2017年6月7日水曜日

ポストモダン

ポストモダンとはなんのことなのかもうわからない世代がいるという。


僕個人の解釈としては、モダン(近代)の次の価値観を探し求めた時代がポストモダンの時代だった。それは日本にとってニューアカの時代だったろうが、僕にとっては1990年代に触れたドゥルーズ、フーコーの思想だった。


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僕が高校生当時、紀伊國屋書店でたまたま見かけたのが中沢新一氏の『カイエ・ソバージュ』シリーズ。中学生のときに吉本隆明を読んでいたがまったくわけがわからない馬鹿な学生だった僕にも中沢氏の本は読みやすく中身も目から鱗だった。


まあそれはいいとして、ニューアカの名残と大学時代に触れたドゥルーズとフーコー。これが決定的に僕の思想傾向を決めたといっていい。ポストモダンに触れる前に戦後の文学状況について少し触れたい。


戦後日本の文学は大江健三郎や石原慎太郎、三島由紀夫などがセンセーショナルな作品を発表した。内向の世代と言われる人たちも批判にさらされながらも独自の視線で作品を発表した。安部公房の『箱男』は思想的に読んでも面白い。その後時代は進んで1970年代を迎える。そこに断絶がある。1970年代のある時期から日本の文学には決して無視できない断絶がある。1980年代になるとそれはもう揺り戻しが効かない事態になっていたと僕は思っている。1970年代以降の文化しか知らない日本人が現れたことにより日本はある意味変わった=終わったと言っても良いだろう。


僕はそのことに直感でなんとなく気づいていたのだが、日本文学の歴史を勉強することでそれが間違いでないことに気づいた。本物の作品が消えた。文学だけでなく、映画、絵画、彫刻、建築、あらゆるものから消えた。日本は1970年代から新しい国として生まれ変わったかのように自分たちの歴史を忘れた。それは日本人の習性が消えたわけではない。歴史が消えたのだ。


ドゥルーズが『アンチ・オイディプス』で目指したものは既存の哲学体系、ヘーゲル的哲学体系へのアンチであった、それはもちろんフロイトのエディプスの三角形へのアンチでもある、がそれが日本人にとってはもはや跡形も残らず10年代を迎えている。千葉雅也氏や國分功一郎氏、東浩紀氏などポストモダン思想の後継者的な方々の本が売れていることに光を見たいが実際自分が生活していてポストモダンを感じることなどもはや皆無だ。


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ドゥルーズが描いたもののひとつにエディプスの三角形の批判、スキゾへの逃走がある。今の若い人たち、それに限らず馬鹿な政治家も平気で発言するが、でさえも自分たちの既存の社会的役割を演じることに違和感を感じていない、いやむしろ進んで演じようとしているようにさえ見える。父であること、母であること、子であることに満足しようとしている。学校で良い成績を取ること、いい大学に入ること、いい会社に入ること、いい社員であること。男らしくあること、女らしくあること、先生であること、生徒であること。


ドゥルーズはこのような傾向を神経症的と言ったが、まさに神経症に進んでなろうとしている。人びとが感じる不安をその社会的役割を演じる=権威と同化することにより安心を与えてくれるのだ。そこにポストモダンが目指した現状を改革しようという意志はもはやない。みなが○○らしさを求め、他者に○○らしくあれ、と強制する。まさにモダンへと還っていく退行現象が起きていると僕には見える。


ゆとり世代に対する批判もあったが僕はゆとり世代を否定的には見ていない。彼らは確かに僕の世代より学習にかける時間は少なく知識量も少ないだろう。しかし、ゆとり世代はオルタナティブとして手にいれたものがあるはずなのだ。それを有効に使う、彼らの能力を引き出すことができない上の世代に問題があるのだ。そして一度舵を切ったものをまた戻そうとする。今の学生はまた詰め込みに戻る傾向があるようだが彼らに少なくとも僕の世代と同じだけの知識を吸収する力はない。戻るにはおそらく20年ほどはかかるだろう。


勘違いしないでほしいのは詰め込み教育がよいと言っているのではないということだ。別に勉強などする人はするししない人はしないのだ。むしろ一方的に上から過度に詰め込まれた人間はその後まったく伸びない。それゆえにゆとり教育という発想があったと僕は思っている。僕はポリシーとして自分をその社会的に求められた役割とは別のイメージを与えようとしている。それが奇異に映っているかもしれないが、それが社会の硬直性を打破する、改革することにつながるのだと思っている。


2017年現在、ポストモダンは消えた。あの時代の思想が一過性のものだったのかと考える向きもあるだろうが、僕はそう思わない。あの時代、僕が影響を受けたドゥルーズやフーコーは確かに真実を語っていた。暗黒の中世の時代からルネッサンスの時代を迎えたとき、例えばマキアベリの政治哲学は受け入れがたいものに映っただろう。しかしそれが人間性の政治哲学であったことは間違いない。その人間の時代がドゥルーズのスキゾ概念によって終りを迎えようとしていた。フーコーのいう人間の終焉。


あのときの熱狂。少なくとも知を大衆が手に入れたというあの感覚は偽物ではあるまい。あの時代を生きたものとしてポストモダンが空白の時代だったと言われるわけにはいかない、強くそう思うのだ。

2017年6月3日土曜日

症候と読むことの差

『現代思想』に掲載された、樫村さんの論文「ドゥルーズのどこが間違っているか?」を読むとドゥルーズの問題点がクリアに示されていて自分のドゥルーズ理解の視野を広めてくれる。96年に発表されたもののようだが、東浩紀さんの『存在論的、郵便的』、千葉雅也さんの『動きすぎてはいけない』でも扱われている。


しかし、僕はこの論文を読んでドゥルーズが間違っているとは思わないのである。ニーチェの永遠回帰を病的症候として読むか、それとも隠喩として読むかということは重要であるとは感じない。ラカンの『盗まれた手紙』からドゥルーズとラカンに共通する詐術を見出す点もなるほどと思うのだが、それにより僕のなかでドゥルーズの評価が変わることはない。ただ、本当にこの樫村さんの論文は読んでいて刺激されるし、96年当時を考えるとあの状況でここまで批判的に書けているというのは驚異的だと思う。このあと宇野邦一さんの本が出たりするわけだけど宇野さんの本は読んでいてそれほど論理的に詰められたものとは感じなかった。哲学的というよりむしろ文学的といったほうがいいように思う。ただ、宇野さんの本には文学的アプローチでなければ捉えられないドゥルーズの核心に触れていたように思う。習慣、記憶、そしておそらく言葉の問題。この点を深化させていくと樫村さんの論文とは違う地平が現れてくるように思う。


で、この「ドゥルーズのどこが間違っているのか?」のなかで僕がちょっとブログ記事として取り上げてみたいのは、この論文の是非ではなく、ニーチェの永遠回帰の解釈部分だ。ニーチェについて書かれているものを読むとまずそもそもニーチェはいったいどこまで病んでいたのかということで評価がわかれるように思う。この樫村さんの論文もニーチェの症状は実体的なものであって決して隠喩ではない(それゆえドゥルーズがハイデガーと結合させたのは間違っている)と書いていると思う。他にルー・ザロメとの恋愛により精神を病んだということに重点を置いているものや母と妹のヒステリーの影響をあげている人もいる。そして梅毒の影響の問題などもある。しかしどうだろう。僕はニーチェにそのような身体性を感じていないのだ。直感でしかないのだがニーチェの著作を読んでいて僕はそれを感じない。僕自身が重度の精神的危機に陥った経験があるからなのだが、それゆえ僕の身体性に関わることなので猶の事説得力はないだろうが、どう考えても精神に異常をきたした状態であの文章を書くことは不可能ではないだろうかという疑問を感じざるを得ない。ニーチェの文章の特異さについて書いておられる方もいるが、精神の異常をきたしているのならあの程度の文体で終わるものではない。言いすぎかもしれないが精神に異常をきたしてあの程度の文体でしか書けなかったのならばニーチェという人間の知性と感性は所詮その程度のものだったのだと切り捨ててもいいのではないだろうか(もちろん僕はそう思わないのでニーチェを読んでいるわけだが)。


樫村さんの論文のセクション1で取り上げられているニーチェの永遠回帰(論文では「永劫回帰」である。)について少し考えてみたいと思う。樫村さんはニーチェの現場とドゥルーズの理論について以下のように書いている。

「ニーチェの偽装する力、差異と強度の現場には、あらゆる不幸と興奮が渦巻いているのに、ドゥルーズ(Dz)の即時的差異には、抽象化された整合的理論にふさわしい、穏便な幸福の気配こそが支配的だからである。」

ニーチェの現場とドゥルーズの思想は場が違う。ニーチェのそれは真理=譫妄=病の発生現場である。つまりそこには病の人としたのニーチェがあり、彼が病んでいたからこそ永遠回帰を始めた思想が形成されたと考えているのだろう。もちろんそこには「明晰な思考としての症候総体」の一過程としての思想であると明記しているわけではあるが。対してドゥルーズは読む人であると言っている。彼は穏健である。ニーチェが実体として感じていたものを彼は読むことで思想としている。彼の病の収集癖がそうさせているのだとも言う。果たしてカフカにおいて『変身』のザムザは症候であるのだが、ドゥルーズにとっては隠喩であるのだろうか。ここに樫村さんはニーチェとドゥルーズに決定的な差があると主張しているのだろう。


僕はこの樫村さんの主張に異論があるわけではない。ニーチェが、

「これは一般に分裂病者が、(本質的に想像的なものー幻想の欠損に由来する)認識ー行動上の困難を、「理性的」推論で補おうとして、ますます混乱に陥る(世界と身体の自明性が崩れる)ことに対応するが・・・」

とあるように分裂病者の症候を表していることはありうるのかもしれない。それにより現実=実体に触れ、混乱をきたし同一律が解体し破壊的支持関係が発動したというのも言い過ぎではないだろう。むしろここに樫村さんの言うような永遠回帰の現れを見ることができるとも思う。


だが、ドゥルーズの考える永遠回帰はまったく別の平面を描いていると言えないだろうか。彼の哲学はニーチェの影響を強く受けているがむろんそれだけではないのは明らかであろう。スピノザの一元論、プルーストの習慣、記憶、そして言葉の問題を考慮に入れただけでもニーチェの哲学とは違う平面で考えなければならないことは自明であろう。確かに隠喩、病の収集癖と言われるものはあるとしてもそれはニーチェの強度とハイデガーの差異を連結するときに不都合が生じているだけで、ドゥルーズの哲学体系、樫村さんが言うようにヘーゲルの『精神現象学』に匹敵する哲学体系の構築に齟齬をきたすような問題であっただろうか。


ニーチェの存在論は精神病特有のものであるかもしれないが、ドゥルーズの存在論は存在そのものを問うている限りそこに問題は生じないのではないだろうか。主体/非主体(存在)の問題はあるだろうが、ニーチェが病にせよなんにせよ同一律から差異に存在論的に迫ったのに対し、ドゥルーズは哲学体系から存在論に迫った。そこには方法論の違いはあるかもしれないがドゥルーズはニーチェを継承して存在論に迫ったということができるように思われる。


余談だが、この樫村さんの論文にはおそらくクロソフスキーの影響があるように思われる記述がある。僕はクロソフスキーについては不勉強で、なおかつ精神分析、倒錯についても書かれているため理解不足でここでなにか意見を述べることはできない、そして記述が長いので引用することもできないのだが、敢えて書かせてもらうと、それは象徴の世界で起こるものであり反復脅迫を悪の要素とし、それにより主体は切り刻まれるという。その至高の真理を永遠回帰としている、というように読める。しかしここでさらに、快感原則に反するものである死への意志を悪とするのでは留まらず、そこに倒錯を持ち込むことにより悪(悪魔)の書き換えをおこない、主体の外在化が起きるとされている。果たして永遠回帰は無害化され、善悪の彼岸が訪れる、とある。事態はそれほど単純ではないようで樫村さんも「実際は遥かに複雑なもの」と書かれている。


精神分析の視点からもう少し詳細な記述があってもよかった気はするし、さらに言えばニーチェの症状をもっと明確に示すことはできるように思うのだが、僕としてはニーチェはパラノとスキゾを行ったり来たりしていたように思う、ここでは立ち入らないでおく。