にごりえ・たけくらべ (新潮文庫) | |
樋口 一葉 新潮社 2003-01 売り上げランキング : 4042 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
1樋口一葉について
①生涯と作品
・1872年(明治5)~1896年(明治29年)没。樋口一葉は明治生まれの人で、明治の子といえるでしょう。活動期間は短期間です。この短期間で5千円札になるほどの功績を果たして残したのか。一葉は明治の女性作家のなかで他を圧倒する実力を持ちます。
・一葉は東京の下級役人の子として生まれたそうです。父は株を買って侍になりましたが直後に明治維新が起きてパーになったそうです。一葉は勉強好きな人でしたが、その母は女に学問は不要という考えを持っていました。封建的な母だったのです。一葉は小学校高等科を首席で卒業しましたが進学はできませんでした。そのことについて一葉は日記に「死ぬばかり悲しかった」と書いています。
・その代わり当時の女子の教養として和歌を習うことは許され、中島歌子の歌塾で学びます。ここで、『源氏物語』『伊勢物語』『古今和歌集』などを勉強しました。これが後の一葉の文学の素養となったそうです。
・その後、一葉の父は事業に失敗します。兄が死に、そして父も明治17年に死にます。一葉は女戸主となって家族の生計を立てなくてはならなくなりました。
・一葉は、東京朝日新聞の小説記者半井桃水のところで勉強をします。一葉は密かに半井を慕っていたようです。しかし歌塾で半井との関係を噂されたため半井と別れることになります。このことについてはキーンの、『日本文学史 近代・現代篇1』では、「都の花」とのパイプができたため半井を切ったとあります。一葉は家族を食わせていかなければならなかったためより稼げる方をとったというのが本当のところではないのでしょうか。
・一葉の暮らし向きは楽ではありませんでした。明治26年に下谷龍泉寺という吉原遊廓の近くに引っ越して商売を始めます。荒物・駄菓子を商う商売をしていたそうです。しかし、このことが後の一葉にとって非常に大きな転機になったのではと○○先生はおっしゃります。
・明治26年頃、島崎藤村たち「文学界」の人たちと付き合うようになります。「文学界」とは今の文芸誌のそれではなく、北村透谷と藤村らが始めたローマン主義的傾向の雑誌です。
・ここで川鍋先生は一葉の性格を物語るひとつのエピソードを挟みます。明治27年に一葉は相場師になろうとしています。金を稼ごうと必死だったのです。占い師の元を訪れたりしています。その占い師に妾になれと言われたらしいです。一葉は非常にしたたかで危ない橋を渡るような性格をしていて、それが作風にも現れているのだろうと○○先生はおっしゃっていました。
・明治27年に、『大つごもり』、明治28年に、『にごりえ』、明治28~29年に、『たけくらべ』と下谷龍泉寺に住んでいた頃に書かれた作品が集中的に発表されます。文学史ではこの期間を「奇蹟の14ヶ月」というそうです。他の一葉の作品は甘いところがある。しかしこの期間には奇蹟としか言い様のない作品群が作られた。それは下谷龍泉寺で様々な人間の姿を体験したことにより開花したのだろうと。
・森鴎外、幸田露伴、斎藤緑雨は書評で、『たけくらべ』を絶賛しました。鴎外と露伴は非常に厳しいことで知られていましたから一葉は彼らに評価されたことで一躍文壇のスターとなりました。しかし明治29年に胸の病気で亡くなってしまいます。
②その問題点
・一葉について考えるときにどこを見ていったらいいのか。まず第1には父親のことです。一葉の父親は強い上昇志向を持っていました。しかし、その才能を開化することができずに亡くなります。一葉の家は貧乏でした。そのために一葉は学問を続けられなかったという側面もあります。その代わりに歌塾で高い教養を身につけました。このことは一葉の持つ批判精神に結びついています。自分よりも勉強ができずに境遇だけ恵まれている人への恨みが日記に残されています。田邊(三宅)花圃など歌塾の友人が先にデビューをした際にも大したものも書いていないのにとコンプレックスを持っていました。
・一葉のその批判精神はどこへ向かっていったのか?
封建制
女性
金銭
の3つです。この3点に関して一葉は鋭い追求をしています。人間とはいったどういうものなのかという探求精神を持つことになりました。
・一葉は古典の素養を持っていました。二葉亭以降の作品は古典の素養がなくても読むことができます。しかし、近世以前のものを失ってしまうよくない一面を持っていました。一葉の作品には古典の素養がまだ残っていた。このことは非常に重要です。一葉がもし生きていたならば現代の文学は今ほど古典と切り離されたものとはならなかったでしょう。これは日本文学の致命傷と言えるかもしれません。日本人が日本の文学を読まない。西洋の文学の素養を持っていないのに西洋の小説を読む。それは戦後どちらも古典の素養を持たないのなら西洋のものをという方向に安易に進んでしまった日本人の西洋の文化に対するコンプレックスという側面もあったのではないかという気がします。
・一葉の作品の特徴について挙げられるのは、雅俗折衷体です。雅な文章(地の文)と俗文(会話文)との組み合わせ。そして「見立て」です。「見立て」は古典的手法で谷崎潤一郎なども使っていますが、『たけくらべ』には源氏物語の素養を下敷きにした場面展開が見られます。現代の作家で書ける人はほとんどいないと○○先生はおっしゃっていました。
・下谷龍泉寺での生活で人間観、社会観に決定的な深みを与えられた一葉でしたが、また仕事も非常に忙しかったのです。その生活のなかで日記を書いているのですが、それは短い文章でスパッと書かれた切れ味のよいものでした。その理由は当然忙しくてだらだら書く時間がなかったからです。そのことが「奇蹟の14ヶ月」を創り出したといえるでしょう。
2擬古文は近代文学か
①まずは作品を味わう
・『にごりえ『『たけくらべ』『大つごもり』は言文一致体とは随分違います。古典のような文章で書かれています。これを擬古文と言いますが、果たしてこれは近代文学なのか?つまり言文一致体で書かれていないのに近代文学と呼んでいいのだろうかという問題です。
ⅰ文体について
・地の文 文語 ← 何を言っているのか分からないところが多い。
会話文 口語 ← 読める。
「雅俗折衷体」です。
・上記の作品は明治27年~29年の文章です。『浮雲』は明治20年~22年に書かれています。つまりこの当時でもまだ言文一致体が覇権を握っていたわけではなかったということです。明治40年の田山花袋の、『蒲団』で言文一致体(口語)の確立となりますが、この時期はまだまだです。一葉の文章は古典の素養がないと読めない、理解できない文章でした。それでも高い評価を受けていました。
ⅱ作品について(梗概)
・『大つごもり』『にごりえ』『たけくらべ』のあらすじについて中心に話します。『たけくらべ』は、『日本文学全集』で川上未映子の現代語訳が出ています。
樋口一葉 たけくらべ/夏目漱石/森鴎外 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集13) | |
夏目 漱石 森 鴎外 川上 未映子(たけくらべ) 河出書房新社 2015-02-12 売り上げランキング : 245199 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
a.『大つごもり』梗概
貧しい家の女性お峰がよその家に奉公に出る。実家でどうしても金が必要であった。お峰は主人の金に手を出してしまう。それをドラ息子がお峰を相当助けてくれた。という話らしいです。大つごもりとは大晦日。
b.『にごりえ』梗概
一葉の作品のなかで異様に迫力のある作品。抒情的な要素が少ない。不幸な生い立ちをしたお力が主人公。お力は酌婦です。お酌をする女ですが、それを装った売春婦です。本来生まれは悪くなかったけれど、父親が志を得ることができず家が傾いて酌婦となりました。
c.『たけくらべ』梗概
舞台は吉原遊廓。現代の中学生くらいの少年少女の群像劇です。大人たちはほとんど出てこず、子供たちの生活が描かれているだけです。主人公の美登利の姉は売れっ子の遊女です。周りの大人の男たちは美登利にちやほやします。男たちにとって美登利は期待される商品として見られているのです。美登利は作品の終盤ではその将来に期待されお金が回ってくるようになります。
駄菓子屋で友人たちにお菓子をおごってあげたり、旅芸人にお金を投げ入れて芸をさせたりしました。それと同じく喧嘩や淡い恋心も書かれています。美登利はそんな生活をしているうちに大人の世界に取り込まれていきます。そんななかで少年信如と美登利は気持ちが通じ合っていました。しかし、それを通わせることができないまま信如は坊主になってしまいます。
d.共通点
・3作品に共通するところは非常に多いです。
金
性
差別
です。金は、『大つごもり』では主人の金に手を出しますし、『にごりえ』では金があったならば酌婦などしていません。『たけくらべ』では金により矛盾なものが露出しています。美登利の金回りがいいこと=美登利は金によって自分の人生が決まっていることを示します。
性は、男性優位の性の社会であることです。封建制では圧倒的に男性優位と一般論でいうことができます。その一般論では片付かない事を一葉は語っています。『にごりえ』では売春=体を売る=商品になる。『たけくらべ』では、姉は売れっ子の遊女。美登利は期待されています。男性優位の性社会がそこにはあります。
差別について。『大つごもり』では金のある家はなんでもできる、金のない家は金に手をつけ金持ちに助けられる。『たけくらべ』は吉原遊廓という囲いのなかで商売をしています。制度内での売春婦です。『にごりえ』ではもっと酷く、制度外の売春婦で更に差別されています。平等などというものは絵に書いた餅なのです。
・『たけくらべ』では祭りが2回書かれていますが、1回目のとき長吉は美登利に対して「乞食」といいます。美登利=乞食なわけですが、今でも差別用語ですがその当時も差別用語でした。『たけくらべ』『にごりえ』においての性風俗における女性の矛盾点が描かれています。
・美登利がやがて大人の体になったとき、金は嘘の仮面を剥ぎ取って美登利を一生縛り付けるものになります。信如との恋など成就するはずがなかったのです。
・一葉の作品が面白いのはストレートな社会批判ではないというところです。それは自然主義文学もそうですがプロレタリア文学とは違います。非常に優れた深い抒情性を持っています。この抒情性が一葉作品の大きな特徴です。『にごりえ』は若干薄いようですが。一葉の作品は上でも書いたようにこの抒情性と鋭い社会批判の両方を併せ持った優れた味わいを持っていると言えるでしょう。
・さらに一葉の文学には「空白」があります。『にごりえ』のお力と昔馴染みの客が死んだ様子は直接は書かれていません。町の噂という感じで書かれています。『たけくらべ』でも美登利は2回目の祭り以降様子が様変わりして急にしおらしくなります。美登利は「大人になるのは嫌なこと」と言います。これが何を意味するのかの解答を得ることはできません。対して『大つごもり』ではオチが全部ついていて空白がありません。正統派ミステリーといった感じです。『大つごもり』の評価が若干下がる理由の一つでしょう。
・一葉は空白をわざと使ったと思われます。『にごりえ』『たけくらべ』の方が文学に対する理解が深まっていると言えます。
・ほかに挙げる共通点として、描写が的確であることがあります。風景、登場人物を生き生きと描き出すセンスは抜群です。対してマイナスの面として人物造形がやや類型的であると言われています。
・結論としては、『にごりえ』を除いてやや甘い感傷に流れる傾向がなくはないですが物語を非常に冷静に見ていると言えると思われます。温かい目で人間を見ているゆえに人物造形が類型的、感傷的になるとも言えるでしょう。一葉作品はこれらの点を総合して近代文学の名作中の名作と言えるのではないかと思われます。
②近代文学か
ⅰ『文学界』――浪曼主義と
・今の雑誌『文学界』とは違います。キリスト教系のところから生まれた雑誌らしいです。北村透谷や島崎藤村を中心にしていた雑誌で浪曼主義の運動をリードしていた雑誌でした。北村透谷はこの講義を通してあまり触れられませんが浪曼主義の理論的仕事をした人たちに深い影響を与えた人ということでした。島崎藤村の作品に度々現れます。透谷は、文学にはいったいどんな価値があるのかということを考えた人でした。現代の僕らは例えばイーグルトンの本など様々読めるわけですが、この当時の人々にとって透谷は特別で、この当時としては驚くべき水準で書いていたそうです。「文学は実際の役には立たないが、精神に役立つものではないか」と考えます。これは「人はパンのみに生きるにあらず」というキリスト教の精神から透谷が文学的価値を見出したと考えられる一文だと思われます。
・浪曼主義とは何かについてまとめておきましょう。「ロマンチック」という言葉通りに理解しても間違いではないですがそれは浪曼主義の一面でしかありません。浪曼主義的な傾向の作品として島崎藤村の、『若菜集』収録の「はつ恋」や、『落梅集』収録の「椰子の実」など今読むと感傷的すぎると感じるかもしれない詩です。現実というよりは夢想的な世界に逃避するような態度を取ります。また、与謝野晶子の情熱的な詩も浪曼主義です。肉体、恋愛感情を率直に描いている詩ですが、これはその当時の封建的な考えが残っていた社会で恋愛感情を率直に書くなどということはなかなかできないことでした。浪曼主義者たちが恋愛感情を開放したと言えるでしょう。その根底にあるのは、「自分らしくありたい」ということです。そのような思想とそれを禁止する旧弊な社会との対立という視点も浪曼主義を語る上で必要なことです。
・つまり浪曼主義とは、
1.夢想に逃避する態度
2.旧弊な社会と闘う浪曼主義
という2つの側面があります。特に旧弊な社会と闘い自死した作家として北村透谷がいます。一葉もこの浪曼主義的傾向を持っていたと言えるでしょう。一葉の作品の特徴として抒情性と批評性が根本的に繋がっていて離れない点があります。ただ、一葉と透谷のあいだには直接的な影響関係はありません。
ⅱ一葉作品に描き出された問題
・一葉の作品にはジェンダーの問題が内包されています。
少年少女の問題
近世封建制の問題
人間、社会というものの問題
を作品は力強く語っています。女性のプロテストの問題です。作品においては社会に対する直接的な批判は書かれていませんが、女性のプロテストと抒情性が合わさって高度に洗練されて描かれています。近代文学の必然として、わたしとは、社会とは、という問題が書かれています。いかに文章が雅俗折衷文で書かれていて古くさく見えても一葉作品は近代文学であると言えます。
ⅲまとめ
・一葉作品は、女性の側からの批判を含んだ近代批判の作品と言えます。坪内はそれを根っこまでは掘り崩すことはできませんでしたが、一葉は奥深くまで明確に捉えらることができたということです。このことから、明治28年から29年には西欧近代文学が日本の文学にしっかりと根付いていたと言えるのではないでしょうか。二葉亭が、明治20年から、『浮雲』で切り開こうとしたもので一部の人々にしか理解されていなかったものがやっと理解されてきた時代だと言えるのではないでしょうか。
③作品論――空白について
・『にごりえ』の心中の真相や、『たけくらべ』の2回目の祭りの後の美登利の変化の理由など、謎が回収されないまま終わりになっています。その謎が空白です。この空白の技法は一葉は、『大つごもり』での反省点としてその後書き方を変えたのではないかと言われています。また、短歌的技法を使ったのではないかとも言われています。短歌では字数の制限上必ず空白が残ります。それを小説の世界に導き入れたとも考えられます。
・○○先生は空白の技法を高く評価しておられます。この技法により物語世界が閉じていかなくなる。よって読者がこの空白に対して色々な形で参加することを可能にするという効果をもたらすのだと。
・『たけくらべ』での空白を、森鴎外、幸田露伴、斎藤緑雨は、美登利の身体に変化が起こったと解釈しています。佐多稲子は、美登利は初見世をさせられてしまったのではないかとします。これはグロテスクな話で美登利は作中では中学生で体を売ることを強制されたということになります。それも高値で取引されたのではないかと。
・前田愛は佐多の意見に反論しています。結局作品の中からはひとつの解釈を示すことができない問題が空白なのです。只、佐多は、体の変化が訪れたことや初見世は女にとっては自分の人生がいかなるものかを思い知らされた重大な問題である、と言っています。この言葉は、佐多が生きてきたなかで人間として、女性について、金銭について、性について、一生分の重みを持って吐き出した言葉ではないだろうかと○○先生はおっしゃっていました。
・そうやって優れた作品の空白に触れることによって僕らは様々な読み方ができるということは、我々自身を語ることであり、我々の人生を語ることでもあり、ひいては我々自身を知ることでもあるのでしょう。小林秀雄は「作品を知ることは我々自身を探究することである」と言っています。一葉の作品はそういう意味においても非常に価値のある作品であるということができるでしょう。
0 件のコメント:
コメントを投稿