2017年1月18日水曜日

『こころ』 夏目漱石

二つの孤峰ーー近代的自我・他者・金銭ーー
夏目漱石『こころ』


1二つの孤峰
  ・漱石と鴎外 明治文学のなかで高い峰が二つそびえ立っている。
   いずれの流派、主義に属することがない。「自然主義の藤村、花袋」などと呼ぶことはできない。
  
  ・しかしながらその時々に隆盛を誇っていた文芸思潮の影響は受けている。二人は群れることなく独自の文学を作り上げていった。
  
  ・今まではほぼ時代順に見てきたが、漱石と鴎外は文学史にくくれないため、この二人だけは時代の流れから離れ個人について書いていく。

2夏目漱石の生涯
  ①生没年 慶応3(1867)~大正5(1916)
   ・紅露逍鴎 明治をほぼ全部生き切った明治文学の巨匠。
    彼らと漱石は同時代だが名前は入っていない。
   
   ・漱石の作品史 『猫』明治38~『明暗』大正5
    長い期間活動していたわけではない。そのため紅露逍鴎には入っていない。しかし今我々が読むと紅葉などよりずっと文学的貢献をしてきたと評価できる。
 
   ・鴎外は5年早く生まれ7年遅く死んだ。
    芥川は明治25~昭和2年。
  
  ②複雑な家庭環境
   ・江戸生まれ。夏目金之助が本名。
    夏目家に生まれ里子に出される。また実家に戻る。(塩原姓のまま実家に戻る。落ち着かない生活を送った。
   
   ・幼少期の影響かものごとを考え込んでしまうタイプで一種沈鬱なところがあった。それが作品にも影響しものごとの根底を問う文学になった。
  
  ③英国留学
   ・二松学舎で漢学を勉強。その後に英文学を学ぶ。
    明治33~36にイギリス留学。正岡子規が亡くなったという報を受けて帰国。
   
   ・漱石にとって英国留学は苦しいものだったが、鴎外にとってドイツ留学は楽しいものだった。この点は対比される。
  
   ・英国で漱石が頭がおかしくなったのではないかという噂が流れる。それだけ緊張しながら考えていたということ。英国では日本のやり方となにもかも違う。異国の状況に大変なショックを受ける。
  
   ・日本とは何か。ヨーロッパとは何か。個人主義とは何か。近代とはどういうものなのか。
  
   ・自分とは何かは自分以外のものに触れてみないとわからない。日本人は自分たちが背が低いと知らなかった。他者と比べて初めて自分がわかる。違うものに触れながら、我々とはいったい何なのかと問い始めていった。
  
  ④すぐれた先生
   ・漱石の周りには若い人が集まった。漱石は話し好き。父親としては癇癪持ちだったが青年にはいい先生だった。
  
   ・門弟 寺田寅彦、鈴木美重吉、小宮豊隆、森田草平、野上豊一郎、安部能成、芥川龍之介
  
  ⑤『こころ』の問うもの
   ・人間と人間というのは必ず衝突するものである。人間には他者が理解できない。お金は人間の悪を引き出すものである。近代に生きる我々は新しい時代の我々自身の生き方をまだ見つけ出せていないのではないか。漱石の作品には必ず深刻な問題が現れている。

 
 3時代背景
  ①大正3年
   ・『こころ』の発表された年。晩年の作といえる。明治39年の花袋の『蒲団』以降私小説が主流となっていた。白樺派も含め私小説が権威をふるっていた時代に漱石は『こころ』を書いた。
 
   ・『こころ』は私小説とは呼びがたい。漱石は私小説とはなれ合わなかった。それゆえの孤峰。
 
  ②自然主義との違い
   Ⅰ表現上の問題
   ・違いはいくらでもある。自然主義の作家は自分たちの表現の仕方を平面描写と自称した。あるがままを淡々と描いていくということである。
   
   ・花袋の『一兵卒』は平面描写。主人公は脚気で死ぬ。その死んでいく様子を淡々と描き出した。観察して描き出す自然主義の手法。
 
   ・藤村の『破戒』『新生』もあるがままを淡々と描く平面描写。
 
   ・漱石は平面描写とは少し違う。『こころ』は読んでみると探偵小説っぽい。先生の謎。死をほのめかす。読者は興味を持つ。これは新聞小説だったからということもある。表現上の様々な工夫を自然主義とは別の仕方でしている。
 
   Ⅱ内面の重視・理想という反省
   ・自然主義は「無理想・無解決」。生き方としての理想、人間はどのように生きていくべきかという問いかけはない。『一兵卒』も無解決。問いかけは出てこない。『新生』も姪が妊娠するがただ書いているだけ。反省はない。志賀直哉も生き方への反省はない。
 
   ・漱石の作品には問いかけがあった。理想がある。人間はどのように生きていくことが本当なのか。人間にとって自我はどういうものなのか。
  
   ・中の1 大学を卒業した(今の博士号を取るより偉い)私が田舎に帰る。喜んでいる父が私には馬鹿に見える。卒業証書をうまく飾ることができずコロンとひっくり返る。知識をありがたがることを少し見下す視線の描写。父の心を馬鹿にしたことを反省する気持ち。根本的に考えていこうとする鋭い批判性がある。
 
   Ⅲ社会・国家・時代という視点
   ・自然主義は個人の悲惨を描くことはできる。
    『一兵卒』 個人を描いているが戦争の是非の意識はない。
    『破戒』 苦しんでいく様。差別、社会構造の問題意識がない。天皇誕生日の日にも楽しむことができなかったという描写があるが、ヒエラルキーの頂点(天皇)に対する批判はない。
    社会性を欠いているのが日本的自然主義。
 
   ・漱石 近代とは何か。自分の生きている時代は前の時代とどう違うのか。
 
   ・上の14 明治は自由・独立・己とに満ちた時代である。
    封建時代とは明らかに違うという意識がある。
 
   ・大正3年 『私の個人主義』
    今の時代にも通用する問題意識を持っていた。恐ろしい驚くべき洞察。今の時代も解決しない問題意識を見抜いていた。

 
  4『こころ』論
   非常に面白い小説。細かく読んでいくとものすごく追究すべき問題が出てくる。またおかしなところも出てくる。
 
   ①構成について
   ・成立したときの事情。
    朝日新聞連載 1914(大正3) 4・20~8・11
    重要。構成上の工夫。表現上の工夫。
 
   ・当初の『こころ』は短編集『心』をつくろうと試みていた。しかし、第一編「先生の遺書」が長すぎて断念する。岩波で出版する際に、上・中・下にして出版された。
 
   ②構成上の破綻
   Ⅰ中途半端
    おかしいところ。私の父はどうなったか。中の最後で危篤。私は先生のところに戻る。親父がどうなったかわからない。また先生の遺書を読みながら私がどうなったかもわからない。空白。
 
   Ⅱ作中の矛盾
   ・先生から私、遺書を受け取る。
   「下」と同じ長さ。400字詰め原稿用紙200枚。「中」の16で懐に差し込んだとある。厚くて差し込めない。漱石には書を書くと長くなる癖があった。
 
   ・手紙の数 「上」の9 箱根からの絵葉書。日光から紅葉を封じ込めた封書。「上」の22 帰省中もらった手紙は2通。
   遺書を含めて3通のはず。矛盾がある。
 
   ・手紙の矛盾についてある研究者。帰省中にもらった手紙と遺書は先生から。紅葉の封書は先生の奥さんから。
 
   ・死にそうな父を置いて東京へ向かった。奥さんのところへ向かったのではないか。
 
   ・先生が奥さんを墓参りに連れて行ったか。
   「上」の6 連れて行ったことはない。
   「下」の51 連れて行った。
   長く書いているうちに漱石が忘れたという解釈。1回目は連れて行かれたという解釈も。
 
   ③先生はなぜ自裁したのか
   ・乃木の殉死。我々が生きているのはおかしいのではないかと考えた。←おかしい。先生は世捨て人。引っかかる。
 
   ・プリント1P 丸谷才一「徴兵忌避者としての夏目漱石」
    
   ・松本寛「『こころ論』ーー<自分の世界>と<他人の世界>のはざまでーー」非常にいい文章。ひとつひとつ丹念に書かれている。
   
   ・この講義ではなぜ自裁したのかは話さない。自分で考える。
   
   ④『浮雲』と
   プリント9P
   ・『こころ』と『浮雲』は非常に似た作品。
    『浮雲』は失敗作。善玉悪玉がはっきりしていて相対化されていない。『こころ』とは違う。先生は善悪の矛盾を抱えている。
     
   ・2作とも母子家庭のうちの娘。主人公が入り込んでくる。関係ができそうなところで闖入者が出てくる。本田昇とK。
   
   ・図から言えることは、父がいなくなっているのが近代の社会の問題だということ。近代以降、強い力を持つ中心がなくなった。それは若い人たち、女性たちにとって悪いことばかりではないが、そこに近代の苦しみ(父の不在)を見ることができる。
   
   ⑤深淵としての他者
   ・図2 『こころ』の仕組み。
    読み手
     先生、先生の奥さん、奥さんの若い頃、K、叔父さん、義母はすべて私という語り手を通じて見ることができるもの。私というフィルターを通さなくては見ることができない。
   
   ・先生はKのことを理解していないんじゃないか。私が語った範囲でだけ読者は理解する。私を通してしかアクセスできない。先生の証言を通じてしかKを理解できない。
   
   ・叔父さんは本当に悪人なのか。先生は許していない。果たしてどうなのか。実際はそんな人じゃなかったかもしれない。先生のフィルターを通した叔父さん像。
   
   ・奥さんは先生とKの関係を知らなかったのだろうか。奥さんは知っていた可能性がある。先生と奥さんのあいだにも深淵がある。
   
   ・先生の遺書 事実をそのまま語っているのか。先生の側から見たものが書かれている可能性。嘘が書いてある可能性もある。
   
   ・お互いに理解することができない。他者と他者の物語。理解することのできない他者同士の物語。
   
   ・理解しがたい他者同士の物語。近代を生きる我々の問題。理解も共感もできない他者と他者がつながっていかなくてはならないという現代的課題。テロの恐怖=他者と他者との関係。漱石は非常に優れた文学者であった。

2017年1月9日月曜日

『蒲団』 田山花袋

*ポメラで書いています。

『蒲団』 田山花袋

もう一方の自然主義。私小説。

島崎藤村と並ぶもう一方の牽引役として名前があがる田山花袋。
彼は私小説をどのように展開していったのか。

1.田山花袋について
 ①生涯と作品
  ・館林に生まれる。明治4~昭和5年(1871~1930)。
   一葉、藤村と同じ頃に生まれ、藤村より前に没した。
   外国文学をよく吸収している。この時代は文学、思想をそれなりに吸収できる時代だった。
  
  ・館林藩の侍の子として生まれた。当時の侍は警察官や軍人になるものが多かった。花袋の父は警視庁に勤め西南戦争で死んでいる。

  ・足利、東京で奉公。英語、ヨーロッパ文学を勉強する。将来は軍人か政治家になろうと思っていた。しかし段々文学に興味を持つようになり東京に出てくる。文学に生きていこうと決意。柳田国男と知り合う。

  ・明治22年に尾崎紅葉を訪ねる。直接の指導は受けなかったが作家としてデビューする。硯友会のメンバーに。文学界ともつながりを持つ。

  ・明治30年。国木田独歩、柳田国男(松岡国男)、宮崎湖処子と「抒情詩」作品集(詩集)を出版。このころ花袋は硯友社と関わりを持ちながらもロマン主義的傾向を持っていた。

  ・博文館に就職。雑誌の編集をしながらゾラ、フローベールら自然主義文学を紹介。これは花袋の功績である。

  ・明治35年『重右衛門の最後』
   明治37年『露骨なる描写』←日本の自然主義の始まりの表現。
         日露戦争に従軍。
   明治40年『蒲団』
   明治41年『一兵卒』
         他、『生』『妻』『線』3部作。
    *明治37~40年のあいだに挟まるのが藤村の『破戒』。

  ②花袋と藤村
  ・日本の文学史 ロマン主義 → 自然主義
               詩   →  小説
    花袋は自らの身をもって体現した。他に国木田、藤村。
    花袋は当時重要な位置を占めていた硯友社と文学界とつきあいがあった。重要な人物たちとつきあいを持っていた。

  ・明治37『露骨なる描写』→39『破戒』→40『蒲団』→41『春』

  ・二人の関係 先行する花袋、それを追いかける藤村。花袋が先行していたのは外国文学を知っていたから。

  ・尾崎紅葉が亡くなると、花袋はキラキラした(内容のない)文体ではなく露骨なる描写をしなくてはならないと主張する。自然主義をリードする。しかし自然主義の一番始めの作品は藤村の『破戒』。

  ・花袋は器用ではない。藤村は器用。花袋が自然主義の傾向を示すとそれをうまいことやるのが藤村。

  ・花袋、『破戒』が出て先を越されたという焦り。花袋、『蒲団』を出す。新しい自然主義の傾向を示す。大変な衝撃をもって迎えられた。藤村は『春』を出す。社会性は希薄+フィクション=私小説の時代へ。

  ・花袋のほうが文章が下手。スケール小さいが果たした役割は大きい。吉田精一からの評価が高い。



 2自然主義とは
  
 ①二つの自然主義
  
  Ⅰ『重右衛門の最後』『破戒』『一兵卒』『田舎教師』
  ・これらの作品は社会的問題を織り込んであるフィクション。ある環境のなかに置かれたときに人間と社会はどのような化学反応を示すのか。ヨーロッパの自然主義に近い。
 
  ・『一兵卒』花袋の従軍記者のときの体験が生きている。だが体験がそのまま書かれているわけではない。¬=私小説。私小説ではとどまらないもの。正統的な自然主義の形。

  Ⅱ『蒲団』『春』ほか
  ・たくさんある。大正時代ずっと続いていく。どのようにして生まれたのか。藤村が大きくリードした。花袋、友だちに負けた焦り、いらだち。

  ・藤村は文壇のスターに。そこで乾坤一擲『蒲団』を出す。
   主人公のところに女子大生くらいの女性。主人公横恋慕。女弟子を帰す。蒲団をかぶって泣く。今も気持ち悪いが明治の当時はもっと気持ち悪かった。大変な衝撃を与えた。

  ・『蒲団』の成功で花袋は勝ち。大正文学の主流に。ヨーロッパの自然主義とは違う。正統的ではない。

  ・あんパン、カレーパンは日本的なもの。私小説も日本的なものをつくりあげた。これがダメだということはない。

  ・そもそも自然主義が持っていた問題点が誤解されて輸入された。

  ・科学
   =本質の追求
   =客観的観察
   という2つの本質。
   日本のなかに広く昔からとらえられていたものではない。ヨーロッパから入ってきた。自然科学としてきちんと入ってきたのはこの時代から。

  ・『破戒』『一兵卒』はヨーロッパの自然主義に近い。『蒲団』『春』は客観的観察に偏る。本質の追求が弱くなっている。自分を中心にして半径10メートル以内のことしか書かない。自分の貧困がどんな社会的背景を持っているかには頭がいかない。

  ・『蒲団』芳子をどう思っていたかーー書いている。
       人間にとって性欲はどういうものかーー書かれていない。

  ・私小説が日本文学の主流に。

  ②日本的自然主義の問題ーー『露骨なる描写』

  Ⅰ私小説への偏り
  ・日本的な自然主義へ=私小説へ。
   この自然主義はロマン主義との関係でとらえられていない。前回の川副先生の文章を読む。ヨーロッパはロマン主義に対する反発から生まれた。しかし『露骨なる描写』を読むとロマン主義との対立でとらえられていない。硯友社の美文との関係でとらえられているという極めて日本的な事情がある。

  ・花袋、美文を書くのが上手くない。劣等感を持っている。自然主義を書くなら美文じゃないんだ。日本的事情見いだせる。

  ・「見たまま 聞いたまま 考えたまま」を書いてみたにすぎない。

  ・本質の追究より客観的観察に重点を置く。ずれちゃっている。

  ・硯友社の文章は「見たまま 聞いたまま 考えたまま」を美しい文章に構成しなくてはならなかった。

  ・『露骨なる描写』をもとに日本の自然主義全体が進んでいく。客観的観察へ進んでいく=私小説。そのまま書いちゃう。

  Ⅱ文体の問題
  ・この時代にわれわれの書き言葉が完成した。
   美文は否定。その後の日本語は知らなくても読めるようになる。日本文学の伝統であった様々な修辞法なくなった。見立て、本歌取りなど教養を必要とするものを振り捨てる。伝統と切れてしまった。

 ③その後の私小説
  ・藤村、花袋
   徳田秋声 ←硯友社の流れから
   岩野泡鳴

  ・1葛西善蔵 ←早稲田系貧乏くさい。私小説、大正時代の主流に

  ・それ以外の私小説の流れ
    白樺派 志賀直哉 ←貧乏くさくない。心境小説。

  ・2プロレタリア文学

  ・3モダニズム文学

  三派鼎立ーー三竦み 大正末~昭和始め

 ④なぜ私小説に偏るのか
  ・花袋、なるべくスキャンダラスな素材。乾坤一擲。
   なぜそうなってしまう?
    個々の作家の特性
     藤村、ロマン主義より自然主義。
     日本文学は伝統的に壮大な想像力を作り出すことが得意ではない。日本の美術は些細なものから美を取り出すことは得意。五七五七七という定型に些細な日常を芸術として作り上げていく。『指輪物語』のようなスケールの大きな作品は苦手。
     
     ストイックなものが好き。私小説はまじめに不健康な生活をする。一生懸命破滅する。自分を追いつめていく。この点も私小説と合致するのでは。

 ⑤主題の価値について
  ・私小説みたいなことばかり書いている。酒に溺れ妻に逃げられる。社会的問題を書いていない。それに対してプロレタリア文学がけちをつける。
  
  ・その小説がある主題を持っている。社会的主題が含まれているかどうかは作品の価値とは別。主題については等価である。日本の自然主義より西洋の自然主義が価値が上というわけではない(川鍋)。


 3『蒲団』論ーー事実か否か
  ・私小説の始まり。
  
  ①「女教師」
  ・橋本佳の非常に重要な指摘。『蒲団』に類似した事件がある。「見たまま 聞いたまま 考えたまま」ではないでしょう。

  ②芳子のモデルの証言
  ・美知代の手紙がある。恨みつらみが書かれている。花袋の反応は『蒲団』に出ていない。事実そのままを書いたとは言い難い。

  ③情景描写
  ・9月は10月になった。(プリントの傍線部分)ラストシーン。情景描写がそのまま主人公の心理描写になっている。←花袋は文章下手だったから。見たまま、聞いたままとは言い難い。

  ・傍線 言葉の選び方が新聞の記事のような文章とは違う。
   ラスト 薄暗い一室、戸外には風が吹暴れていた。←本当に風が吹暴れていたか?晴れていたかもしれない。このような場面がラストにふさわしいから花袋は書いたのでは。その通りの情景があったとは考えにくい。
 
  ・『蒲団』は私小説であるが事実をそのまま写したとは考えにくい。文章表現である以上、事実をそのまま書くことはできないのではないか。書き写して文章にすることはできないのではないか。事実そのままを書くことの不可能性。