったのならばニーチェという人間の知性と感性は所詮その程度のものだったのだと切り捨ててもいいのではないだろうか(もちろん僕はそう思わないのでニーチェを読んでいるわけだが)。


樫村さんの論文のセクション1で取り上げられているニーチェの永遠回帰(論文では「永劫回帰」である。)について少し考えてみたいと思う。樫村さんはニーチェの現場とドゥルーズの理論について以下のように書いている。

「ニーチェの偽装する力、差異と強度の現場には、あらゆる不幸と興奮が渦巻いているのに、ドゥルーズ(Dz)の即時的差異には、抽象化された整合的理論にふさわしい、穏便な幸福の気配こそが支配的だからである。」

ニーチェの現場とドゥルーズの思想は場が違う。ニーチェのそれは真理=譫妄=病の発生現場である。つまりそこには病の人としたのニーチェがあり、彼が病んでいたからこそ永遠回帰を始めた思想が形成されたと考えているのだろう。もちろんそこには「明晰な思考としての症候総体」の一過程としての思想であると明記しているわけではあるが。対してドゥルーズは読む人であると言っている。彼は穏健である。ニーチェが実体として感じていたものを彼は読むことで思想としている。彼の病の収集癖がそうさせているのだとも言う。果たしてカフカにおいて『変身』のザムザは症候であるのだが、ドゥルーズにとっては隠喩であるのだろうか。ここに樫村さんはニーチェとドゥルーズに決定的な差があると主張しているのだろう。


僕はこの樫村さんの主張に異論があるわけではない。ニーチェが、

「これは一般に分裂病者が、(本質的に想像的なものー幻想の欠損に由来する)認識ー行動上の困難を、「理性的」推論で補おうとして、ますます混乱に陥る(世界と身体の自明性が崩れる)ことに対応するが・・・」

とあるように分裂病者の症候を表していることはありうるのかもしれない。それにより現実=実体に触れ、混乱をきたし同一律が解体し破壊的支持関係が発動したというのも言い過ぎではないだろう。むしろここに樫村さんの言うような永遠回帰の現れを見ることができるとも思う。


だが、ドゥルーズの考える永遠回帰はまったく別の平面を描いていると言えないだろうか。彼の哲学はニーチェの影響を強く受けているがむろんそれだけではないのは明らかであろう。スピノザの一元論、プルーストの習慣、記憶、そして言葉の問題を考慮に入れただけでもニーチェの哲学とは違う平面で考えなければならないことは自明であろう。確かに隠喩、病の収集癖と言われるものはあるとしてもそれはニーチェの強度とハイデガーの差異を連結するときに不都合が生じているだけで、ドゥルーズの哲学体系、樫村さんが言うようにヘーゲルの『精神現象学』に匹敵する哲学体系の構築に齟齬をきたすような問題であっただろうか。


ニーチェの存在論は精神病特有のものであるかもしれないが、ドゥルーズの存在論は存在そのものを問うている限りそこに問題は生じないのではないだろうか。主体/非主体(存在)の問題はあるだろうが、ニーチェが病にせよなんにせよ同一律から差異に存在論的に迫ったのに対し、ドゥルーズは哲学体系から存在論に迫った。そこには方法論の違いはあるかもしれないがドゥルーズはニーチェを継承して存在論に迫ったということができるように思われる。


余談だが、この樫村さんの論文にはおそらくクロソフスキーの影響があるように思われる記述がある。僕はクロソフスキーについては不勉強で、なおかつ精神分析、倒錯についても書かれているため理解不足でここでなにか意見を述べることはできない、そして記述が長いので引用することもできないのだが、敢えて書かせてもらうと、それは象徴の世界で起こるものであり反復脅迫を悪の要素とし、それにより主体は切り刻まれるという。その至高の真理を永遠回帰としている、というように読める。しかしここでさらに、快感原則に反するものである死への意志を悪とするのでは留まらず、そこに倒錯を持ち込むことにより悪(悪魔)の書き換えをおこない、主体の外在化が起きるとされている。果たして永遠回帰は無害化され、善悪の彼岸が訪れる、とある。事態はそれほど単純ではないようで樫村さんも「実際は遥かに複雑なもの」と書かれている。


精神分析の視点からもう少し詳細な記述があってもよかった気はするし、さらに言えばニーチェの症状をもっと明確に示すことはできるように思うのだが、僕としてはニーチェはパラノとスキゾを行ったり来たりしていたように思う、ここでは立ち入らないでおく。