2016年8月31日水曜日

『破戒』 島崎藤村

『破戒』 島崎藤村


一方の自然主義ーー島崎藤村『破戒』


 ・『破戒』を通じて日本の自然主義の一方を考えていきます。差別用語が使われる場合もありますが部落差別を助長するような意図はありませんのでご容赦ください。


1島崎藤村の生涯

①生涯と作品

 ・島崎藤村。明治5年(1873)~昭和18年(1943)。本名島崎春樹。樋口一葉と同一年に生まれ、太平洋戦争の最中に没しました。木曽の庄屋の名家の生まれです。明治14年に兄と一緒に勉学のために上京します。父は厳しい人でしたが精神を病み、座敷牢で亡くなっています。明治学院普通部本科に入学しキリスト教の洗礼を受けます。その後明治女学校の英語の教師となります。そのとき女生徒に恋心を抱きますが打ち明けられないまま辞職し、関西へ行きます。島崎藤村は追い詰められると逃げてしまう(旅に出る)という傾向を持つ人だったようです。

 ・明治26年に『文学界』に参加。北村透谷と共に創刊し、藤村は旅先から寄稿しています。北村透谷は藤村の小説によく出てきます。『破戒』での猪子連太郎は透谷と重ね合わせているのではないかと言われています。

 ・明治29年に東北学院に勤めます。そのとき『若菜集』を発表。「はつ恋」の詩が有名です。その後小諸で教師をしそのとき結婚。『落葉集』を発表します。「椰子の実」で有名です。藤村は『落葉集』を書きながら自然主義的な小説を書こうと考えていたようです。

 ・明治38年に東京へと戻ってきます。明治39年に『破戒』を発表。この『破戒』以前/以降で藤村の作品は浪漫主義的/自然主義的と分けることができます。『破戒』は後者で非常に救いのない暗い小説となっています。この『破戒』が藤村の1度目の転身と言われています。


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 ・『破戒』は文字通り戒めを破るということです。明治の時代の酷い差別が書かれています。その救いようのない現実を暴き出したところに『破戒』の自然主義的特徴が現れています。

 ・明治41年に私小説『春』を発表。『春』は非常に重要な作品です。『春』以降、藤村は私小説の立場に立ちます。この作品には藤村自身や北村透谷が出てきます。『春』以降が2度目の転身と言われます。

 ・明治43年に糟糠の妻が四女を出産後死去。藤村は切り詰めた生活の中で3人の子を失っていました。その辛い思いもあってか手伝いに来ていた兄の娘と関係を持ち妊娠させてしまいます。藤村はフランスへ渡ります。

 ・大正5年に帰国。大正7年に姪との関係を書いた『新生』を発表。この作品は様々に議論されました。その後『夜明け前』を発表。『東方の門』を執筆途中で永眠します。


②そのポイント

 ・島崎藤村の評価は落ち着いてきているといいます。2点。
  1.放浪すること。この放浪が重要な点で、放浪先の経験を文学に昇華しているのです。明治14年~明治38年までは、関西、仙台、小諸と放浪しました。
  2.ロマン主義から自然主義へ。浪漫主義の代表作は『若菜集』『落梅集』で詩的形式で発表しています。自然主義の作品は『破戒』『春』など小説という形式で発表しています。
  島崎藤村は日本の文学史全体の転回を体現した文学者だと言っていいでしょう。


2文学史的観点から

①藤村の浪漫主義
 
 ・浪漫主義時代の作品は叙情性が非常に豊かです。国木田独歩とも違う感傷的なものです。そこには恋愛感情と旅愁が書かれています。感傷的と言ってもそれは、私とは何か、どうやって生きていけばよいのか、といった深刻な問いを投げかけ、それを自分の内面を持て余してしまうようなものなのです。

 ・ずっと封建的だった社会で恋愛感情の開放を書く事は、特に男性が書くことは「男のくせに」と言われ旧弊な社会との対立は必然でした。そのような社会的背景と照らして読む必要もあります。


②自然主義

 ⅰ自然主義とはなにか
  
  ・自然主義について川副国基は「藤村と自然主義」(『島崎藤村必携』 學燈社)で藤村の自然主義について書いていますが、その解釈は浪漫主義の戦う側面が過小評価されていると言います。国木田独歩の『武蔵野』のところで書いたように浪漫主義の延長が自然主義だと考えると浪漫主義の戦う側面はもっと重視されるべきであると思います。

  ・自然主義とはリアリズムの一つの形態です。現実にありそうなことを現実にありそうに書いてあるか、それによりリアリズムであるかどうかを分けることができます。

  ・明治39年に島崎藤村の『破戒』、明治40年に田山花袋の『蒲団』により日本の自然主義は確立されます。その後の大正文壇の主流は藤村と花袋となります。

 
  ・前にも書いたように自然主義の「自然」は自然科学の自然です。自然科学の方法を文学に応用し社会と人間の関係を冷徹に描き出すという主張、手法が自然主義です。もっとわかりやすく言うと、小説という形式を借りた一種の思考実験とも言えます。ある社会を想定してそこに人間を放り込むと人間はどうなるのか。自然科学のフラスコでの実験を思い浮かべてもらってもいいと思います。

  ・ヨーロッパの自然主義の特徴は、
   1.必ず社会性が織り込まれています。社会と人間の関係を読み解くことが重要だからです。
   2.フィクションであること。この点が日本の自然主義と違う点です。
   坪内逍遥は『小説神髄』でリアリズムとは現実の人物を雛形にして登場人物を造形すると書いています。そのことが別様に解釈されたのではないかと窺われます。
   日本的な自然主義については後に田山花袋の『蒲団』を書く際に触れようと思いますがおおまかに言うと、1.社会性が希薄であること。2.フィクションではない実在の人物が登場すること=私小説が非常に多いということ。この2点に特徴があります。


 ⅱ文体の問題

  ・明治40年に書き言葉の原型が出来上がったことは以前にも触れました。つまり今我々の使っている言葉が自然主義の書き言葉だということです。

  ・ちなみに『破戒』には旧版と新版があります。旧版が発表されたときにその差別的な内容から色々な人たちの心を傷つけることになったため新版が出されました。別名『身を起こすまで』です。

  ・『破戒』はまだルビの振り方に多少の違和感を残していました。「社会」が「よのなか」であったり「思想」が「かんがえ」であったりしています。しかし現在我々が読むことに支障をきたすものではありません。口語としてできあがっていたと言って良いでしょう。同時代の国木田独歩も口語体という点で進んでいましたが藤村は国木田よりさらにちょっとだけ進んでいたと言えると思います。


 ⅲ社会性をはらんだ自然主義

  ・『破戒』はヨーロッパに自然主義にほぼ近いと言えます。第一に部落差別を問題にした点で社会性をはらんでいます。このことは後にプロレタリア文学の側から評価されました。社会性という点では私小説の元祖とも言える田山花袋も『蒲団』以前の『重右衛門の最後』『一兵卒』『田舎教師』などは稚拙ではありますがヨーロッパの自然主義に近かったと言えるでしょう。ただ花袋の場合はどうみてもプロレタリア文学ではありません。花袋に社会主義の思想は見つけられません。


 ⅳ『破戒』後の展開

  ・田山花袋の『蒲団』が私小説の始まりであることは上に書きました。花袋に対抗すべく藤村もそれに続き『春』以降私小説を発表していきます。ただし、『夜明け前』などは私小説の枠組みでとらえるべきではなく、スケールの大きなリアリズムととらえるべきでしょう。私小説で言われることに、半径10メートルの中だけを扱っている、という言い方がありますが『夜明け前』は当てはまりません。

 ・私小説というものはヨーロッパに自然主義の発想にはなかったものなのです。


3作品論

 ・『破戒』の旧版と新版は読み比べるとその当時の問題点というものが浮かび上がりますのでどちらも読んでおくべきではあるのですが、現在書店に並んでいるものは旧版です。

①余計者

 ・日本の近代文学、現代文学は余計者の文学です。その特徴として、主人公が社会の中で中心的な位置にいないこと、人とうまくやれなくて社会に受け入れられていないことが挙げられます。また、作家自身も社会の中枢で活躍した人物ではないこともあります。あえて余計者の位置に自分を置きながら自分の人生の真実を見失うまいとして生きていた人たちです。

 ・余計者が決して正しいというわけではありません。大正の私小説作家で有名な人物は太宰治でしょう。『破戒』も同じく余計者の文学です。主人公の丑松は頭脳は優秀ですが善良で気弱な人物です。社会からいわれのない差別、抑圧を受けています。こういった人物を主人公にすることにより個の側から社会の理不尽を照らし出していくのが余計者の文学だと言えるでしょう。

 ・弱い側から見ると強い者の横暴やインチキが見えてくるのです。『破戒』においては主人公の丑松だけでなく、丑松の尊敬する猪子も社会の理不尽と真正面から闘い死んでいく余計者として書かれています。猪子のモデルは北村透谷であろうと思われますので透谷のイメージを重ね合わせて読んでいくと面白いでしょう。


②『破戒』の諸問題

 ⅰ書き換え

  ・上に書いたように旧版と新版の書き換えの問題があります。藤村自身はたいして書き換えていないと言っていますが実際読んでみると大幅な書き換えがあったようです。被差別部落を指す言葉は書き換えられるか削除されたようです。

  ・さらに藤村自身の被差別部落への差別意識が地の文に出ていたようです。つまり藤村自身が自分の差別意識を相対化するところまで至らなかったということのようです。例えば血筋の問題を書いてある箇所には人種起源説を思わせるものがあると言います。人種起源説は当然明らかな誤りであるのですが藤村はそれを無意識にか書いてしまっているのです。その箇所は新版では撤回されました。

  ・撤回したことは評価できるとともに別の問題も生み出しました。差別意識は差別意識として語られるべきだという問題です。被差別者も差別意識を持っているし、差別意識が自分のアイデンティティになっているということもできるのではないかと言うこともできるからです。それならば藤村は撤回すべきではなかったのではということにもなります。これは非常に難しい問題であると思います。

 ・また、丑松の友だちが丑松を守ろうとする場面があります。そこで友だちは、穢多が追い出されたってなんだ、当たり前じゃないか、きみは穢多じゃないだろう、と書かれています。これが新版では書き換えられています。この場面はもう少し別の書き換えの仕方があったのではないかと言われているようです。旧版、新版を読み比べるときに注目しておきたい点です。

 ・そして最大の問題はその書き換えがあまりに単純に書き換えられたと思われるため物語の重要な要素が失われてしまったのではないかという点にあります。作品中で丑松が追い詰められていく様がピントがずれているように感じてしまうのです。このように書き換えられたことにより非常に難しい問題を抱えてしまうことになりました。


 ⅱ結末

  ・作品の最後に丑松が告白し土下座をする有名な場面があります。それも書き換えにより新版ではなぜ土下座をしているのかがよくわからなくなってしまっています。戒めを破った=破戒をしたことで学校へ行くことができなくなるのですが、その後丑松がどのように生活していったかが書かれていないのです。丑松はテキサスへと旅立つのですがそれが予定調和、ご都合主義に思えてしまいます。本来ならば破戒をした後の丑松の状況のほうが大変なのではないかと思われます。丑松がその後どのように生きていったかを書けなかったのは藤村の限界であったのだと言って良いのかもしれません。


 ⅲ以上のことから

  ・『破戒』は自然主義の始まりの小説であり、また社会的問題を真っ向から取り上げた初めての小説だと言えます。しかし、書き換えの問題や結末の問題など自然主義としては本質的な制約を持っていた小説とも言えます。この両方の点から『破戒』という作品を捉えることが必要であると言えましょう。

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