2015年4月5日日曜日

だからお前はすごいんだ。

ブログの更新が久しぶりだが、特にサボっていたわけではない。こちらのブログはある程度考えがまとまってから書こうと思っているので更新頻度はこれからも上がらにかもしれない。


ということで、読んだ本の紹介を。
今回は『グレート・ギャツビー』 村上春樹訳。


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先日、バズ・ラーマン監督の『華麗なるギャツビー』を観た。ディカプリオ主演で当時の謎めくような煌びやかな社交界のなかで光り輝く男ギャツビーが描かれていた。映画を観たのはこれで3回目だ。1回目は映画館で、2回目はどこだろう、どこかのチャンネル。そして3回目はWOWOWでだ。今回観ることでやっと『華麗なるギャツビー』という作品がどのような物語だったのかがなんとなくわかってきたような気がする。



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映画では冒頭で現れるgreen lightが印象的だ。ブキャナン邸の桟橋の尖塔につけられた灯。それが何を意味するのかは不明であるが、バズ・ラーマンはgreen lightを観客に印象づけようとしている。このgreen lightが何かの象徴であることは確かと言えよう。映画はかなり脚色がしてあり、登場人物たちの行動がより鮮明に描かれている。当然のことながら小説の細かい描写をそのまま映像化することは不可能でバズ・ラーマンは小説を忠実に映像化するならば7時間の大作にしなければならないだろうと言っている。よって映画はよりドラマティックかつよりわかりやすいものとなっている。T・J・エックルバーグ博士の眼がこの映画では不気味な視点として繰り返し現れてくる。まるで何かに見られているような。この映画ではすべての真相を知っているものはいない。ただ、エックルバーグ博士の眼だけは、この作品の真実を知っているぞと語りかけてくる、しかも強迫的に、感じる。映画ではまた豪奢な世界観のなかでデイジーが小説と対比するとより美しく描かれている。まずトムとデイジーの娘が出てこない。そしてこれは僕の主観が入るところだがデイジーが若く見える。ギャツビーより2歳年長のはずのデイジーが歳下に見える。印象的なシーンとしてギャツビーがデイジーを屋敷に招待したとき、クローゼットからシャツをばらまくシーンがある。幾種類もの生地の色とりどり鮮やかなシャツを次々とデイジーに向かって投げるギャツビー。まるで自分はデイジーに何でも与えられるのだということを誇示するかのように。デイジーはギャツビーが次々と投げてくるシャツを楽しそうに見ているがやがて泣き出す。デイジーの心はどのように移り変わったのだろうか。小説では次のようにある。


「...Suddenly, with a strained sound, Daisy bent her head into the shirts and began to cry stormily.

"They're such beautiful shirts," she sobbed, her voice muffled in the thick folds. "It makes me sad because I've never seen such - such beautiful shirts before."」『The great gatsby』


このシーンは映画において非常にうまく機能しているように思う。デイジーが何を悲しいと思ったのかはわからない。それはギャツビーへの悲しさだったのか、それとも今の自分の生活への悲しさだったのか。



映画は後半のプラザホテルでのシーンやその後の例の自動車事故についても観客に非常にわかりやすく明解に描かれている。幾分の脚色に小説の読者は多少戸惑うかもしれないが登場人物の造形は崩れていないので許容範囲と言えよう。そして物語は終焉を迎える。



バズ・ラーマンの映画を見直して思うにとてもよく出来ていたし、ギャツビーについて考えさせられることが多かった。また小説と比較することにより相対的に作品を見ることができるようになったと思う。そして気づいたのは自分がギャツビーという男をあまりに典型的な人物として捉えてしまっていたことだ。大雑把に言うと、彼は金持ちになってデイジーを取り戻しに来たということだ。しかし彼はそんな一言では形容できない、つまりgreatな男なのだ。ギャツビーはピンクのスーツ、黄色い車、豪華な大邸宅そして毎夜のパーティー、贅の限りを尽くした男のように見える。しかし彼の中に常にあるものがある。彼が目指していたなにかがある。彼はそのために、文中の言葉を借りるならば”精神を高めるために”、努力をしてきた。その目指した未来に存在したのがデイジーであったのだ。だから彼の目指したものは未来、彼の壮大なる夢はもっと先にあった。ギャツビーの夢はアメリカの夢だ。あの冒頭、そして最後に描写されるgreen lightは夢の灯りだったのだと思う。彼はアメリカの夢を追いかけるために努力を欠かさなかった。そこで手に入れたものとしてこの作品で最も印象的な台詞"old sport"がある。彼は紳士風を振舞うためにピンクのスーツ、黄色の車、社交的なパーティー、そしてイギリスオックスフォード風に「オールドスポート」を身につける。しかし彼とは決定的に出自の違う根っからの”上流”のトムの前ではそれはイラつかせる成金趣味でしかない。ギャツビーはどんなに自分を律し高めようともその壁を乗り越えることはできない。そしてそれはデイジーを奪われるということにも繋がる。彼はアメリカの夢に手を伸ばす。象徴としてのデイジーを奪い返すことができるかというところで覆される。彼のいわゆる”インチキ”なところがどうしようもなくあらゆるところで見え隠れする。それはどうしようもなく仕方のないことなのだ。だがそれが、ギャツビーが目指した夢、アメリカの、西部出身の、誰もが夢見るものなのだ。


「Gatsby belived in the green light, the orgastic future that year by year recedes before us. It eluded us then, but that's no matter - tomorrow we will run faster, stretch out our arms furthe...And one fine morning -

So we beat on, boats against the current, borne back ceaselessly into the past.」『The great gatsby』



ニックは判断を留保することでジェイ・ギャツビーという仮面の奥に潜む、ジェームズ・ギャッツという哀しい男を見つけることができた。僕らと同じくギャツビーもアメリカの夢に狂わされた人間なのだと。どこで間違った?どこで一体何を間違った?彼は自分にそう問いかけ続けている。そんなギャツビーに対してニックが作品で彼に唯一の賛辞を与えるシーン。


「"They're rotten crowd," I shouted across the lawn, "You're worth the whole damn bunch put together."」『The great gatsby』



ギャツビーはアメリカの夢だ。そしてそれを象徴するのがgreen lightだ。彼が求めていたものは、冒頭に戻るとはっきりする。Thomas Parke d'Invilliersの引用に現れている。アメリカの夢のメタファーとしてのデイジー。それを追いかけ続けたジェイ・ギャツビー。夢を追いかける真っ直ぐな男ギャツビー、そしてそれを喰いものにし、彼の葬儀にもやってこない東部の金持ちたち。それはトムは当然、デイジーも同様だ。ニックがギャツビーに惹かれた理由はうまく説明できない。それを理解するため、そして言葉にするためにはこの作品は緻密すぎて読み込むのに多くの時間が必要であり僕の筆力もまだ足りない。それでも僕にもギャツビーがgreatな理由がようやくわかりかけてきたと言いたい気がする。


あと、この『グレート・ギャツビー』は僕がほぼ唯一英語で読んだ作品といっていいが、やはりちょっと翻訳した作品との微妙なニュアンスの違いというのがあるように思う。そのあたりが気になる方は原書で読むことをお薦めしたい。僕は村上春樹の翻訳版を片手に読んでいたが、そういう読み方でも多少なりとも得るところはあるように思う。

5 件のコメント:

  1. せんせい! そうでしたか。見捨てられたのかと思いましたよ…
    なるほど、あちらではライブっぽく、こちらではじっくり行かれるのですね。

    ニックが最初に見たギャツビー(見られていることを知らない)は、海に向かって手を伸ばすんですよね。それはそのgreen lightに伸ばしているわけですよねー。届かないんですよね、それが。

    あとね、アメリカの夢って、東から西に向かったものなんですよ。"Go West!"ってねー。ギャツビーもニックも西から東に向かっていくんですけど、逆行してるんです。ギャツビーが住むのは"West Egg"、デイジーのうち、つまり"green light" のあるところは、海を挟んだ"East Egg"でね。これどういうことになるのかねー、とかここで書いてると自分の記事が書けなくなったりして。いつ書けるかわかんないけどねー(笑)。

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    1. 麸之介、あなたを見捨てるわけないじゃないの!
      あの桃園の契りを忘れたの!?
      そう、あっちは思いついたアイデアというか備忘録をちょっと書いておいて、こっちでまとめるという感じでいこうと思ってます。

      東から西へのアメリカの夢が、西から東へと向かったことで既に敗北が予兆されているということですね。逆行した夢に逆らってまでも追いかけ続けたギャツビーをニックをしてgreatだと言わせたと。手を伸ばした先にある"East egg"の"green light", "Daisy"を追い求めた"Gatsby"・・・(泣)
      師匠の、「もう西がない」のに夢を追おうとした、というのもそういうことなのだなと思いました。忘れないようにここに書き記しておきます、許してね^^
      段々頭の中が整理されてきましたよ。ありがとうございます^^

      日本語で読むといろいろなところが滑っちゃうのって僕だけなのでしょうかね。「緑の灯」、「West egg, East egg」とかって僕は原文で読んだときは心に刻み込まれた!っ感じだったのよ。他にも「ピンクのスーツ」とか「黄色い車」とか色鮮やかじゃない。こういうのって一体どういうことなのだろうか・・・。

      麸之介師匠の『ギャツビー』の記事楽しみにしてますよ。ってあなた!あれから1年経ったんじゃないの!?

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  2. こちらには初めてコメントさせていただきます。奈菜です。
    ギャツビーの話となると、黙っていられません!

    私も麩之介さんが書かれている、序盤のギャツビーがgreen lightへ向かって両手を伸ばすシーン、心に残っています。意味を知ってから読み返すと、切ないですよね。
    ちなみに”伸ばす”の表現は野崎訳だと「さしのべる」なのですが、村上訳だと「差し出す」となっていて、ニュアンスがだいぶ違うんですよね。村上さんの想いを載せてあるのかもしれません。

    記事を読んで初めて気付けたのですが、最後の最後で再び、この両腕を伸ばすということが書かれていたんですね…。
    あとデイジーが泣き出すシーン、今の自分の生活の悲しさ、というのにもなるほどと思いました(>_<) いろいろ交錯したのでしょうね。やっぱり原書で読みたい…。

    大好きなラストの一文、原文だとこんなにもシンプルで力強いということにも驚きでした。

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    1. コメントが遅れて申し訳ありません。
      上の麸之介師匠への文章も急いで書いたため変な感じになってますね(汗)

      1章の最後のギャツビーをニックが見つける場面ですが、dark water の向こうに green light があるのですよね。正確に言うと違うような気もします。ここは名文だと思うので奈菜さんには是非原書にあたっていただきたいと思います。視点を追っていくと描写としてこれ以上はないと個人的には思うのですよ。
      ニックの視点で、gatsby → dark water→ gatsby→ green light→ gatsby(vanished)
      そして俯瞰で、 I(Nick) was alone again in the unquiet darkness と。
      なんて、また分析しちゃってますので魅力が半減どころではないので是非原書で!
      これを踏まえて春樹の訳を読むと春樹の想いもより理解できるのではないかと思ったりします。あんまり書くと師匠のお叱りを受けるかもしれないので僕の言える限度はここまででw

      1章の終わりが stretched out で過去形ですよね。そして作品の最後が will stretch out なのですよね。しかも our arms になっていると。
      なにか最後の一文を書いてしまって申し訳ない気持ちがありますが、ここを書かずしてどこを書くか、という気持ちで書かずにはおれなかったのです。

      あのシャツのシーンは色々な取り方ができると思うのです。前に僕が書いたようにデイジーには見えたのかもしれない、そして自分を悲しく思ったのかもしれない。どう解釈するかは奈菜さんにお任せしたいと思います。というか僕もこうだ、とは言い切れません。

      春樹訳のあとがきにも書いてあるように原書で読んだからわかる、というものではないのでしょうが、こういう作品は直にあたってみる価値は十分にあると僕は思います。今回記事を書くにあたって原書、翻訳書を結構真剣に読みましたがそのエッセンスの一部しか理解できないと感じました。どもこういう一筋縄ではいかない作品があるからこそ読書の楽しみがあるのだと思いました。

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