2017年1月9日月曜日

『蒲団』 田山花袋

*ポメラで書いています。

『蒲団』 田山花袋

もう一方の自然主義。私小説。

島崎藤村と並ぶもう一方の牽引役として名前があがる田山花袋。
彼は私小説をどのように展開していったのか。

1.田山花袋について
 ①生涯と作品
  ・館林に生まれる。明治4~昭和5年(1871~1930)。
   一葉、藤村と同じ頃に生まれ、藤村より前に没した。
   外国文学をよく吸収している。この時代は文学、思想をそれなりに吸収できる時代だった。
  
  ・館林藩の侍の子として生まれた。当時の侍は警察官や軍人になるものが多かった。花袋の父は警視庁に勤め西南戦争で死んでいる。

  ・足利、東京で奉公。英語、ヨーロッパ文学を勉強する。将来は軍人か政治家になろうと思っていた。しかし段々文学に興味を持つようになり東京に出てくる。文学に生きていこうと決意。柳田国男と知り合う。

  ・明治22年に尾崎紅葉を訪ねる。直接の指導は受けなかったが作家としてデビューする。硯友会のメンバーに。文学界ともつながりを持つ。

  ・明治30年。国木田独歩、柳田国男(松岡国男)、宮崎湖処子と「抒情詩」作品集(詩集)を出版。このころ花袋は硯友社と関わりを持ちながらもロマン主義的傾向を持っていた。

  ・博文館に就職。雑誌の編集をしながらゾラ、フローベールら自然主義文学を紹介。これは花袋の功績である。

  ・明治35年『重右衛門の最後』
   明治37年『露骨なる描写』←日本の自然主義の始まりの表現。
         日露戦争に従軍。
   明治40年『蒲団』
   明治41年『一兵卒』
         他、『生』『妻』『線』3部作。
    *明治37~40年のあいだに挟まるのが藤村の『破戒』。

  ②花袋と藤村
  ・日本の文学史 ロマン主義 → 自然主義
               詩   →  小説
    花袋は自らの身をもって体現した。他に国木田、藤村。
    花袋は当時重要な位置を占めていた硯友社と文学界とつきあいがあった。重要な人物たちとつきあいを持っていた。

  ・明治37『露骨なる描写』→39『破戒』→40『蒲団』→41『春』

  ・二人の関係 先行する花袋、それを追いかける藤村。花袋が先行していたのは外国文学を知っていたから。

  ・尾崎紅葉が亡くなると、花袋はキラキラした(内容のない)文体ではなく露骨なる描写をしなくてはならないと主張する。自然主義をリードする。しかし自然主義の一番始めの作品は藤村の『破戒』。

  ・花袋は器用ではない。藤村は器用。花袋が自然主義の傾向を示すとそれをうまいことやるのが藤村。

  ・花袋、『破戒』が出て先を越されたという焦り。花袋、『蒲団』を出す。新しい自然主義の傾向を示す。大変な衝撃をもって迎えられた。藤村は『春』を出す。社会性は希薄+フィクション=私小説の時代へ。

  ・花袋のほうが文章が下手。スケール小さいが果たした役割は大きい。吉田精一からの評価が高い。



 2自然主義とは
  
 ①二つの自然主義
  
  Ⅰ『重右衛門の最後』『破戒』『一兵卒』『田舎教師』
  ・これらの作品は社会的問題を織り込んであるフィクション。ある環境のなかに置かれたときに人間と社会はどのような化学反応を示すのか。ヨーロッパの自然主義に近い。
 
  ・『一兵卒』花袋の従軍記者のときの体験が生きている。だが体験がそのまま書かれているわけではない。¬=私小説。私小説ではとどまらないもの。正統的な自然主義の形。

  Ⅱ『蒲団』『春』ほか
  ・たくさんある。大正時代ずっと続いていく。どのようにして生まれたのか。藤村が大きくリードした。花袋、友だちに負けた焦り、いらだち。

  ・藤村は文壇のスターに。そこで乾坤一擲『蒲団』を出す。
   主人公のところに女子大生くらいの女性。主人公横恋慕。女弟子を帰す。蒲団をかぶって泣く。今も気持ち悪いが明治の当時はもっと気持ち悪かった。大変な衝撃を与えた。

  ・『蒲団』の成功で花袋は勝ち。大正文学の主流に。ヨーロッパの自然主義とは違う。正統的ではない。

  ・あんパン、カレーパンは日本的なもの。私小説も日本的なものをつくりあげた。これがダメだということはない。

  ・そもそも自然主義が持っていた問題点が誤解されて輸入された。

  ・科学
   =本質の追求
   =客観的観察
   という2つの本質。
   日本のなかに広く昔からとらえられていたものではない。ヨーロッパから入ってきた。自然科学としてきちんと入ってきたのはこの時代から。

  ・『破戒』『一兵卒』はヨーロッパの自然主義に近い。『蒲団』『春』は客観的観察に偏る。本質の追求が弱くなっている。自分を中心にして半径10メートル以内のことしか書かない。自分の貧困がどんな社会的背景を持っているかには頭がいかない。

  ・『蒲団』芳子をどう思っていたかーー書いている。
       人間にとって性欲はどういうものかーー書かれていない。

  ・私小説が日本文学の主流に。

  ②日本的自然主義の問題ーー『露骨なる描写』

  Ⅰ私小説への偏り
  ・日本的な自然主義へ=私小説へ。
   この自然主義はロマン主義との関係でとらえられていない。前回の川副先生の文章を読む。ヨーロッパはロマン主義に対する反発から生まれた。しかし『露骨なる描写』を読むとロマン主義との対立でとらえられていない。硯友社の美文との関係でとらえられているという極めて日本的な事情がある。

  ・花袋、美文を書くのが上手くない。劣等感を持っている。自然主義を書くなら美文じゃないんだ。日本的事情見いだせる。

  ・「見たまま 聞いたまま 考えたまま」を書いてみたにすぎない。

  ・本質の追究より客観的観察に重点を置く。ずれちゃっている。

  ・硯友社の文章は「見たまま 聞いたまま 考えたまま」を美しい文章に構成しなくてはならなかった。

  ・『露骨なる描写』をもとに日本の自然主義全体が進んでいく。客観的観察へ進んでいく=私小説。そのまま書いちゃう。

  Ⅱ文体の問題
  ・この時代にわれわれの書き言葉が完成した。
   美文は否定。その後の日本語は知らなくても読めるようになる。日本文学の伝統であった様々な修辞法なくなった。見立て、本歌取りなど教養を必要とするものを振り捨てる。伝統と切れてしまった。

 ③その後の私小説
  ・藤村、花袋
   徳田秋声 ←硯友社の流れから
   岩野泡鳴

  ・1葛西善蔵 ←早稲田系貧乏くさい。私小説、大正時代の主流に

  ・それ以外の私小説の流れ
    白樺派 志賀直哉 ←貧乏くさくない。心境小説。

  ・2プロレタリア文学

  ・3モダニズム文学

  三派鼎立ーー三竦み 大正末~昭和始め

 ④なぜ私小説に偏るのか
  ・花袋、なるべくスキャンダラスな素材。乾坤一擲。
   なぜそうなってしまう?
    個々の作家の特性
     藤村、ロマン主義より自然主義。
     日本文学は伝統的に壮大な想像力を作り出すことが得意ではない。日本の美術は些細なものから美を取り出すことは得意。五七五七七という定型に些細な日常を芸術として作り上げていく。『指輪物語』のようなスケールの大きな作品は苦手。
     
     ストイックなものが好き。私小説はまじめに不健康な生活をする。一生懸命破滅する。自分を追いつめていく。この点も私小説と合致するのでは。

 ⑤主題の価値について
  ・私小説みたいなことばかり書いている。酒に溺れ妻に逃げられる。社会的問題を書いていない。それに対してプロレタリア文学がけちをつける。
  
  ・その小説がある主題を持っている。社会的主題が含まれているかどうかは作品の価値とは別。主題については等価である。日本の自然主義より西洋の自然主義が価値が上というわけではない(川鍋)。


 3『蒲団』論ーー事実か否か
  ・私小説の始まり。
  
  ①「女教師」
  ・橋本佳の非常に重要な指摘。『蒲団』に類似した事件がある。「見たまま 聞いたまま 考えたまま」ではないでしょう。

  ②芳子のモデルの証言
  ・美知代の手紙がある。恨みつらみが書かれている。花袋の反応は『蒲団』に出ていない。事実そのままを書いたとは言い難い。

  ③情景描写
  ・9月は10月になった。(プリントの傍線部分)ラストシーン。情景描写がそのまま主人公の心理描写になっている。←花袋は文章下手だったから。見たまま、聞いたままとは言い難い。

  ・傍線 言葉の選び方が新聞の記事のような文章とは違う。
   ラスト 薄暗い一室、戸外には風が吹暴れていた。←本当に風が吹暴れていたか?晴れていたかもしれない。このような場面がラストにふさわしいから花袋は書いたのでは。その通りの情景があったとは考えにくい。
 
  ・『蒲団』は私小説であるが事実をそのまま写したとは考えにくい。文章表現である以上、事実をそのまま書くことはできないのではないか。書き写して文章にすることはできないのではないか。事実そのままを書くことの不可能性。

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